天満宮 (佐土原)、下田島神社の分社 (佐土原 田島)、佐土原町 上田島 字田中の町並み (まちなみ)、下田島 字田島の町並み (まちなみ) (下田島神社の分社の郷土の名木 「銀杏 (イチョウ、黄葉)」、ケヤキ (紅葉)、佐土原町 浄水場、うなぎ料理 鯉 (こい)料理 魚彩、かさはら歯科医院、くらもと医院 内科 胃腸科 外科、フーデリ (Foodaly Kitchen Market Hattory)、樋ノ口橋 (ひのくちはし)、吉祥寺 (鬼子母神)、大光寺、宝塔山、田中地区学習等供用施設 (集会所)、主要地方道 宮本新町線 (県道326号線)、農産物直販所 畑ぼら、金丸井堰 (いせき)、金丸用水路の説明板と石碑 (せきひ)、田島地区学習等供用施設 (集会所)、宮崎市消防団 佐土原分団第14部車庫、福田酒店)  (宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 字田中、下田島 字田島)







<標高、位置>  佐土原町の「天満宮」は
標高 数 m
 北緯32度02分48秒  東経131度26分21秒

<標高、位置>  佐土原町下田島 字田島の「下田島神社の分社」は
標高 約10 m
 北緯32度02分32秒  東経131度27分05秒

<標高、位置>  宝塔山は
標高 61.6 m
 北緯32度02分44秒  東経131度26分00秒

<標高、位置>  松巌寺は
標高 約20 m
 北緯32度02分55秒  東経131度26分02秒

<標高、位置>  大光寺は
標高 約30 m
 北緯32度02分51秒  東経131度26分06秒

<標高、位置>  崇称寺は
標高 約30 m
 北緯32度02分52秒  東経131度25分58秒

<標高、位置>  多楽院は
標高 約30 m
 北緯32度02分48秒  東経131度25分56秒

<標高、位置>  吉祥寺 (鬼子母神)は
標高 約10 m
 北緯32度02分43秒  東経131度26分14秒

<標高、位置>  愛宕神社は
標高 約50 m
 北緯32度02分41秒  東経131度25分55秒

<標高、位置>   古月禅師誕生地は
標高 約 0 m
 北緯32度02分52秒  東経131度26分51秒

<標高、位置>  佐土原町 浄水場は
標高 数 m
 北緯32度02分49秒  東経131度26分27秒

<標高、位置>   曽我殿の墓は
標高 約30 m
 北緯32度02分20秒  東経131度27分13秒

<標高、位置>   宮崎国際ゴルフ倶楽部は
標高 約70 m
 北緯32度02分19秒  東経131度26分55秒


  「天満宮」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 字田中 にあります。

 「下田島神社の分社」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 下田島 字田島 にあります。
境内 (けいだい)に郷土の名木 イチョウがあります。 大きな2本のケヤキの木もあります。 北側は見晴らしがとても良い。
  「下田島神社 (しもたじまじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 下田島 12218の1番 にあります。
「下田島神社 由緒 (ゆいしょ)」の説明板から、
 神社の御創建は、第40代 天武天皇の御世、白鳳5年 (677年)と伝えられている。
 往昔は明神山にあり、水門柱神社 (みなとばしらじんじゃ)と称 (しょう)されていたが、文明13年 (1481年)現在地に移され、下田島地区の神社を代表する総社となる。
 一般には「とばしらさま」と親 (した)しまれ、海の神様として崇 (あが)められた神社である。
 西都市の都萬神社と共に、島津家尊崇の社として、毎月1回 武運長久の祈祷 (きとう)をなし、神領16石4斗が寄せられていた。
御祭神 速秋津日子神、相殿の神 18柱、祭儀 例祭 11月19日、夏祭 6月30日。

 「佐土原浄水場 (さどわらじょうすいじょう)」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 下田島 5025 にあります。

 「金丸幹線用水路」の説明板から、
 この用水路は、「農業用の施設」です。
農家の人たちがこの水路から田に水を引いて米や野菜を作っているとても大切な施設ですから、ゴミや空きかんをすてないようにしましょう。
金丸幹線用水路の歴史
 この地域の水田は、明治4年金丸惣八 (かねまるそうはち)が建設された金丸堰(せき)から用水しています。
氏は、旧佐土原藩士として、江戸時代の安政3年 (1856年)に時の家老 曽小川久郷 (そおかわひささと)と共に全国を視察して、開田 (水を引いて水田を作ること)の必要性を説(と)き、藩主の命令により自ら設計し、井堰(いせき)を築くと共に約 4 km 用水路を引き、黒生野、柳瀬 一帯の約 40 ha の開田を行ないました。
 その後、度重(たびかさ)なる台風により金丸堰は、何度も壊(こわ)れましたが、昭和50年に今の井堰(いせき)が完成しました。 また、用水路は次々に延長工事が行われ、現在では、約 17 km にもおよぶ用水路で大字上田島、下田島 一帯をかんがいし、地域の発展に大きく役立っています。
金丸用水路の概要
1.水路延長 17020 m、2.受益面積 364 ha。
*井堰とは!!
 川の水をせき止め、(水面を上げ)水路を通して田畑に水を引き入れたり、水の量を調節するための施設で、別名「頭首工 (とうしゅこう)」とも呼んでいます。

 「イチョウ (銀杏)」は雌雄異株です。 化石植物と言われます。 樹高は30 m にもなります。 長命です。 化石は世界中で見つかっています。 10〜11世紀に中国南部で現存していることが分かりました。 それから世界中に広がりました。 樹脂細胞がないので「まな板」に最適の木です。 葉の中央の切れ込 (こ)み (割れ目)は大きいものからほとんど無いものまで変異があります。 果実のように見える種子が枝に付きます。 その外種皮はフェノール性物質があり、皮膚 (ひふ)につくとかぶれます。 中はギンナンとして食用になります。


写真A: 北東を見たものです。 県道44号線です。 先に進むと一ツ瀬川の「一ツ瀬橋」、新田原基地、新富町などがあります。 左にコンビニ店があります。



写真B: 十字路にコンビニ店のセブンイレブンがあります。



写真C: 民家も見えます。



写真D: 西を見たものです。 先に進むと上田島の中心部、西都市に行きます。



写真E: 食料品マーケットのFoodalyがあります。



写真F: 「Foodaly Kitchen Market Hattory」と書いてあります。 南西を見たものです。



写真G: 南を見たものです。 先に佐土原の「天満宮」があります。 右端はFoodalyです。 山の上にも送電線鉄塔があります。



写真H: 南東を見たものです。 手前にかさはら歯科医院が見えます。



写真I: 東を見たものです。 先に行くとハゼ馬場、古月禅師 (こげつぜんし)の誕生地、佐賀利、農村環境改善センター、国道10号などがあります。



写真J: 北東を見たものです。



写真K: 「かさはら歯科医院」と建物に書いてあります。 南東を見たものです。
かさはら歯科医院は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 13-2 にあります。



写真L: 西を見たものです。 奥に松厳寺 (しょうがんじ)、大光寺、宝塔山のある山が見えます。 手前はFoodalyの駐車場です。



写真M: 左の手前の木の右に大光寺の屋根が見えます。



写真N: 北西を見たものです。 クリーニング店があります。



写真O: 食料品マーケットのFoodalyです。



写真P: 南西を見たものです。



写真Q: くらもと医院です。



写真R: 「くらもと医院 内科 胃腸科 外科」と建物に書いてあります。 南東を見たものです。



写真S: 佐土原町 浄水場とその大きなタンクが見えます。 東を見たものです。



写真T: 「うなぎ料理 鯉 (こい)料理 魚彩」です。 東を見たものです。



写真U: 「うなぎ料理 鯉 (こい)料理 魚彩」と書いてあります。



写真V: 「うなぎ料理 鯉 (こい)料理 魚彩」の建物です。



写真W: 「くらもと医院 内科 胃腸科 外科」と「かさはら歯科医院」が見えます。 北東を見たものです。



写真X: 「ひのくちはし」と橋に書いてあります。



写真Y: 奥に佐土原 浄水場が見えます。 東を見たものです。



写真Z: 小川の上流側です。 食料品マーケット Foodalyもあります。



写真AA: 「宮本新町線」と橋に書いてあります。



写真AB: 左は橋です。 東を見たものです。



写真AC: 「樋ノ口橋」と書いてあります。



写真AD: 小川 (「とぐろ」と呼ばれている用水路です。)の下流側です。 東を見たものです。



写真AE: 草が茂っています。



写真AF: 「平成6年3月竣工 (しゅんこう)」と樋ノ口橋に書いてあります。



写真AG: 南を見たものです。 「宮崎市街 国道10号」と書いてある道路標識、「← 一ツ葉有料 7 km」と書いてある標識もあります。



写真AH: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 北を見たものです。



写真AI: 左の鳥居 (とりい)が佐土原の「天満宮」です。 西を見たものです。
「天満宮」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 字田中 にあります。



写真AJ: 南西を見たものです。



写真AK: 南を見たものです。 十字路の奥の坂道は新しくできたものです。 それを進むと那珂 (なか)などに行きます。 左に進むと字田島の下田島神社の分社、曽我殿の墓、宮崎国際ゴルフ倶楽部、パナソニックの工場 (パナソニックCC九州株式会社)、国道10号などがあります。 右に進むと大光寺、宝塔山に行きます。



写真AL: 十字路の近くです。



写真AM: 高い送電線鉄塔があります。 西を見たものです。



写真AN: 佐土原の「天満宮」です。 赤い鳥居 (とりい)、社殿があります。 右の建物は田中地区学習等供用施設と思われます。



写真AO: 宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 字田中にある「天満宮」です。



写真AP: ここにも小川があります。 東を見たものです。



写真AQ: 奥は新しくできた道路です。 送電線鉄塔が2本見えます。 南を見たものです。



写真AR: 南西を見たものです。 先に行くと吉祥寺 (鬼子母神)、宝塔山、大光寺があります。



写真AS: 東を見たものです。 県道326号線です。 先に進むと字田島の下田島神社の分社、曽我殿の墓、宮崎国際ゴルフ倶楽部、パナソニックの工場 (パナソニックCC九州株式会社)、国道10号があります。



写真AT: 北西を見たものです。 左寄りに佐土原 「天満宮」が見えます。



写真AU: 「タンポポの綿毛 (わたげ)」がありました。



写真AV: 佐土原 天満宮の右 (北)の建物は集会場 (田中地区学習等供用施設)と思われます。



写真AW: 西を見たものです。



写真AX: 佐土原 天満宮です。 赤い鳥居 (とりい)、しめ縄、社殿などがあります。
「天満宮」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 字田中 にあります。



写真AY: 赤い鳥居 (とりい)のそばに手水鉢 (ちょうずばち)があります。



写真AZ: 側面から見た赤い鳥居 (とりい)です。 その左に白い標柱があります。 その標柱は元 (もと)は文字が書いてあったようですが、白いペンキで見えなくなっていました。



写真BA: 手前の左寄りの柱は、古い石の鳥居 (とりい)の部品と思われます。 その右に石造物があります。 北を見たものです。



写真BB: 天満宮の南側の様子 (ようす)です。



写真BC: 西を見たものです。



写真BD: 左下は古い鳥居 (とりい)の柱の部分と思われます。 中央に石造物があります。 左上は社殿です。



写真BE: 古い鳥居 (とりい)の柱、左端に鳥居の水平部分が見えます。



写真BF: 社殿の南側面です。



写真BG: 社殿の南側面。 窓もあります。



写真BH: 左端は古い鳥居の石の水平部分、その右は石の柱と思われます。



写真BI: 中央付近は古い鳥居の上の水平部分です。



写真BJ: 東を見たものです。 社殿、集会所、遠くに高い送電線鉄塔があります。



写真BK: 北東を見たものです。



写真BL: 北西を見たものです。



写真BM: 左から古い鳥居 (とりい)の柱、石造物、見えなくなっていた標柱、赤い鳥居です。



写真BN: 赤い鳥居 (とりい)のそばに石 (あるいはコンクリート)があります。



写真BO: 社殿に「天満宮」と書いてある額 (がく)があります。 しめ縄もあります。 社殿の格子 (こうし)が見えます。



写真BP: 社殿の上部です。



写真BQ: 社殿の下部です。



写真BR: 社殿の近くです。



写真BS: 佐土原 天満宮の社殿の中です。



写真BT: 社殿の中です。 中央付近上に千羽鶴 (せんばづる)を掛 (か)けてあります。



写真BU: 社殿の中の千羽鶴です。



写真BV: 社殿の中です。



写真BW: 社殿の中。



写真BX: 佐土原 天満宮のお賽銭箱 (さいせんばこ)です。



写真BY: 格子戸 (こうしど)に鎖 (くさり)と錠前 (じょうまえ)があります。 お賽銭箱 (さいせんばこ)も見えます。



写真BZ: 社殿の北側面です。



写真CA: 社殿の西側面です。



写真CB: 社殿の西側面の上部です。



写真CC: 北を見たものです。 右に集会所の西側面が見えます。



写真CD: 西を見たものです。 社殿の南側面です。



写真CE: 南側面の下部です。 大きめの石があります。



写真CF: 佐土原 天満宮にある「石」です。 古い墓かもしれません。



写真CG: 東を見たものです。 天満宮の近くの先ほどの十字路です。



写真CH: 南を見たものです。 遠くに溜池 (ためいけ)の堤防が見えます。 山の上に送電線鉄塔があります。
手前は県道326号線です。



写真CI: 県道326号線です。 南東を見たものです。



写真CJ: 左に佐土原浄水場の大きな丸いタンクが見えます。 田んぼに稲が育っています。



写真CK: 左は佐土原浄水場です。 右に丸いタンクもあります。 上水を供給している所です。 北東を見たものです。
 「佐土原浄水場 (さどわらじょうすいじょう)」は宮崎県 宮崎市 佐土原町 下田島 5025 にあります。



写真CL: 北を見たものです。 佐土原浄水場が見えます。 上水を家庭などに供給している所です。



写真CM: 高い送電線鉄塔です。 北西を見たものです。



写真CN: 遠くに丸い上水のタンクが見えます。 北東を見たものです。 手前の田んぼに稲が育っています。 右に農産物の直販所 「畑ぼら」の駐車場が見えます。



写真CO: 小川 (用水路)があります。 北東を見たものです。



写真CP: コイン精米機 (脱穀機 (だっこくき))があります。 「こめ太郎」と書いてあります。 左に飲料水の自動販売機も見えます。 北東を見たものです。 右は農産物の直販所 「畑ぼら」です。



写真CQ: 野菜などを販売している農産物直販所 「畑ぼら」です。 駐車場に車が止 (と)まっています。



写真CR: 金丸井堰、金丸用水路の説明板、石碑が見えます。 手前は県道326号線です。 北を見たものです。
「一ツ瀬川筋土地改良事業 記念碑、 宮崎県知事 黒木博 一ツ瀬川筋土地改良区」と書いてある石碑(せきひ)。 昭和45年2月建立。 
「金丸幹線用水路」の説明板です。
 この用水路は、「農業用の施設」です。
農家の人たちがこの水路から田に水を引いて米や野菜を作っているとても大切な施設ですから、ゴミや空きかんをすてないようにしましょう。
金丸幹線用水路の歴史
 この地域の水田は、明治4年金丸惣八 (かねまるそうはち)が建設された金丸堰(せき)から用水しています。
氏は、旧佐土原藩士として、江戸時代の安政3年 (1856年)に時の家老 曽小川久郷 (そおかわひささと)と共に全国を視察して、開田 (水を引いて水田を作ること)の必要性を説(と)き、藩主の命令により自ら設計し、井堰(いせき)を築くと共に約 4 km 用水路を引き、黒生野、柳瀬 一帯の約 40 ha の開田を行ないました。
 その後、度重(たびかさ)なる台風により金丸堰は、何度も壊(こわ)れましたが、昭和50年に今の井堰(いせき)が完成しました。 また、用水路は次々に延長工事が行われ、現在では、約 17 km にもおよぶ用水路で大字上田島、下田島 一帯をかんがいし、地域の発展に大きく役立っています。
金丸用水路の概要
1.水路延長 17020 m、2.受益面積 364 ha。
*井堰とは!!
 川の水をせき止め、(水面を上げ)水路を通して田畑に水を引き入れたり、水の量を調節するための施設で、別名「頭首工 (とうしゅこう)」とも呼んでいます。
地区概要図も載っています。
管理者 一ツ瀬川筋土地改良区、製作者 宮崎県土地改良事業団体連合会
と書かれています。



写真CS: 「うなぎ」と書いてある幟 (のぼり)もあります。 「畑ぼら」と建物に書いてあります。 右に飲料水の自動販売機があります。 農産物直販所です。 北東を見たものです。



写真CT: このような花が咲いていました。



写真CU: 野草の「ムラサキカタバミの花」が咲いていました。



写真CV: 東を見たものです。



写真CW: 野草の「ヒメジョオンの花」が咲いていました。



写真CX: 野草の「アザミの花」が咲いていました。



写真CY: 野草の「ツバナ (チガヤ)の穂 (ほ)」がありました。



写真CZ: 先に進むと字田島の「下田島神社の分社」があります。 県道326号線です。 東を見たものです。



写真DA: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 西を見たものです。



写真DB: 南西を見たものです。



写真DC: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 右に道があり、橋が見えます。 西を見たものです。



写真DD: 南西を見たものです。 山の上に送電線鉄塔があります。



写真DE: 南を見たものです。 このあたりで昭和30年頃 (ごろ)夜に、おじさんの自転車の荷台に乗って広瀬 (今の下田島)から佐土原 (今の上田島)に戻 (もど)る途中 (とちゅう)に「ホタルの光り」を見たことがあります。 懐 (なつ)かしい思い出です。



写真DF: このあたりで昭和30年頃 (ごろ)夜に「ホタルの光り」を見たことがあります。 送電線鉄塔があります。



写真DG: 東を見たものです。



写真DH: 東を見たものです。 県道326号線の北側に小川 (用水路)があります。



写真DI: 北を見たものです。 手前に小川 (用水路)があります。



写真DJ: 小川 (用水路)の橋が見えます。 北西を見たものです。



写真DK: 西を見たものです。



写真DL: 野草の「キキョウソウの花」が咲いていました。



写真DM: 東を見たものです。 三叉路 (さんさろ)があります。



写真DN: バス停「西田島 宮崎交通」があります。 南東を見たものです。



写真DO: 北を見たものです。 先の木のあるところ辺 (あた)りに古月禅師 誕生地 (こげつぜんしたんじょうち)や佐賀利神社があります。 また、旧国鉄の妻線の鉄橋が残っています。 高い送電線鉄塔があります。



写真DP: 南東を見たものです。 コイン精米機が見えます。



写真DQ: 「もみすり クリーン精米屋」と書いてあります。 コイン精米機です。



写真DR: 東を見たものです。 左に旧道の名残り (なごり)が見えます。 ここで車のスピード違反の取締 (とりしまり)をやっていたことがあります。



写真DS: 左遠くに字田島の「下田島神社の分社」の鎮守の森 (ちんじゅのもり)が見えてきました。 西を見たものです。



写真DT: 旧道と県道326号線のところにツツジの花が咲いていました。 東を見たものです。



写真DU: イヌマキ (一ツ葉)の木をきれいに剪定 (せんてい)してあります。 北を見たものです。



写真DV: 「サルビアの花」が咲いていました。



写真DW: 「パンジーの花」が咲いていました。



写真DX: 南西を見たものです。 「県道 326 宮崎」、「主要地方道 宮本新町線」、「道路標高 6.6 m 」と書いてある道路標識があります。 左上に山の上の送電線鉄塔が見えます。



写真DY: 中央奥に字田島の「下田島神社の分社」の鎮守の森 (ちんじゅのもり)が見えます。 「耳鼻咽喉科 内科 佐土原病院 (上田島中心部)」と電柱に書いてあります。



写真DZ: 左に消防団の建物があります。 その奥は「下田島神社の分社」の鎮守の森 (ちんじゅのもり)です。 その奥に福田酒店があります。 東を見たものです。



写真EA: バス停「田島 宮崎交通」があります。 南東を見たものです。
この田島 (たじま)が佐土原町の上田島、下田島の由来 (ゆらい)です。 ここは宮崎市 佐土原町 下田島 (字 (あざ)田島) です。



写真EB: 宮崎市消防団 佐土原分団第14部車庫の建物です。 奥は下田島神社の分社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)です。



写真EC: 奥に下田島神社の分社の木が見えます。 右は郷土の名木「イチョウ」でその左に2本の高いケヤキの木があります。 このイチョウとケヤキは秋になると黄色、赤に紅葉して美しく目立 (めだ)ちます。



写真ED: 「宮崎市消防団 佐土原分団第14部車庫」と書いてあります。 上に赤いランプがあります。 右の木は下田島神社の分社の木です。



写真EE: 「この土地は 標高8.3 m 津波に注意! 強い揺 (ゆ)れを感じたら、すぐに高い場所へ避難してください。 津波は短時間で到達することがあります。 宮崎市」
と書いてあります。



写真EF: 左は字 (あざ)田島の下田島神社の分社です。 石の鳥居 (とりい)、郷土の名木 「イチョウ」、その左に2本のケヤキの木、社殿、石灯籠 (いしどうろう)、門、掲示板 (けいじばん)などがあります。 その奥に福田酒店が見えます。 東を見たものです。



写真EG: 右から郷土の名木 「イチョウ」、2本のケヤキ、左端はセンダンの木です。 字 (あざ)田島の下田島神社の分社です。 北東を見たものです。
境内 (けいだい)に郷土の名木 イチョウがあります。 大きな2本のケヤキの木もあります。 北側は見晴らしがとても良い。



写真EH: 下田島神社の分社です。



写真EI: 北を見たものです。 左上は消防団の車庫です。



写真EJ: 三叉路 (さんさろ)になっています。 福田酒店が見えます。 東を見たものです。



写真EK: 下田島神社の分社の鳥居 (とりい)、しめ縄、右に石碑 (せきひ)、郷土の名木 「イチョウ」、その奥にケヤキの木、石灯籠 (いしどうろう)、左に集会所が見えます。 北を見たものです。



写真EL: 鳥居 (とりい)の下部です。



写真EM: 北西を見たものです。 中央は集会所 (田島地区学習等供用施設)です。 左は宮崎市消防団 佐土原分団第14部車庫の建物です。



写真EN: 左は社殿です。 北を見たものです。 神社の東側に道路があります。 ここは下り坂になっています。



写真EO: 穴の空 (あ)いた石造物があります。



写真EP: 「慰霊碑 (いれいひ)」があります。 その左に郷土の名木 「イチョウ」が見えます。 社殿も見えます。



写真EQ: 慰霊碑 (いれいひ)に供え物 (そなえもの)があります。 慰霊碑の下部です。



写真ER: 慰霊碑 (いれいひ)の近くです。 柵 (さく)があります。



写真ES: 手水鉢 (ちょうずばち)があります。 手ぬぐいもあります。



写真ET: 「奉納 平成29年 田島婦人会」と書いてある手ぬぐいです。



写真EU: 「郷土の名木 (イチョウ) 宮崎市、指定番号 第344号 平成27年2月18日」と書いてある標柱があります。 右がそのイチョウです。 北東を見たものです。



写真EV: 鳥居 (とりい)の柱に「昭和9年11月 建立 (こんりゅう、作ること。)」と彫 (ほ)ってあります。



写真EW: 「昭和9年11月 建立 (こんりゅう、作ること。)」と彫 (ほ)ってあります。 鳥居 (とりい)です。



写真EX: 右から慰霊碑 (いれいひ)、郷土の名木 イチョウ、標柱、2本のケヤキ、左上は社殿の屋根です。 北東を見たものです。



写真EY: 郷土の名木 イチョウの中部です。 字田島の下田島神社の分社。



写真EZ: 郷土の名木 イチョウです。



写真FA: 見上 (あ)げた郷土の名木 イチョウです。



写真FB: 字 (あざ)田島の「下田島神社の分社」。 郷土の名木 イチョウの上部です。



写真FC: 郷土の名木 イチョウの最上部です。



写真FD: 東を見たものです。 左は郷土の名木 イチョウ、側面から見た慰霊碑 (いれいひ)です。



写真FE: 「郷土の名木 (イチョウ) 宮崎市、指定番号 第344号 平成27年2月18日」と書いてある標柱です。



写真FF: イチョウの根元 (ねもと)から新しく多くの芽 (め)が伸 (の)びています。 右は「郷土の名木 (イチョウ) 宮崎市、指定番号 第344号 平成27年2月18日」と書いてある標柱。



写真FG: イチョウの色づく時期には、このようなハロゲンランプで夜間のライトアップが行われています。



写真FH: イチョウ照明のハロゲンランプです。



写真FI: 黄色に色づいた下田島神社の分社のイチョウです。 その右のケヤキの木 (2本)の葉は紅葉の盛 (さか)りが過ぎています。 11月29日の写真です。



写真FJ: 黄色に色づいたイチョウとケヤキです。



写真FK: ケヤキの木です。



写真FL: 鳥居 (とりい)、社殿、慰霊碑 (いれいひ)、夜間照明などです。



写真FM: 下田島神社のイチョウの中部です。 郷土の名木です。



写真FN: イチョウの上部です。



写真FO: イチョウの夜間照明 (ライトアップ)のハロゲンランプです。



写真FP: 「ハロゲン投光器、500 W 100 V 50-60 Hz」と書いてあります。



写真FQ: こちらにもハロゲンランプがあります。



写真FR: 下田島神社の分社の境内 (けいだい)です。



写真FS: イチョウの中部です。



写真FT: 黄葉したイチョウの上部です。



写真FU: 地面に落ちたイチョウの黄色の葉です。



写真FV: イチョウの黄葉です。



写真FW: このようにイチョウの葉の破れ目 (われめ)が深いのは「雄」のイチョウと聞いたことがあります (これは俗説で、正しくありません。)。
「イチョウ (銀杏)」は雌雄異株です。 化石植物と言われます。 樹高は30 m にもなります。 長命です。 化石は世界中で見つかっています。 10〜11世紀に中国南部で現存していることが分かりました。 それから世界中に広がりました。 樹脂細胞がないので「まな板」に最適の木です。 葉の中央の切れ込 (こ)み (割れ目)は大きいものからほとんど無いものまで変異があります。 果実のように見える種子が枝に付きます。 その外種皮はフェノール性物質があり、皮膚 (ひふ)につくとかぶれます。 中はギンナンとして食用になります。



写真FX: イチョウの北側にある2本のケヤキです。



写真FY: 神社の東沿 (ぞ)いの道です。 黄色のイチョウの落ち葉があります。 北を見たものです。



写真FZ: 商店の前から見たイチョウです。



写真GA: 「ZERO SUGAR コカ・コーラ」を飲みました。



写真GB: 10月9日のイチョウとケヤキです。 少し黄色と赤みがそれぞれ見えます。
イチョウとケヤキの葉の色の変化を4 枚の写真で示します。



写真GC: 10月25日のイチョウとケヤキです。



写真GD: 10月30日かなり黄色になったイチョウ紅葉が真っ盛り (まっさかり)のケヤキです。 下田島神社の分社です。



写真GE: 11月29日の下田島神社の分社のイチョウとケヤキです。 ケヤキは紅葉の盛りが過ぎていますが、イチョウは今が盛り (さかり)です。



写真GF: 横にしてある「献灯 (けんとう)」、「支那 (しな)事変・・・」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)、石造物があります。 右上は慰霊碑 (いれいひ)です。



写真GG: 南東から見た社殿です。 左上はイチョウの枝と葉です。 字 (あざ)田島の下田島神社の分社。



写真GH: 社殿の下部です。 しめ縄が見えます。 入り口に踏み石 (ふみいし)があります。 窓もあります。



写真GI: しめ縄もあります。 字田島の下田島神社の分社です。



写真GJ: 石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真GK: こちらにも石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真GL: 正面から見た社殿です。 横木に象の彫り物 (ほりもの)があります。 他 (ほか)の彫り物もあります。 ガラスは不透明のものが使われているようです。 字田島の下田島神社の分社。



写真GM: 社殿の下部です。 しめ縄、柱、踏み石 (ふみいし)があります。



写真GN: 社殿の近くです。



写真GO: 社殿の東側面とケヤキの木が見えます。 北を見たものです。



写真GP: 社殿の屋根がよく分かります。



写真GQ: 社殿の近くです。



写真GR: 社殿の東側面です。



写真GS: 境内 (けいだい)の東端に2本のケヤキが生 (は)えています。



写真GT: 2本のケヤキの中部です。 左上は社殿です。



写真GU: 境内 (けいだい)の2本のケヤキです。



写真GV: 2本のケヤキの上部です。



写真GW: 見上 (あ)げたケヤキです。 字田島の下田島神社の分社。



写真GX: 境内 (けいだい)の北東部分です。



写真GY: 北西を見たものです。 開墾 (かいこん)記念碑があります。 木はセンダンです。 開墾 (かいこん)記念碑の左は防災用具のプレハブ倉庫、左端は集会所 (田島地区学習等供用施設)です。



写真GZ: 「開墾 (かいこん)記念碑」です。 左は防災用具のプレハブ倉庫です。 北を見たものです。



写真HA: 開墾 (かいこん)記念碑の下部です。



写真HB: 門、掲示板 (けいじばん)、県道326号線も見えます。 山、民家、送電線鉄塔もあります。



写真HC: 左上に郷土の名木 イチョウ、鳥居 (とりい)、石灯籠 (いしどうろう)、慰霊碑 (いれいひ)、社殿、掲示板 (けいじばん)などがあります。



写真HD: 社殿の西側面です。 窓もあります。



写真HE: 北東を見たものです。 開墾 (かいこん)記念碑、ケヤキの木、社殿、左端に防災用具のプレハブ倉庫があります。



写真HF: 「宮崎市自主防災隊」と書いてあります。 防災用具のプレハブ倉庫でしょう。 右は開墾 (かいこん)記念碑。



写真HG: 北を見たものです。 センダンの木があります。 左に「田島学習等供用施設 竣工 (しゅんこう、完成すること。)記念碑」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)があります。



写真HH: 境内 (けいだい)に集会所 (田島地区学習等供用施設)があります。 北西を見たものです。



写真HI: 集会所です。



写真HJ: 西を見たものです。 左は消防団の車庫です。 右は集会所 (田島地区学習等供用施設)。



写真HK: 中央に消防ホースを高く吊 (つ)るして乾燥させるポール (柱)があります。 その奥に倉庫、消防団の車庫、集会所があります。 門も見えます。 南西を見たものです。



写真HL: 門も見えます。 南を見たものです。



写真HM: 「田島地区学習等供用施設」と書いてあります。



写真HN: 入り口のドアに、「この土地は 標高9.8 m 津波に注意! 強い揺 (ゆ)れを感じたら、すぐに高い場所へ避難してください。 津波は短時間で到達することがあります。 宮崎市」
と書いてあります。



写真HO: 南を見たものです。 右は集会所 (田島地区学習等供用施設)です。



写真HP: 南東を見たものです。



写真HQ: 字田島の下田島神社の分社です。



写真HR: 左はセンダンの木、右は2本のケヤキの木です。 東を見たものです。



写真HS: 「田島学習等供用施設 竣工 (しゅんこう、完成すること。)記念碑」と彫 (ほ)ってあります。



写真HT: 集会所の入り口のそばです。



写真HU: 集会所の北側面です。



写真HV: 集会所の北側面。



写真HW: 東を見たものです。 境内 (けいだい)の北端です。



写真HX: 田んぼ、集落、道路、林などがあります。



写真HY: 北東を見たものです。 字田島の「下田島神社の分社」から見た景色 (けしき)です。



写真HZ: 北を見たものです。 送電線鉄塔があります。 農業用ビニールハウス、田んぼ、民家、新田原台地などが見えます。



写真IA: 北西を見たものです。 多くの農業用ビニールハウスもあります。



写真IB: 西を見たものです。 左は集会所。



写真IC: 田島学習等供用施設 (集会所)の西側面です。



写真ID: 消防団の車庫の西側面です。 左端は集会所です。 北を見たものです。



写真IE: 消防団 (宮崎市消防団 佐土原分団第14部)の車庫の北側面です。 郷土の名木 イチョウも見えます。



写真IF: 左の集会所と消防団の車庫の間です。



写真IG: 集会所と右の消防団の車庫です。 東を見たものです。



写真IH: 左の集会所と消防団の車庫の間の上部です。



写真II: 中央は濡 (ぬ)れた消防ホースを高く吊 (つ)るして乾燥させるためのポール (柱)です。 ロープ、横棒も上部に見えます。 宮崎市消防団 佐土原分団第14部のものです。



写真IJ: ポールの中部です。 集会所に円形の時計が見えます。 左は消防団の車庫とプレハブ倉庫です。 北西を見たもの。



写真IK: ポールの下部です。 構造がよく分かります。 消防ホースを上に持ち上げるためのワイヤーロープ、巻き取り機、横棒も見えます。 宮崎市消防団 佐土原分団第14部。



写真IL: 宮崎市消防団 佐土原分団第14部車庫です。 北西を見たもの。



写真IM: 西を見たものです。 県道326号線です。 右は消防団の車庫です。 ここは宮崎県 宮崎市 佐土原町 下田島 字田島です。



写真IN:  南を見たものです。 ツツジの花が見えます。



写真IO:  掲示板 (けいじばん)があります。 「交通安全」と書いてあります。



写真IP: 「佐土原花しょうぶまつり」のポスター、「ただの文字 ラインやメール 顔はどこ。」、「「いいっちゃが」 何を根拠に そう言うの?」と書いてあります。 宮崎市教育委員会の標語が見えます。



写真IQ: 「自転車は車のなかま」、「基本は安全確認です」などのポスターがあります。 掲示板です。



写真IR: 神社の東側に道があります。 北を見たものです。 左は社殿です。



写真IS: 道から北を見たものです。



写真IT: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 右は神社の境内 (けいだい)です。



写真IU: 東を見たものです。



写真IV: 小川 (用水路)の橋があります。 送電線鉄塔が3つ見えます。 田んぼ、集落も見えます。 東を見たものです。



写真IW: 小川 (用水路)が手前に見えます。 北東を見たものです。



写真IX: 北を見たものです。 遠くに新田原台地 (にゅうたばるだいち)が見えます。 農道もあります。 小川 (用水路)に小型の橋があります。



写真IY: 北西を見たもの。 送電線鉄塔があります。 農業用ビニールハウスがたくさん並 (なら)んでいます。



写真IZ: 西を見たものです。 送電線鉄塔が数本見えます。 左は神社の境内 (けいだい)です。 農業用ビニールハウスもあります。



写真JA: 小川 (用水路)のそばに石碑 (せきひ)、祠 (ほこら)、御幣 (ごへい)があります。 祀 (まつ)られています。 小川 (用水路)の構造がよく分かります。 北東を見たものです。



写真JB: 南を見たものです。 社殿も見えます。



写真JC: 南西を見たものです。 集会所、センダンの木も見えます。



写真JD: 野草の「トキワツユクサの花」が咲いていました。



写真JE: 神社の境内の南東部です。



写真JF: 西を見たものです。 右端に鳥居 (とりい)があります。



写真JG: 東を見たものです。 左端は福田酒店です。 県道326号線。



写真JH: 神社の隣 (とな)りにある福田酒店です。 「酒 たばこ」、「霧島 (焼酎)」、郵便ポストもあります。 飲料水などの自動販売機もあります。
ここは宮崎県 宮崎市 佐土原町 下田島 字田島 です。



写真JI: バス停「田島 宮崎交通」があります。 車道が広がっているのはバスが停車するためです。



写真JJ: 「福田酒店」です。 郵便ポストもあります。 北西を見たもの。



写真JK: 大きな木の左の部分が郷土の名木 イチョウです。 その右に2本のケヤキの木があります。 県道326号線を車で通るとこのイチョウとケヤキは特に秋は色づいて美しく目立ちます。



写真JL: 来た道を戻 (もど)ります。 ここは旧道と県道326号線が並行している部分です。 手前は旧道です。 西を見たものです。



写真JM: 北西を見たものです。 送電線鉄塔が見えます。 手前は小川 (用水路)です。



写真JN: 北を見たものです。



写真JO: 北東を見たものです。 小川 (用水路)の構造がよく分かります。



写真JP: 左は旧道が残っています。 右は県道326号線です。 東を見たものです。



写真JQ: 「アジサイの花」が咲いていました。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)