加江田渓谷 (かえだ渓谷、カエダ渓谷、かえだけいこく)(宮崎市)





加江田川 (丸野川とも言います)沿いのハイキングコース(トレッキングコース)です。 トロッコ軌道跡の遊歩道があり、急坂はありません。 川底の大きな岩、淵(ふち)や瀬の清流、両側の崖などの景勝地です。 新緑、紅葉、野鳥、森林浴なども楽しめます。

<標高、位置>
標高差 約200 m (丸野駐車場(標高 約20 m)から椿山キャンプ場(標高 約200 m)まで、片道 約10 kmのトレッキングコース。)
 丸野駐車場: 北緯31度49分13秒  東経131度23分54秒
 椿山キャンプ場: 北緯31度46分34秒  東経131度22分29秒


加江田渓谷は西の双石山系(ぼろいしさんけい)と東の徳蘇山系(とくそさんけい)の間を流れる加江田川で削(けず)られた渓谷です。
 昔、丸野駐車場(貯木場跡)と椿山キャンプ場(営林署跡)のあいだに、林業のための加江田森林鉄道(トロッコ鉄道)がありました。 トロッコ軌道跡がハイキングコースになっています。 1973年頃はトロッコはまだ走っていて、スピードは人が歩くスピードと同じぐらいだったそうです。 私は1963年(昭和38年)3月頃、このレールの上を歩いて、ワラビやゼンマイなどの春の草を採りに行ったことがあります。 今もトロッコのレールや枕木が軌道跡に多く残っています。 トロッコレールを地面に垂直に立てて、電線を張る電柱に使った跡も残っています。

数カ所に橋があり加江田川(丸野川)を何度か渡り、加江田川(丸野川)の左岸(河口に向かって左側)、右岸を歩く加江田渓谷ハイキングコースです。

加江田渓谷全行程の内

(1)北端の区間の 丸野駐車場 → かえで橋(広河原休憩所)。 [ひょうたん淵(ぶち)、ひょうたん淵 山の神、硫黄谷休憩所、甘茶の泉など] は斟鉢山(くんばち山) を、

(2)南端の区間の 椿山へと椿山キャンプ場への三叉路 → 椿山キャンプ場まで「となせの滝、となせ淵、鮎返り淵など]は椿山森林公園(つばきやましんりんこうえん)

を見てください。 ここでは、(2)と(1)の間の区間 (上記した)三叉路と かえで橋(広河原休憩所)の間を載せています。 [うちびら山の神、もみじ谷、あかご淵、人形淵、丸太橋、多目的広場、静の谷、広河原休憩所、かえで橋など]


写真A: このページでは、南から北、すなわち加江田川(丸野川)の上流から下流への道筋について書いてあります。 三叉路。 丸野駐車場方面は遊歩道を先に進みます(今回は、これを進みます)。 左の階段は椿山へ。 手前方向は椿山キャンプ場に。



写真B: 上の写真のそばにある指導標。



写真C: 指導標。



写真D: 指導標。



写真E: 「うちびら山の神」の標識。



写真F: 「うちびら山の神」。 右の岩の下にある石柱が山の神です。



写真G: 「うちびら山の神」。 大正時代の「大正」の文字が読めます。 大正時代に作られたものです。



写真H: 台風で小さな崖崩れがあって、臨時の道が出来ていました。



写真I: 沢にかかる橋。



写真J: 指導標。



写真K: 指導標の後ろには、手押しの一輪車が転がっていました。



写真L: 指導標。



写真M: 加江田川(丸野川)を渡る橋。 下面に2本のトロッコレールが見えています。 左手前の手すりもトロッコレールで出来ています。 橋の材料にもトロッコのレールがよく使われています。 トロッコは昭和48年(1973年)頃まで使われていました。



写真N: 「もみじ谷」。



写真O: 橋。



写真P: 花切山登山道。 あかご淵コース。



写真Q: 上の指導標を拡大したもの。



写真R: 「あかご淵」の標識。



写真S: 「あかご淵」。



写真T: 「人形淵」の標識。



写真U: 「人形淵」。 水が澄んで緑色 (エメラルドグリーン) をしています。 水面の波紋も見えています。



写真V: 加江田川(丸野川)にかかる「丸太橋(まるたばし)」。 平成15年3月に完成しました。 金属製の吊り橋です。



写真W: 双石山への登山口があります。



写真X: 工事中の看板。 遊歩道の工事です。



写真Y: 「工事中の橋」。 迂回路が出来ていました。



写真Z: 橋が工事中のため、迂回路が出来ていました。 この川は加江田川(丸野川)です。



写真AA: 「工事中の橋」。 迂回路から見たもの。



写真AB: 橋の工事のため、軽トラックが来ていました。



写真AC: 加江田川(丸野川)にかかる橋。 この橋も、手すりにトロッコのレールを使っています。 トロッコは昭和48年(1973年)頃まで使われていました。



写真AD: 橋の北の袂(たもと)にある小屋。



写真AE: 上の写真の橋。 手すりがトロッコのレールで出来ていることがよく分かります。 この橋でも下の川で工事が行われていました。 トロッコは昭和48年(1973年)頃まで使われていました。



写真AF: 大きな「民家」が一軒だけ、遊歩道と加江田川(丸野川)の間にあります。 右に見えている道が遊歩道です。 この民家は2002年頃にできたそうです。



写真AG: 「多目的広場」。 昔は加江田野営場と呼ばれていました。 建物はトイレです。



写真AH: 「多目的広場(旧 加江田野営場)」。 広場やベンチもあります。



写真AI: 双石山(ぼろいしやま)への登山口。



写真AJ: 指導標。



写真AK: 地図板。 宮崎森林管理署が作った徳蘇山山系の案内です。 これには、現在は使われていない、「ねむのき野営場」、「家一郷野営場」なども載っています。 西くんぱち山(正式には くんぱち山)という言葉も使われています。 第一家一郷橋、第二家一郷橋、丸太橋、広河原野営場、西くんぱち展望台、赤松展望台、下蘇山(標高 669 m)なども載っています。



写真AL: 大水で流された橋の跡。 橋桁(はしげた)と橋の一部が残っています。



写真AM: 「静の谷」の標識。



写真AN: 「静の谷」。



写真AO: 「広河原休憩所」の建物。 テーブルとベンチがあります。



写真AP: 「広河原休憩所」。 この階段を上るとトイレがあります。



写真AQ: 「広河原休憩所の河原」。 この付近は、広い河原になっています。



写真AR: 「広河原休憩所」の標識。



写真AS: 指導標。



写真AT: 「広河原休憩所」のゴミ焼却炉。



写真AU: 「かえで橋」が見えてきました。 かえで橋は広河原休憩所のすぐ北にあります。



写真AV: 「かえで橋」の標識。



写真AW: 「かえで橋」に取り付けてある「説明板」。 平成12年3月に完成しました。 金属製の吊り橋です。 この橋を渡って「斟鉢山(くんぱちやま)」に登ることが出来ます。 「斟鉢山 かえで橋登山口」。
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丸野駐車場には「宮崎自然休養林管理事務所」があります。 この建物は宮崎国民体育大会(宮崎国体(1979年))の時、昭和天皇がここに来られた際の休息所として作られました。 事務所の中には、植物の標本、花などの写真、黄色雀蜂の巣、サルノコシカケ(きのこ)、昔の砂鉄を溶かしたものの固まりなどが展示されています。 この事務所の方に貴重なお話を伺うことができました('07年8月)。 御礼申し上げます。 それによると、トロッコ軌道は昭和13年の秋に工事が始まり、3カ所の飯場ができ、それぞれ約20人の人がいたそうです。 工事はダイナマイトと手作業で行われた。 トロッコは1日に1往復したそうで、丸太と木炭などを運んだ。 登り(南方向へ)は、犬が1-2匹でトロッコを引いたそうです。 下り(北方向へ)は引かずにブレーキをかけながら、進んだそうです。 当時はトロッコは1輌編成。 第二次大戦後、昭和22年ごろエンジン駆動になり、、登りは約5輌編成で、下りは1輌編成だったそうです。 営林署は5-6人で、雇われた従業員は数十人。 杉などの植え付け(造林)は外部から人が来て、3月頃の春に行われた。 トロッコは営林署の生活物資も運んだ。 トロッコ軌道はしだいに南にのびていったが、トロッコが本来の運行をしたのは、昭和45年頃までで、この頃、今の椿山キャンプ場の方にトラックが入れる林道ができたために使われなくなったそうです。
加江田渓谷の中心部 家一郷 の生活は、今、一軒ある民家の南の対岸に家2軒があった。 そこに田んぼが1町歩あった。 炭焼き、鉄砲での猪(いのしし)取り、罠(わな)での野鳥取り、野ウサギ取りなどが行われた。 猪が捕(と)れたときの狩猟の帰りでは、家の近くで鉄砲を空に撃って、家の人たちに知らせた。 その音を聞くと、今日は猪が捕れたことが分かった。 罠には黄緑色の鳩(アオバト)もかかったこともあった。 ひょうたん淵ではウナギが取れたこともある。 タブの実、アケビ、椎(しい)の実もとれ、家の近くでは栗、柿も植えられていた。 椎(しい)の実は水に浮かべて選別した。 沈んだものが実が詰まっている。 近くでは大昔の、砂鉄から鉄を溶かして作った時の「鉄のかたまり」が出てくるそうです。 小学校は鏡洲小学校に通った。 当時は分校はなかった。 トロッコ道ができる前は、トロッコ道の少し上方に道があった。 その道は割と平坦だった。 トロッコができてからは、運行時間の関係で、小学校に行くときは、歩いて、帰りはトロッコに乗った。 加江田川(丸野川)の本流に橋ができる前は、お父さんに背負われて、川を渡った。 帰校のときは、川の対岸から大きな声で呼んでお父さんに来てもらい、背負われて加江田川を渡った。 台風などで加江田川が増水したときには、学校は休んだ。 小学校に行っている昼間に増水したときには、鏡洲の先生宅や親戚の家に泊まったそうだ。 台風の時に増水して、丸太橋の南ではトロッコ軌道まで、水につかったこともあるそうです。 
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 また、’08年(平成20年)3月に、椿山森林公園の管理事務所の方に聞いた話では、第二次大戦の前に作られたトロッコ軌道は、最終的には丸野駐車場から椿山森林公園にある椿山キャンプ場のところまでありました。 トロッコ軌道は分岐(ぶんき)などはなかったそうです。 当時はパルプ材(樫(かし)の木などの雑木)の需要が多く、このトロッコで運んでいたそうです。 現在 椿山キャンプ場がある場所に昔あった営林署には、約25家族(約80人)が住んでいたそうです。 その近くに鏡洲小学校の分校跡もあります。 加江田渓谷沿いの家一郷地区には江戸時代から住居があったそうです。




by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)