斟鉢山 (くんぱち山、クンパチ山、くんぱちやま) (宮崎市)
<標高、位置>
標高: 500.4 m、 緯度: 31.474891 度、 経度: 131.244720 度
斟鉢山は加江田川をはさんで西にある双石山(ぼろいしやま)と共に、鵜戸山地(うどさんち)の北のはずれにあります。 南の方に花切山(はなきりやま)、主峰の岩壺山(いわつぼやま)と続く連峰の北端でもあります。 また、斟鉢山は双石山の東3.3 km、花切山(はなきりやま)のほぼ北北東2.5
km、椿山の東北東4.2 km に位置しています。
<名前>
「斟」の字は普段使わなく難解ですが、、音読みが「シン」で訓読みが「くム」、「おしはカル」です。 汲(く)む、おしはかる、はかりとる、おもいやる、の意味があります。 斟杯は酒を酌む、飲むの意味です。 この くむ がなまって くん になったものと思われます。
「鉢」の字は 盆栽などを植える 植木鉢 の鉢です。 はち が ぱち になったと思われます。
斟鉢は「水や酒を汲(く)む鉢(はち)」の意味と思われます。
斟鉢山は斟八山、古くは久牟鉢山とも書かれることもあります。 山頂の東方向近くの別の峰付近にある くんぱち神社(標高 約440 m) は斟八神社となっています。
地元では、最高地点の峰を西斟鉢山(正式にはこれが斟鉢山)、斟八神社のある一つ東の峰を斟鉢山と言うこともあります。 (斟八神社がある峰は、正式の斟鉢山の1つ東の峰です。) 登山道の古い指導標では、西斟鉢山という言い方をしたものがありますので、注意してください。 ここでは、西斟鉢山という言い方は用いていません。
<斟鉢山登山コース>
斟鉢山登山コースはいくつかあります。
(1) 斟鉢山「かえで橋コース」 (西尾根から登ります)。 2008年(平成20年)9月の台風13号で、かえで橋は破壊され、通行不可になっています。 注意してください。
写真A: 「斟鉢山」。 北の宮崎市郡司分から望む。 一番高い峰が斟鉢山の山頂です。 その左(東)の峰(正確にはこの峰の少し左)に斟八神社があります。 写真を撮った地点から双眼鏡で斟八神社の建物が確認出来ました。 下方の土手は清武川のものです。
斟鉢山への「かえで橋コース」は、右(西)の稜線に沿って登ります。 この写真から、最高地点の斟鉢山までに、斟鉢山への「かえで橋コース」で登る「西尾根」には、5個のコブがあることが分かります。
写真B: 北の宮崎市郡司分からみた山並み。 右端のうっすらと見えている山が荒平山、その左が双石山(ぼろいしやま)、ひだりの峰が斟鉢山です。
写真C: 北の宮崎市木花から見た「斟鉢山」です。 最高地点が斟鉢山の山頂です。 斟八神社のある山頂の左にある峰は、この地点からは小さなコブのように見えています。 この写真を撮った所からも斟八神社の建物を双眼鏡で確認できました。 斟鉢山への「かえで橋コース」は、この写真の右の稜線沿いに登ります。 この写真から斟鉢山のいくつかの谷や支尾根が分かります。
また、この写真から、最高地点の斟鉢山までに、斟鉢山への「かえで橋コース」で登る「西尾根」には、5個のコブがあることが分かります。
昔の日向地誌に久牟鉢山(くんはちやま)と書かれていて、海彦山彦伝説の山幸彦の御陵と伝えられています。 雨不足のため、斟八神社に鉢(はち)に水を入れて供えたら、待望の雨が降ったそうです。 これが斟鉢山と呼ばれるようになった由来だそうです。 雨乞いの山です。 近くの青島には、海彦山彦伝説があります。 この山の北にある郡司分(ぐじぶん)の方に聞いた話では、斟鉢山付近は雨が多く、郡司分が天気が良くても、斟鉢山の方は雨が降っていることが多いそうです。
写真D: 斟鉢山のかえで橋コースの「丸野駐車場登山口」。 標高 約20 m。 ここは以前、林業のための加江田森林鉄道(トロッコ鉄道、正式には家一郷森林軌道)の北の終点で、広い集木場がありました。 その跡地が広い駐車場になっています。 1947年(昭和22年)までは、トロッコは犬牽き式(いぬひきしき)だったそうです。 [参考までに、第二次大戦前、宮崎市の 住吉神社−次郎ヶ別府駅(じろうがびゅう駅、今の日向住吉駅) までのトロッコは人が牽(ひ)いていたそうです。] 1973年頃はエンジンで動くトロッコはまだ走っていて、スピードは人が歩くスピードと同じぐらいだったそうです。 私は1963年(昭和38年)3月頃、このレールの上を歩いて、ワラビやゼンマイなどの春の草を採りに行ったことがあります。 また、1955年頃に双石山から加江田渓谷(当時は日向ラインと呼んでいました)に降りてきて、トロッコのレール上を歩き、丸野のほうに戻ったこともあります。 トロッコは昭和48年(1973年)頃まで使われていました。
宮崎自然休養林の緑色の看板も見えています。 この看板の右の道が昔のトロッコ軌道跡です。 かえで橋コースはこの道を先に進んで行きます。 この手前が広い丸野駐車場です。丸野駐車場はまだ車でいっぱいになったのは見たことがありません。 トイレや飲料水もあります。
写真E: 丸野駐車場にある「宮崎自然休養林管理事務所」。 この建物は宮崎国民体育大会(宮崎国体(1979年))の時、昭和天皇がここに来られた際の休息所として作られました。 事務所の中には、植物の標本、花などの写真、黄色雀蜂の巣、サルノコシカケ(きのこ)、昔の砂鉄を溶かしたものの固まりなどが展示されています。 この事務所の方に貴重なお話を伺うことができました('07年8月)。 御礼申し上げます。 それによると、トロッコ軌道は昭和13年の秋に工事が始まり、3カ所の飯場ができ、それぞれ約20人の人がいたそうです。 工事はダイナマイトと手作業で行われた。 トロッコは1日に1往復したそうで、丸太と木炭などを運んだ。 登り(南方向へ)は、犬が1-2匹でトロッコを引いたそうです。 下り(北方向へ)は引かずにブレーキをかけながら、進んだそうです。 当時はトロッコは1輌編成。 第二次大戦後、昭和22年ごろエンジン駆動になり、、登りは約5輌編成で、下りは1輌編成だったそうです。 営林署は5-6人で、雇われた従業員は数十人。 杉などの植え付け(造林)は外部から人が来て、3月頃の春に行われた。 トロッコは営林署の生活物資も運んだ。 トロッコ軌道はしだいに南にのびていったが、トロッコが本来の運行をしたのは、昭和45年頃までで、この頃、今の椿山キャンプ場の方にトラックが入れる林道ができたために使われなくなったそうです。
加江田渓谷の中心部 家一郷 の生活は、今、一軒ある民家の南の対岸に家2軒があった。 そこに田んぼが1町歩あった。 炭焼き、鉄砲での猪(いのしし)取り、罠(わな)での野鳥取り、野ウサギ取りなどが行われた。 猪が捕(と)れたときの狩猟の帰りでは、家の近くで鉄砲を空に撃って、家の人たちに知らせた。 その音を聞くと、今日は猪が捕れたことが分かった。 罠には黄緑色の鳩(アオバト)もかかったこともあった。 ひょうたん淵ではウナギが取れたこともある。 タブの実、アケビ、椎(しい)の実もとれ、家の近くでは栗、柿も植えられていた。 椎(しい)の実は水に浮かべて選別した。 沈んだものが実が詰まっている。 近くでは大昔の、砂鉄から鉄を溶かして作った時の「鉄のかたまり」が出てくるそうです。 小学校は鏡洲小学校に通った。 当時は分校はなかった。 トロッコ道ができる前は、トロッコ道の少し上方に道があった。 その道は割と平坦だった。 トロッコができてからは、運行時間の関係で、小学校に行くときは、歩いて、帰りはトロッコに乗った。 加江田川(丸野川)の本流に橋ができる前は、お父さんに背負われて、川を渡った。 帰校のときは、川の対岸から大きな声で呼んでお父さんに来てもらい、背負われて加江田川を渡った。 台風などで加江田川が増水したときには、学校は休んだ。 小学校に行っている昼間に増水したときには、鏡洲の先生宅や親戚の家に泊まったそうだ。 台風の時に増水して、丸太橋の南ではトロッコ軌道まで、水につかったこともあるそうです。
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また、’08年(平成20年)3月に、椿山森林公園の管理事務所の方に聞いた話では、第二次大戦の前に作られたトロッコ軌道は、最終的には丸野駐車場から椿山森林公園にある椿山キャンプ場のところまでありました。 トロッコ軌道は分岐(ぶんき)などはなかったそうです。 当時はパルプ材(樫(かし)の木などの雑木)の需要が多く、このトロッコで運んでいたそうです。 現在 椿山キャンプ場がある場所に昔あった営林署には、約25家族(約80人)が住んでいたそうです。 その近くに鏡洲小学校の分校跡もあります。 加江田渓谷沿いの家一郷地区には江戸時代から住居があったそうです。
写真F: 「宮崎自然休養林の看板」。 廃線になったトロッコのレールの片方が看板の下方に見えています。 木の箱の中には宮崎自然休養林の地図が入っていました。
写真G: トロッコ軌道跡を南に進むと、「国有林入り口」の指導標があります。 ひょうたん淵、硫黄谷休憩所、広河原休憩所、多目的広場、椿山キャンプ場までの距離が書いてあります。これらはすべてトロッコ軌道跡にあります。 背景は加江田渓谷の加江田川(昔は「日向ライン」と呼んでいました。 ラインとはドイツの有名なライン川のこと)です。
写真H: 「ひょうたん淵橋」。 加江田川の支流にかかる橋です。
写真I: 「双石山(ぼろいしやま)へのひょうたん淵登山口」の看板。 ひょうたん淵橋のそばにあります。 加江田川は大まかには南北に流れています。 加江田川の左岸(河口方向を見て左側)が双石山系、右岸が徳蘇山系(とくそさんけい)です。 斟鉢山は右岸の徳蘇山系の南端に位置する山です。
写真J: 「ひょうたん淵 山の神」。 山の神とは山を守り、山をつかさどる神。 山の精とも言います。 秋の収穫後は近くの山におり、春になると下って田の神となると言われています。 背景の岩には岩タバコの葉が見えています。
写真K: 「ひょうたん淵(ぶち)」。 昔、ここでウナギが取れた事があったそうです。
写真L: 昔のトロッコのレール 2本が残っています。 左の崖の下は加江田川(丸野川)です。 トロッコは昭和48年(1973年)頃まで使われていました。
写真M: 「硫黄谷休憩所(いおうだにきゅうけいしょ)」。 右上の建物にはトイレ、左はテーブルとベンチがあります。 この階段を上って双石山登山コースがあります(硫黄谷登山口)。 中央奥にあるだいだい色の幹の木はバクチノキです。
写真N: 「硫黄谷休憩所」。 芭蕉(ばしょう)が生えています。 日によっては、硫黄(硫化水素 H2S)の匂いがします。 これは、ここの少し上部にわき出している冷泉に含まれているからです。
写真O: 硫黄谷休憩所にある昭和55年春の天皇陛下 行幸記念の石碑。 宮崎で行われた国民体育大会のときに、昭和天皇が加江田渓谷のここにも来られました。
写真P: 昭和天皇のその時の御詠歌。 硫黄谷休憩所にあります。
写真Q: 「甘茶の泉の標識」。 甘茶の泉はこの標識の右手にあります。 この道もトロッコ軌道跡です。
写真R: 「甘茶の泉」。 おいしい山水を、私はいつもチタンのマグカップで飲んでいます。
写真S: 「ねむの木橋跡」。 以前台風の時、加江田川の水位が上昇し、濁流がこのコンクリート製の橋を押し流しました。 自然の力の大きさに驚きます。 今は通ることが出来ません。 この橋の右岸に昔、ねむの木野営場(キャンプ場)がありました。
写真T: 「加江田渓谷(かえだけいこく)」。 大きな岩のくぼみに入った小石、礫(れき)、砂が、水流ですりこぎのように回って、長い年月の間に、丸い大きな穴を作ります。 これを甌穴(おうけつ)と呼びます。 この写真にもいくつか おう穴 が見えています。
写真U: 指導標。 右のさびた鉄は、昔使っていたトロッコのレールを地面に立てて、電線を張る電柱に使ったものです。 丸野駐車場−椿山キャンプ場 の道沿いに、当時のレール、枕木、レールを枕木に固定する大きな釘、レールの連結板などが数多く残っています。 トロッコは昭和48年(1973年)頃まで使われていました。 時代の流れを感じさせます。
写真V: 加江田川にかかる「かえで橋」(標高 約50 m)。 亜鉛のどぶ漬けの鉄材(送電線の高い鉄塔もこの材料を使っています)で出来ています。 斟鉢山の かえで橋コース は、このかえで橋を左岸から右岸に渡ります。 渡らずに南に進む(なだらかな登り)と、椿山キャンプ場に行くことが出来ます。
写真W: 「かえで橋」(標高 約50 m)。 斟鉢山 かえで橋コースの かえで橋登山口 です。 かえで橋が開通する前は、西からの斟鉢山の登山は、(ねむの木橋が流失した後は)浅瀬を渡渉していたそうです。 あるいは加江田渓谷からのコースは、平成登山口(トロッコ軌道跡をもっと南に進んだところにあります)からの、西尾根ではなく南尾根から斟鉢山に登るコースも使われました。
写真X: かえで橋(標高 約50 m)から見える「加江田渓谷」。 岩、清流、新緑、野鳥の声が楽しめます。
写真Y: 斟鉢山 かえで橋コースの指導標。
写真Z: 支沢にかかる木製の橋。
写真AA: 楓(かえで)の紅葉した落ち葉。 沢に掛かる木橋の上です。
写真AB: 斟鉢山 かえで橋コースの指導標。 かえで橋から斟鉢山の山頂までに、3つの三叉路があります。 この近くに第一の三叉路があります。 左に進みます。 地図板では、右に進んでも西尾根に到達し、斟鉢山に向かうように書いてあります。
写真AC: 細い丸太で階段が作られました。 このあたりは植林された杉の木が多く、急登が続きます。
写真AD: 谷に向かって水平に伸びた木。 この付近はより大きな斟鉢山の西尾根から分かれた支尾根を登ります。 この支尾根は、地表に木の根が露出した所が多い。 木の根は、雨で濡れると滑りやすくなります。 木の根のために、踏み跡(ふみあと)は薄くなります。
写真AE: 第二の三叉路の手前。 赤ビニールのマークが付けてあって、登山道をたどるのに助かります。 この三叉路を右に進みます。
写真AF: 第二の三叉路を左に行く方向は、通行止めになっています。 地図板によると、この先からも斟鉢山に登れる図になっていますが、通れなくなっているようです。
写真AG: 斟鉢山 かえで橋コースの指導標。 第二の三叉路にあります。 金属製で曲げて方向が分かりやすくなっています。
写真AH: 第二の三叉路付近にある広めの平らなところ(テラスと言います)。 ここを先にトラバース気味に進み、小規模の崖崩れの場所に付けられた、右が谷、左が尾根の登山道を進みます。 ここからしばらくは、緩(ゆる)い傾斜になります。 参考までに、トラバースとは、山腹を横切ることです。 岩壁などの狭い棚状(たなじょう)の所をテラスと言います。
写真AI: 第三の三叉路。 ここは、支尾根と西尾根の交差しているところです。斟鉢山 かえで橋コースの指導標。 斟鉢山には左に進んで、斟鉢山の西尾根を登ります。 地図板では右に下ってもかえで橋に戻れるような図になっています。
写真AJ: 第三の三叉路にある 斟鉢山 かえで橋コースの指導標。 上の写真の拡大写真。
写真AK: 西尾根を登っているときに見かけた「ギンリョウ草」。 ギンリョウソウは、薄暗い林床に生(は)える腐生植物です。 葉緑素は持ちません。 ユウレイダケの別名もあります。 (腐生植物とは、落ち葉などから養分を得て生育する植物のこと。) 茎も花も銀色がかった白色をしています。
写真AL: 西尾根を登るときに、ロープ場があります。 黄黒の通称 虎ロープ が張られています。 つかんで登ったり、下ったりすると助かります。 西尾根は自然林が茂っています。
写真AM: 迷いやすいところには、赤テープのマークがあって助かります。 この付近が標高 355 m のコブです。 ここまでは急登が続きますが、これから上部は傾斜が緩やかになり、いくつかのコブを越えていきます。 西尾根のコブの数は、斟鉢山の写真:A あるいは写真:C からは5個のようです。
写真AN: 斟鉢山 かえで橋コースの指導標。 上の写真のそばにあります。
写真AO: 西尾根にある倒木。 通りやすいように切断してあります。 西尾根は自然林で、大きな古木も混じっています。 照葉樹林帯らしい様相です。
写真AP: 西尾根を数個のコブをこなしながら登ると、やがて南からの主尾根が右手に見えてきます。 この南尾根には、赤松展望所、花切山(はなきりやま)、岩壺山(いわつぼやま)があります。
写真AQ: 西尾根の登山道の様子。 シダも見えています。 このあたりは、踏み跡(ふみあと)ははっきりしています。
写真AR: 先に見えているのは西尾根上の登山道に、いくつかあるコブの一つです。 このコブも越えていきます。 写真:A あるいは写真:C の斟鉢山の写真からは、西尾根には5個のコブがあることが分かります。 これは地形図からのコブの数(3個)より多いです。
写真AS: 斟鉢山 かえで橋コースの指導標。 この指導標が来れば斟鉢山の山頂 間近です。
写真AT: 斟鉢山の山頂が見えてきました。 山頂には、三角点、標識、地図板などもあります。 北東方向には、展望が開けています。
写真AU: 斟鉢山の山頂にある三等三角点(500.4 m)。 正式にはここが斟鉢山です。 (地元では、この最高地点を西斟鉢山と言うこともあります。 これは斟八神社のある峰を俗に斟鉢山と呼ぶこともあるためです。そのため、西尾根上の古い指導標にも西クンパチと書かれているものもあります。誤解をしないように注意しましょう。)
写真AV: 山頂にある斟鉢山の標識。 右に地図板もあります。
写真AW: 斟鉢山 山頂からの東北東方向の眺望。 手前に加江田川、日向灘、宮崎県総合運動公園の木の花ドーム(このはなドーム)なども見えています。 標高 500 mからの眺め。
写真AX: 斟鉢山 山頂からの北東方向の展望。 日向灘の松林と砂浜、右手に宮崎県総合運動公園のスタジアム、その向こうに清武川、手前に加江田川も見えています。 標高 500 mからの眺め。
写真AY: 斟鉢山の山頂にある 三角点、地図板、標識などの位置関係が分かります。
写真AZ: 斟鉢山山頂にある 曽山寺神社(斟八神社のことと思われます)への指導標。
写真BA: 斟鉢山 山頂にある地図板。 今まで登ってきたコースも距離、所要時間と共に載っています。 所要時間は、一般に休息時間や写真を撮る時間などは入っていません。 実際にかかる時間は地図上の時間を1.5倍したものと言われています。 斟鉢山はこの地図では、右端に書いてあります。 左の方は双石山(ぼろいしやま)が書いてあります。
写真BB: 斟鉢山山頂。 三角点や遠景には日向灘も見えています。
写真BC: 斟鉢山 山頂付近(南寄り)にある指導標。 南尾根にある赤松展望所への登山道を示しています。
写真BD: 斟鉢山山頂から東側に下って、斟八神社に行く途中の登山道。
写真BE: 斟鉢山山頂から斟八神社に向かう途中に、斟鉢山の南からのコース(穴元登山口)と合流します。 それを知らせる指導標。
写真BF: 先方に斟八(くんぱち)神社の建物が見えてきます。
写真BG: 斟八神社(くんぱち神社)。 手前の建物が奥の院、先の建物は社殿です。 山は斟鉢山と書きますが、神社は斟八神社と書くのが一般的です。
写真BH: 斟八神社(クンパチ神社)の社殿。 標高 約440 m。
写真BI: 斟八神社 社殿の正面。
写真BJ: 斟八神社にある御手洗、石柱も見えています。 石柱の間の向こう側には、石の階段が下ります。
写真BK: 斟八神社の正面前。
写真BL: 斟八神社にある石像。 榊(さかき)の葉が供えられています。
写真BM: 斟八神社の山の上 鳥居。
写真BN: 斟八神社の階段から社殿を望む。
写真BO: 斟八神社の社殿と石柱。右手は北側の展望が広がっています。
写真BP: 社殿の中に入れるようになっています。 左の箱には、斟鉢山 登山者名簿、らくがき帳があります。 きれいに掃除されています。
写真BQ: 斟八神社の社殿前にある石柱。 江戸時代 末期の「元治」時代のものです。 十一月吉日の文字も見えます。
写真BR: 斟八神社 社殿の北側の展望。 標高 約440 mからの眺め。 国立宮崎大学とそのグラウンド、学園木花台の団地、木花も見えています。 また、右端に学園木花台小学校も見えています。
写真BS: 斟八神社 社殿から北東方向を望む。 海に突き出た宮崎空港の滑走路、その向こうの大淀川、郡司分、木花、学園木花台の団地も見えています。
また、学園木花台小学校、木花中学校、木花小学校も見えています。 標高 約440 mからの眺めは素晴らしいものです。
by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)