黒北発電所、清武川、八坂神社 (黒北大将軍神社、黒北祇園神社) (現存するものでは九州最古の発電所、宮崎県で最も古い事業用発電所の黒北発電所 (明治40年運転開始。石造りの建物は国の登録文化財、現在は無人で遠方監視制御。最大出力200 kW、水車と発電機はドイツ製で当時のものが動いています。建物も当時の石造りで瓦葺 (かわらぶき)きです。)、水路、沈砂池、太いパイプ、放水路、九州電力、日向水力電気株式会社、柴岡晋、前の下橋、東九州自動車道の清武川橋、黒北川の河鹿大橋 (かじかおおはし))  (宮崎県 宮崎市 清武町 大字船引 字川平)







<標高、位置>  県道13号線と県道336号線の交差点 (十字路)は
標高 約40 m
 北緯31度52分50秒  東経131度21分27秒

<標高、位置>  八坂神社は
標高 約40 m
 北緯31度52分39秒  東経131度21分21秒

<標高、位置>  清武川の「前の下橋」は
標高 約40 m
 北緯31度52分37秒  東経131度21分19秒

<標高、位置>  「黒北発電所」は
標高 約40 m
 北緯31度52分37秒  東経131度21分07

<標高、位置>  東九州自動車道の清武川にかかる「清武川橋」は
標高 約40 m
 北緯31度52分41秒  東経131度21分47秒

<標高、位置>  清武川の支流の黒北川にかかる「河鹿大橋 (かじかおおはし)」は
標高 約50 m
 北緯31度52分52秒  東経131度20分35秒


  「黒北発電所」は宮崎県 宮崎市 大字船引 字川平 3544番地 にあります。
黒北発電所は「現存するものでは」九州最古の発電所です。 九州で最初のものは熊本電灯会社 (明治24年7月、黒北発電所は明治40年7月3日。)でした。 宮崎県では初の一般家庭向けの事業用発電所です。 石造りの平屋建てで建築面積は78 平方メートル、アーチ式の明り取り窓、縦長の窓など洋風建築の様式が取り入れられています。 石は清武石が用いられました。 1秒間にドラム缶 (かん)約8本の水を流して発電します。 排水口は石造りのアーチ型です。 当時の電気料金は20 W 1灯で1ヶ月に70銭 (現在の約¥6500)と高額でした。 日向水力電気株式会社でしたが、1942年4月に九州配電株式会社に統合され、1951年5月に九州電力に引き継 (つ)がれました。 現在は管理人さんは現地にいますが、宮崎支店総合制御所 (宮崎市)から遠方監視制御 (せいぎょ)されています。
「黒北発電所のご案内」の説明板から、
 ここ、黒北発電所は、宮崎県で最も古い事業用発電所として、明治40年 (1907年)7月3日に運転を開始しました。 以来、現在も働き続けている由緒 (ゆいしょ)ある発電所で、建物はその当時の面影 (おもかげ)を色濃く残しています。 宮崎に初めて明かりを灯 (とも)したこの発電所は、平成9年 (1997年)5月7日、建物が宮崎県では初めて国の登録文化財に登録されました。
 現在は、原子力発電所や火力発電所が主力となっていますが、水力発電所は、純国産エネルギーとして貴重な供給力です。
 この黒北発電所は、建設以来、3名ないし4名で運転していましたが、現在は無人であり宮崎支店総合制御所 (宮崎市)から遠方監視制御 (せいぎょ)されています。 (駐車場、便所あります。)
発電所の概要図も載 (の)っています。
取水ダム、取水口、水路、水槽 (すいそう)、水圧鉄管 (パイプ)、水車、発電機、清武川。 最大出力 200 kW、最大使用水量 1.67 立方メートル/秒、有効落差 16.67 m 、水車 ドイツ製 フォイト社 1906年製、発電機 ドイツ製 アルグマイネ社 1906年製。 九州電力。
 黒北発電所にある「記功碑 (ひ)について」の説明板から、
 (この記功碑は、発電所上流 沈砂池内に建立 (こんりゅう)されていたが、広く公開するために昭和63年3月この地に移設したものである。)
(碑文 (ひぶん)要約)
 ある日、柴岡晋 氏が汽車に乗っていると、隣の席で「国を発展させるためには工業をおこさねばならない。 そのためには水力発電所を造り、工場の動力に電気を使うことだ。」と熱心に話しているのを耳にした。 柴岡 氏はこの話に感動し、日々考えつづけた。 ついに明治33年 大和田伝蔵 氏と共に賛同者を募 (つの)り、発電所建設に踏 (ふ)み切った。 最初に計画した鵜木川 (宮崎市南部)は地形が悪く断念。 翌年 (よくねん)、清武川北岸に再度計画し、測量や設計も終わったが、経験の無い者が進める事業に対する不安から、投資をする人がなく建設計画は暗礁 (あんしょう)にのりあげた。 またまた四国の松山に電気事業にくわしい才質藤吉という人がいることを聞き、柴岡・大和田 両氏は松山に出向いた。 対面してみると才質 氏は、数年前 車中で隣り合った人だった。 お互 (たが)いその奇遇に驚くとともに意気投合。 宮崎に来た才質 氏は、計画地点を1目見るなり、清武川北岸より南岸が良いと判定した。 測量してみると才質 氏の云 (い)う通りで、氏の見識の深さに皆感銘 (かんめい)した。 しかし、府県廃合や日露戦争の勃発 (ぼっぱつ)などで、建設は再度中断した。 ようやく明治39年5月、日向水力電気株式会社を設立。 資金10万円を投 (とう)じて工事開始、(明治)40年7月完成。 8月から営業を開始した。 電灯の便利さを知った人々は競 (きそ)って使用するようになり、夜もこうこうと不夜城のようになり、文明の灯 (ひ)はたちまち広がっていった。 ここに創業者の苦難と功績を記 (しる)して永遠に伝えたい。 明治44年10月 日向水力電気株式会社 建立 (こんりゅう)
碑文 (ひぶん)の題字は才質藤吉 書、碑文は多賀谷良策選弁書。

 「八坂神社 (黒北大将軍神社、黒北祇園神社)」は宮崎県 宮崎市 清武町 大字船引 にあります。
黒北大将軍神社でも五穀豊穣と子孫繁栄を祈願 (きがん)して船引神楽が奉納されます。
黒北 大将軍 祇園 (ぎおん) 神社 建立 (こんりゅう)記念碑 (ひ)の碑文 (ひぶん)から、
黒北大将軍神社は古代より黒北の守り神として区民に熱い御神仰を仰 (あお)いでた。 この神社が平成2年9月29日の大水害にあう。 天井 (てんじょう)近く迄 (まで)の水位にも1分の動きも無かった御神殿に区民も但 (ただ)驚くばかり其 (そ)の後 河川改修工事が始まり大将軍神社も移転する事に成 (な)り、清武町県土木事務所等の職員の方々の懸命成 (な)る働き、又区民の御協力で平成4年10月 大将軍神社 新築工事が始まり、同年12月末日 無事完成する。 平成5年3月吉日。

 「清武川 (きよたけがわ)の河口」は宮崎県 宮崎市 大字熊野にあります。 河口の北岸も南岸も大字熊野にあります。 清武川は日向灘 (太平洋)に注 (そそ)いでいます。 宮崎市にある鰐塚山 (わにづかやま)に源流があります。 延長は約29 km 、流域面積は166 平方キロメートルの2級河川です。 田野や清武を流れています。 清武川の河口を含む海岸一帯は「アカウミガメ及びその産卵地 (県指定天然記念物)」になっています。 清武川には上流部にはヤマメも生息 (せいそく)しています。 鮎 (あゆ)、ニホンウナギ、ギンブナ、タカハヤ、スズキ、トビハゼ、マハゼ、アカメなどの魚も住んでいます。 江戸時代初期の1662年 (寛文2年)の外所 (とんところ)地震で加江田川河口付近が陥没 (かんぼつ)し、入江になりました。 入江になったところには外所などの7つの村があり、海没しました。 地震後は北の清武川は入江に注 (そそ)ぐようになりました。 清武川は加江田川の河口に合流していました。 昭和14年10月15日の台風で清武川は再び直接日向灘 (太平洋)に流れ込 (こ)むようになり、加江田川の河口とは別になりました。 1979年 (昭和54年)国体が宮崎で開かれることになり、湿地帯 (干潟 (ひがた))を埋 (う)めたてて、県立総合運動公園となりました。


写真A: 南西を見たものです。 左の道を進むと「黒北発電所」、八坂神社に行きます。 右の道 (県道336号線)を進むと田野町、田野運動公園に行きます。 手前に進むと黒北で県道13号線との交差点があります。 ここは宮崎市 清武町 大字船引です。



写真B: 三叉路 (さんさろ)の近くです。



写真C: 北東を見たものです。 県道336号線です。 先に進むと黒北で県道13号線との交差点があります。



写真D: 西を見たものです。 県道336号線です。 先に進むと田野運動公園、田野町に行きます。



写真E: 南を見たものです。 清武川の「前の下橋」が見えます。 黒北発電所へはこの橋を渡って右 (西)に進みます。 バス停「発電所入口 宮崎交通」があります。 左端に神社の社殿が見えます。



写真F: 神社に大きな木があります。



写真G: 八坂神社が見えます。 2つの社殿があります。 南東を見たものです。
「八坂神社 (黒北大将軍神社、黒北祇園神社)」は宮崎県 宮崎市 清武町 大字船引 にあります。



写真H: 東を見たものです。 遠くに東九州自動車道の清武川にかかる「清武川橋」が見えます。



写真I: 八坂神社の近くです。 北東を見たものです。



写真J: 三叉路 (さんさろ)が見えます。 北を見たものです。



写真K: バス停「発電所入口 宮崎交通」があります。



写真L: 八坂神社のそばにある清武川の「前の下橋 (平成5年10月竣工 (完成すること。))」です。 南を見たものです。



写真M: 清武川の左岸 (下流を見て左。)の堤防の上に道があります。 この堤防を先 (西)に進むと黒北発電所の「排水口」が対岸に見えます。 最後にそこに行きました。



写真N: 東を見たものです。 右は清武川で、左は八坂神社です。



写真O: 「2級河川清武川」と橋に書いてあります。



写真P: 「前の下橋」と書いてあります。



写真Q: 橋の上から清武川の上流方向を見たものです。 中央右寄りに「黒北発電所」のトイレなどが小さく見えています。 黒北発電所は清武川の右岸 (下流を見て右。)にあります。



写真R: 前の下橋から見たものです。 右に黒北発電所のトイレなどが見えています。 左寄り上部には黒北発電所の水路のゴミ取り装置などがある所が小さく見えています。 そこから太いパイプで水を落として発電機を回し発電します。
「黒北発電所」は宮崎県 宮崎市 大字船引 字川平 3544番地 にあります。



写真S: 東を見たものです。 遠くに東九州自動車道の清武川にかかる「清武川橋」が見えます。 左端に八坂神社が見えます。 清武川の下流方向を見たものです。 前の下橋から。
 「清武川 (きよたけがわ)の河口」は宮崎県 宮崎市 大字熊野にあります。 河口の北岸も南岸も大字熊野にあります。 清武川は日向灘 (太平洋)に注 (そそ)いでいます。 宮崎市にある鰐塚山 (わにづかやま)に源流があります。 延長は約29 km 、流域面積は166 平方キロメートルの2級河川です。 田野や清武を流れています。 清武川の河口を含む海岸一帯は「アカウミガメ及びその産卵地 (県指定天然記念物)」になっています。 清武川には上流部にはヤマメも生息 (せいそく)しています。 鮎 (あゆ)、ニホンウナギ、ギンブナ、タカハヤ、スズキ、トビハゼ、マハゼ、アカメなどの魚も住んでいます。 江戸時代初期の1662年 (寛文2年)の外所 (とんところ)地震で加江田川河口付近が陥没 (かんぼつ)し、入江になりました。 入江になったところには外所などの7つの村があり、海没しました。 地震後は北の清武川は入江に注 (そそ)ぐようになりました。 清武川は加江田川の河口に合流していました。 昭和14年10月15日の台風で清武川は再び直接日向灘 (太平洋)に流れ込 (こ)むようになり、加江田川の河口とは別になりました。 1979年 (昭和54年)国体が宮崎で開かれることになり、湿地帯 (干潟 (ひがた))を埋 (う)めたてて、県立総合運動公園となりました。



写真T: 左岸 (下流を見て左。)の堤防から河原に降りる階段があります。 左に八坂神社があります。



写真U: 北を見たものです。 前の下橋 (平成5年10月竣工 (完成すること。))です。 奥から来ました。



写真V: 前の下橋から見た東九州自動車道の清武川にかかる「清武川橋」です。 高い橋脚の橋です。



写真W: 前の下橋の下流方向を見たものです。 右の川床 (かわどこ)が岩でできていることが分かります。



写真X: 下流方向です。



写真Y: 南岸に道路があります。 右に進むと「黒北発電所」があります。 黒北発電所は明治時代 (明治40年)に造られた小型の発電所です。 南を見たものです。



写真Z: 西を見たものです。 先に進むと黒北発電所があります。 清武川の南岸です。



写真AA: 右に民家も見えます。



写真AB: 北西を見たものです。 手前は「前の下橋」です。



写真AC: 北を見たものです。 対岸の右に八坂神社が見えます。



写真AD: 北東を見たものです。



写真AE: 東を見たものです。



写真AF: 「まえのしたばし」と書いてあります。



写真AG: 「平成5年10月竣工 (完成すること。)」と橋に書いてあります。



写真AH: 南岸に「県営北今泉地区 特殊農地保全整備事業 黒北工区 竣工記念碑」があります。



写真AI: 前の下橋です。 北を見たものです。



写真AJ: 北西を見たものです。 遠くに見えるのは清武川の支流の黒北川にかかる「河鹿大橋 (かじかおおはし)」と思われます。



写真AK: 八坂神社です。 2つの社殿があります。 東を見たものです。



写真AL: 小さな社殿のそばに多くの石造物があります。 奥は清武川になっています。 南東を見たものです。



写真AM: 石仏が3体見えます。 江戸時代までの神仏習合で寺と神社が1体になっていた頃の石仏と思われます。



写真AN: いろいろな石造物があります。 北を見たものです。



写真AO: 石段です。



写真AP: 社殿です。 しめ縄 (なわ)もあります。 北を見たものです。



写真AQ: 東に大きな方の社殿が見えます。 ここにも石造物があります。 北東を見たものです。



写真AR: 北岸の堤防の上の道です。 左端は大きな方の社殿です。 東を見たものです。



写真AS: 小さな方の社殿の中です。 多くの仏像があります。



写真AT: 小さな方の社殿の中です。 榊 (さかき)を供 (そな)えてあります。



写真AU: 小さな方の社殿の中。 多くの仏像があります。



写真AV: 手前はお賽銭箱 (さいせんばこ)です。



写真AW: 酒などの供え物 (そなえもの)があります。



写真AX: 石造物と右は大きな方の社殿です。 北東を見たものです。



写真AY: 「山神」と彫 (ほ)ってある石があります。



写真AZ: 石造物と奥に古い社殿の屋根瓦 (やねがわら)を積 (つ)んであります。



写真BA: 円筒形のコンクリートは物を燃 (も)やす所と思われます。



写真BB: 「石鳥居 (いしどりい)記念」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)があります。



写真BC: 石造物と古い瓦 (かわら)です。



写真BD: 仏像と思われます。 石造物、奥に石碑 (せきひ)があります。 右は大きな方の社殿です。



写真BE: 鬼瓦 (おにがわら)もあります。 石仏があります。



写真BF: 奥は石碑 (せきひ)です。 北を見たものです。



写真BG: 石の鳥居 (とりい)があります。 手前に石碑 (せきひ)があります。 東を見たものです。



写真BH: 大きな方の社殿です。



写真BI: 北を見たものです。 石碑 (せきひ)が見えます。



写真BJ: 境内 (けいだい)の木と石造物です。



写真BK: 西を見たものです。 前の下橋が見えます。



写真BL: 鳥居 (とりい)と大きな方の社殿です。 しめ縄 (なわ)、石段もあります。 北を見たものです。



写真BM: 石段です。



写真BN: 手水鉢 (ちょうずばち)と水道の蛇口 (じゃぐち)、奥に石碑 (せきひ)があります。



写真BO: 手水鉢 (ちょうずばち)に「寄進 昭和54年8月吉日」と彫 (ほ)ってあります。



写真BP: 「黒北 大将軍 祇園 神社新築」の石碑 (せきひ)があります。
黒北大将軍神社でも五穀豊穣と子孫繁栄を祈願 (きがん)して船引神楽が奉納されます。



写真BQ: 「黒北 大将軍 祇園 神社新築」の石碑 (せきひ)です。
黒北大将軍神社でも五穀豊穣と子孫繁栄を祈願 (きがん)して船引神楽が奉納されます。



写真BR: 大きな方の社殿です。 しめ縄 (なわ)があります。



写真BS: 社殿です。



写真BT: 社殿の下部です。 階段があります。



写真BU: 社殿の近くです。



写真BV: 大きな方の社殿の中です。



写真BW: 社殿の中です。



写真BX: 社殿の中。 太鼓 (たいこ)もあります。



写真BY: 東から見た大きな方の社殿です。 鬼瓦 (おにがわら)があります。 こちらにも階段があります。



写真BZ: 石の鳥居 (とりい)が見えます。 奥に前の下橋があります。



写真CA: 清武川が見えます。



写真CB: 東九州自動車道の清武川橋が見えます。 東を見たものです。



写真CC: トイレがあります。



写真CD: 北を見たものです。 木を切ったものがあります。



写真CE: 北西を見たものです。



写真CF: 木の台があります。



写真CG: 大きな方の社殿の北側面が見えます。



写真CH: 社殿の上部です。



写真CI: 社殿の東側面です。



写真CJ: 社殿の東側面の下部です。



写真CK: 社殿の下部です。



写真CL: 大きな方の社殿の西側面です。 石の鳥居 (とりい)、手水鉢 (ちょうずばち)が見えます。



写真CM: 西を見たものです。 石碑 (せきひ)が見えます。 左奥は小さな方の社殿です。



写真CN: 「黒北 大将軍 祇園 (ぎおん) 神社 建立 (こんりゅう)記念碑 (ひ)」と彫 (ほ)ってあります。
黒北大将軍神社でも五穀豊穣と子孫繁栄を祈願 (きがん)して船引神楽が奉納されます。



写真CO: 「黒北大将軍神社は古代より黒北の守り神として区民に熱い御神仰を仰 (あお)いでた。 この神社が平成2年9月29日の大水害にあう。 天井 (てんじょう)近く迄 (まで)の水位にも1分の動きも無かった御神殿に区民も但 (ただ)驚くばかり其 (そ)の後 河川改修工事が始まり大将軍神社も移転する事に成 (な)り、清武町県土木事務所等の職員の方々の懸命成 (な)る働き、又区民の御協力で平成4年10月 大将軍神社 新築工事が始まり、同年12月末日 無事完成する。 平成5年3月吉日」
と書いてあります。



写真CP: 野草の「白いニワゼキショウの花」が咲いていました。



写真CQ: 野草の「ヒメジョオンの花」が咲いていました。



写真CR: 清武川の南岸の道路です。 奥から来ました。 右手に田んぼがあります。 手前側に進むと「黒北発電所」があります。 東を見たものです。



写真CS: 西を見たものです。 「黒北発電所」の発電機のある建物、大きな電柱、トランス、金網などが見えます。 西を見たものです。



写真CT: 左の斜面に、大きなパイプが右の建物に向かってあり、その中を水が勢いよく流れて、建物の中の発電機を回して発電します。 黒北発電所です。 西を見たものです。
「黒北発電所」は宮崎県 宮崎市 大字船引 字川平 3544番地 にあります。



写真CU: 南西を見たものです。 右に斜面の大きなパイプも白く見えます。 説明板、石碑 (せきひ)も見えます。



写真CV: 高くなっています。 そこから水を落として発電します。



写真CW: 南を見たものです。 田んぼ、竹林、杉林があります。 右に道路があります。



写真CX: 南東を見たものです。



写真CY: 東を見たものです。



写真CZ: 北東を見たものです。



写真DA: 北を見たものです。 奥には清武川があります。



写真DB: 北西を見たものです。 黒北発電所があります。



写真DC: 発電機のある建物に降りる坂道です。 資材などを運ぶための道路と思われます。 金網の扉 (とびら)があります。



写真DD: 発電機のある建物に下 (くだ)る舗装 (ほそう)した道路です。 左上に清武川が見えます。 北を見たものです。



写真DE: これが発電機のある建物です。 左に太い水を流すパイプが見えます。 黒北発電所は瓦葺 (かわらぶ)き、石造りの建物で、格子 (こうし)の入った窓、上にアーチ型の窓、電線、碍子 (がいし)などが見えます。 右上に清武川、左上に黒北発電所の別の建物があります。
「黒北発電所」は宮崎県 宮崎市 大字船引 字川平 3544番地 にあります。



写真DF: 奥の小さな方の建物の右に駐車場があります。 左に水を流す太いパイプが1本白く見えます。 建物の南側面の下部に水を流すパイプは来ています。



写真DG: 黒北発電所の大型の電柱とトランス、電線などが見えます。 西を見たものです。



写真DH: 右の道を進むと駐車場があります。 説明板、石碑 (せきひ)、斜面にツツジの木、上部には、水路のゴミ取り装置などの施設、水を流すパイプ、電柱、電線などが見えます。 南西を見たものです。



写真DI: 「黒北発電所のご案内」の説明板があります。
 ここ、黒北発電所は、宮崎県で最も古い事業用発電所として、明治40年 (1907年)7月3日に運転を開始しました。 以来、現在も働き続けている由緒 (ゆいしょ)ある発電所で、建物はその当時の面影 (おもかげ)を色濃く残しています。 宮崎に初めて明かりを灯 (とも)したこの発電所は、平成9年 (1997年)5月7日、建物が宮崎県では初めて国の登録文化財に登録されました。
 現在は、原子力発電所や火力発電所が主力となっていますが、水力発電所は、純国産エネルギーとして貴重な供給力です。
 この黒北発電所は、建設以来、3名ないし4名で運転していましたが、現在は無人であり宮崎支店総合制御所 (宮崎市)から遠方監視制御 (せいぎょ)されています。 (駐車場、便所あります。)
発電所の概要図も載 (の)っています。
取水ダム、取水口、水路、水槽 (すいそう)、水圧鉄管 (パイプ)、水車、発電機、清武川。 最大出力 200 kW、最大使用水量 1.67 立方メートル/秒、有効落差 16.67 m 、水車 ドイツ製 フォイト社 1906年製、発電機 ドイツ製 アルグマイネ社 1906年製
九州電力
と書かれています。



写真DJ: 「黒北発電所のご案内」の説明板です。
 ここ、黒北発電所は、宮崎県で最も古い事業用発電所として、明治40年 (1907年)7月3日に運転を開始しました。 以来、現在も働き続けている由緒 (ゆいしょ)ある発電所で、建物はその当時の面影 (おもかげ)を色濃く残しています。 宮崎に初めて明かりを灯 (とも)したこの発電所は、平成9年 (1997年)5月7日、建物が宮崎県では初めて国の登録文化財に登録されました。
 現在は、原子力発電所や火力発電所が主力となっていますが、水力発電所は、純国産エネルギーとして貴重な供給力です。
 この黒北発電所は、建設以来、3名ないし4名で運転していましたが、現在は無人であり宮崎支店総合制御所 (宮崎市)から遠方監視制御 (せいぎょ)されています。 (駐車場、便所あります。)
発電所の概要図も載 (の)っています。
取水ダム、取水口、水路、水槽 (すいそう)、水圧鉄管 (パイプ)、水車、発電機、清武川。 最大出力 200 kW、最大使用水量 1.67 立方メートル/秒、有効落差 16.67 m 、水車 ドイツ製 フォイト社 1906年製、発電機 ドイツ製 アルグマイネ社 1906年製
九州電力
と書かれています。



写真DK: 「黒北発電所のご案内」の説明板。
 ここ、黒北発電所は、宮崎県で最も古い事業用発電所として、明治40年 (1907年)7月3日に運転を開始しました。 以来、現在も働き続けている由緒 (ゆいしょ)ある発電所で、建物はその当時の面影 (おもかげ)を色濃く残しています。 宮崎に初めて明かりを灯 (とも)したこの発電所は、平成9年 (1997年)5月7日、建物が宮崎県では初めて国の登録文化財に登録されました。
 現在は、原子力発電所や火力発電所が主力となっていますが、水力発電所は、純国産エネルギーとして貴重な供給力です。
 この黒北発電所は、建設以来、3名ないし4名で運転していましたが、現在は無人であり宮崎支店総合制御所 (宮崎市)から遠方監視制御 (せいぎょ)されています。 (駐車場、便所あります。)
発電所の概要図も載 (の)っています。
取水ダム、取水口、水路、水槽 (すいそう)、水圧鉄管 (パイプ)、水車、発電機、清武川。 最大出力 200 kW、最大使用水量 1.67 立方メートル/秒、有効落差 16.67 m 、水車 ドイツ製 フォイト社 1906年製、発電機 ドイツ製 アルグマイネ社 1906年製
九州電力
と書かれています。



写真DL: 「黒北発電所のご案内」の説明板です。
 ここ、黒北発電所は、宮崎県で最も古い事業用発電所として、明治40年 (1907年)7月3日に運転を開始しました。 以来、現在も働き続けている由緒 (ゆいしょ)ある発電所で、建物はその当時の面影 (おもかげ)を色濃く残しています。 宮崎に初めて明かりを灯 (とも)したこの発電所は、平成9年 (1997年)5月7日、建物が宮崎県では初めて国の登録文化財に登録されました。
 現在は、原子力発電所や火力発電所が主力となっていますが、水力発電所は、純国産エネルギーとして貴重な供給力です。
 この黒北発電所は、建設以来、3名ないし4名で運転していましたが、現在は無人であり宮崎支店総合制御所 (宮崎市)から遠方監視制御 (せいぎょ)されています。 (駐車場、便所あります。)
発電所の概要図も載 (の)っています。
取水ダム、取水口、水路、水槽 (すいそう)、水圧鉄管 (パイプ)、水車、発電機、清武川。 最大出力 200 kW、最大使用水量 1.67 立方メートル/秒、有効落差 16.67 m 、水車 ドイツ製 フォイト社 1906年製、発電機 ドイツ製 アルグマイネ社 1906年製
九州電力
と書かれています。



写真DM: 「黒北発電所のご案内」の説明板があります。
 ここ、黒北発電所は、宮崎県で最も古い事業用発電所として、明治40年 (1907年)7月3日に運転を開始しました。 以来、現在も働き続けている由緒 (ゆいしょ)ある発電所で、建物はその当時の面影 (おもかげ)を色濃く残しています。 宮崎に初めて明かりを灯 (とも)したこの発電所は、平成9年 (1997年)5月7日、建物が宮崎県では初めて国の登録文化財に登録されました。
 現在は、原子力発電所や火力発電所が主力となっていますが、水力発電所は、純国産エネルギーとして貴重な供給力です。
 この黒北発電所は、建設以来、3名ないし4名で運転していましたが、現在は無人であり宮崎支店総合制御所 (宮崎市)から遠方監視制御 (せいぎょ)されています。 (駐車場、便所あります。)
発電所の概要図も載 (の)っています。
取水ダム、取水口、水路、水槽 (すいそう)、水圧鉄管 (パイプ)、水車、発電機、清武川。 最大出力 200 kW、最大使用水量 1.67 立方メートル/秒、有効落差 16.67 m 、水車 ドイツ製 フォイト社 1906年製、発電機 ドイツ製 アルグマイネ社 1906年製
九州電力
と書かれています。



写真DN: 「黒北発電所のご案内」の説明板。
 ここ、黒北発電所は、宮崎県で最も古い事業用発電所として、明治40年 (1907年)7月3日に運転を開始しました。 以来、現在も働き続けている由緒 (ゆいしょ)ある発電所で、建物はその当時の面影 (おもかげ)を色濃く残しています。 宮崎に初めて明かりを灯 (とも)したこの発電所は、平成9年 (1997年)5月7日、建物が宮崎県では初めて国の登録文化財に登録されました。
 現在は、原子力発電所や火力発電所が主力となっていますが、水力発電所は、純国産エネルギーとして貴重な供給力です。
 この黒北発電所は、建設以来、3名ないし4名で運転していましたが、現在は無人であり宮崎支店総合制御所 (宮崎市)から遠方監視制御 (せいぎょ)されています。 (駐車場、便所あります。)
発電所の概要図も載 (の)っています。
取水ダム、取水口、水路、水槽 (すいそう)、水圧鉄管 (パイプ)、水車、発電機、清武川。 最大出力 200 kW、最大使用水量 1.67 立方メートル/秒、有効落差 16.67 m 、水車 ドイツ製 フォイト社 1906年製、発電機 ドイツ製 アルグマイネ社 1906年製
九州電力
と書かれています。



写真DO: 「黒北発電所のご案内」の説明板。
 ここ、黒北発電所は、宮崎県で最も古い事業用発電所として、明治40年 (1907年)7月3日に運転を開始しました。 以来、現在も働き続けている由緒 (ゆいしょ)ある発電所で、建物はその当時の面影 (おもかげ)を色濃く残しています。 宮崎に初めて明かりを灯 (とも)したこの発電所は、平成9年 (1997年)5月7日、建物が宮崎県では初めて国の登録文化財に登録されました。
 現在は、原子力発電所や火力発電所が主力となっていますが、水力発電所は、純国産エネルギーとして貴重な供給力です。
 この黒北発電所は、建設以来、3名ないし4名で運転していましたが、現在は無人であり宮崎支店総合制御所 (宮崎市)から遠方監視制御 (せいぎょ)されています。 (駐車場、便所あります。)
発電所の概要図も載 (の)っています。
取水ダム、取水口、水路、水槽 (すいそう)、水圧鉄管 (パイプ)、水車、発電機、清武川。 最大出力 200 kW、最大使用水量 1.67 立方メートル/秒、有効落差 16.67 m 、水車 ドイツ製 フォイト社 1906年製、発電機 ドイツ製 アルグマイネ社 1906年製
九州電力
と書かれています。



写真DP: 「利用天物」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)があります。 右にその説明板があります。 右に水を流す太いパイプがあります。
この石碑 (せきひ)は、元は水路の上流側の沈砂池のところにありました。



写真DQ: 「記功碑 (ひ)について」の説明板があります。
 (この記功碑は、発電所上流 沈砂池内に建立 (こんりゅう)されていたが、広く公開するために昭和63年3月この地に移設したものである。)
(碑文 (ひぶん)要約)
 ある日、柴岡晋 氏が汽車に乗っていると、隣の席で「国を発展させるためには工業をおこさねばならない。 そのためには水力発電所を造り、工場の動力に電気を使うことだ。」と熱心に話しているのを耳にした。 柴岡 氏はこの話に感動し、日々考えつづけた。 ついに明治33年 大和田伝蔵 氏と共に賛同者を募 (つの)り、発電所建設に踏 (ふ)み切った。 最初に計画した鵜木川 (宮崎市南部)は地形が悪く断念。 翌年 (よくねん)、清武川北岸に再度計画し、測量や設計も終わったが、経験の無い者が進める事業に対する不安から、投資をする人がなく建設計画は暗礁 (あんしょう)にのりあげた。 またまた四国の松山に電気事業にくわしい才質藤吉という人がいることを聞き、柴岡・大和田 両氏は松山に出向いた。 対面してみると才質 氏は、数年前 車中で隣り合った人だった。 お互 (たが)いその奇遇に驚くとともに意気投合。 宮崎に来た才質 氏は、計画地点を1目見るなり、清武川北岸より南岸が良いと判定した。 測量してみると才質 氏の云 (い)う通りで、氏の見識の深さに皆感銘 (かんめい)した。 しかし、府県廃合や日露戦争の勃発 (ぼっぱつ)などで、建設は再度中断した。 ようやく明治39年5月、日向水力電気株式会社を設立。 資金10万円を投 (とう)じて工事開始、(明治)40年7月完成。 8月から営業を開始した。 電灯の便利さを知った人々は競 (きそ)って使用するようになり、夜もこうこうと不夜城のようになり、文明の灯 (ひ)はたちまち広がっていった。 ここに創業者の苦難と功績を記 (しる)して永遠に伝えたい。 明治44年10月 日向水力電気株式会社 建立 (こんりゅう)
碑文 (ひぶん)の題字は才質藤吉 書、碑文は多賀谷良策選弁書
と書かれています。



写真DR: 「記功碑 (ひ)について」の説明板です。
 (この記功碑は、発電所上流 沈砂池内に建立 (こんりゅう)されていたが、広く公開するために昭和63年3月この地に移設したものである。)
(碑文 (ひぶん)要約)
 ある日、柴岡晋 氏が汽車に乗っていると、隣の席で「国を発展させるためには工業をおこさねばならない。 そのためには水力発電所を造り、工場の動力に電気を使うことだ。」と熱心に話しているのを耳にした。 柴岡 氏はこの話に感動し、日々考えつづけた。 ついに明治33年 大和田伝蔵 氏と共に賛同者を募 (つの)り、発電所建設に踏 (ふ)み切った。 最初に計画した鵜木川 (宮崎市南部)は地形が悪く断念。 翌年 (よくねん)、清武川北岸に再度計画し、測量や設計も終わったが、経験の無い者が進める事業に対する不安から、投資をする人がなく建設計画は暗礁 (あんしょう)にのりあげた。 またまた四国の松山に電気事業にくわしい才質藤吉という人がいることを聞き、柴岡・大和田 両氏は松山に出向いた。 対面してみると才質 氏は、数年前 車中で隣り合った人だった。 お互 (たが)いその奇遇に驚くとともに意気投合。 宮崎に来た才質 氏は、計画地点を1目見るなり、清武川北岸より南岸が良いと判定した。 測量してみると才質 氏の云 (い)う通りで、氏の見識の深さに皆感銘 (かんめい)した。 しかし、府県廃合や日露戦争の勃発 (ぼっぱつ)などで、建設は再度中断した。 ようやく明治39年5月、日向水力電気株式会社を設立。 資金10万円を投 (とう)じて工事開始、(明治)40年7月完成。 8月から営業を開始した。 電灯の便利さを知った人々は競 (きそ)って使用するようになり、夜もこうこうと不夜城のようになり、文明の灯 (ひ)はたちまち広がっていった。 ここに創業者の苦難と功績を記 (しる)して永遠に伝えたい。 明治44年10月 日向水力電気株式会社 建立 (こんりゅう)
碑文 (ひぶん)の題字は才質藤吉 書、碑文は多賀谷良策選弁書
と書かれています。



写真DS: 「記功碑 (ひ)について」の説明板。
 (この記功碑は、発電所上流 沈砂池内に建立 (こんりゅう)されていたが、広く公開するために昭和63年3月この地に移設したものである。)
(碑文 (ひぶん)要約)
 ある日、柴岡晋 氏が汽車に乗っていると、隣の席で「国を発展させるためには工業をおこさねばならない。 そのためには水力発電所を造り、工場の動力に電気を使うことだ。」と熱心に話しているのを耳にした。 柴岡 氏はこの話に感動し、日々考えつづけた。 ついに明治33年 大和田伝蔵 氏と共に賛同者を募 (つの)り、発電所建設に踏 (ふ)み切った。 最初に計画した鵜木川 (宮崎市南部)は地形が悪く断念。 翌年 (よくねん)、清武川北岸に再度計画し、測量や設計も終わったが、経験の無い者が進める事業に対する不安から、投資をする人がなく建設計画は暗礁 (あんしょう)にのりあげた。 またまた四国の松山に電気事業にくわしい才質藤吉という人がいることを聞き、柴岡・大和田 両氏は松山に出向いた。 対面してみると才質 氏は、数年前 車中で隣り合った人だった。 お互 (たが)いその奇遇に驚くとともに意気投合。 宮崎に来た才質 氏は、計画地点を1目見るなり、清武川北岸より南岸が良いと判定した。 測量してみると才質 氏の云 (い)う通りで、氏の見識の深さに皆感銘 (かんめい)した。 しかし、府県廃合や日露戦争の勃発 (ぼっぱつ)などで、建設は再度中断した。 ようやく明治39年5月、日向水力電気株式会社を設立。 資金10万円を投 (とう)じて工事開始、(明治)40年7月完成。 8月から営業を開始した。 電灯の便利さを知った人々は競 (きそ)って使用するようになり、夜もこうこうと不夜城のようになり、文明の灯 (ひ)はたちまち広がっていった。 ここに創業者の苦難と功績を記 (しる)して永遠に伝えたい。 明治44年10月 日向水力電気株式会社 建立 (こんりゅう)
碑文 (ひぶん)の題字は才質藤吉 書、碑文は多賀谷良策選弁書
と書かれています。



写真DT: 黒北発電所にある電柱です。



写真DU: 電柱です。 トランスも見えます。 北を見たものです。



写真DV: 電柱の下部に白い箱が3つあります。 水を流す太いパイプ、発電機のある石造りの建物が見えます。 北を見たものです。



写真DW: 北を見たものです。 水を流す太いパイプの様子 (ようす)がよく分かります。 パイプは途中 (とちゅう)で曲 (ま)がっています。 石造りの建物の窓には格子 (こうし)があります。 上にアーチ型の窓もあります。 屋根は瓦葺 (かわらぶき)です。 発電機のある建物はまわりより低いところに建 (た)っています。 これは水の勢いを強くするために、水の落差を大きくする必要があるためでしょう。 左に階段もあります。 右上に電柱のトランスが見えます。



写真DX: 水を流す太いパイプは地面を掘 (ほ)ったところに通っています。



写真DY: 真上 (まうえ)から見た水を流す太いパイプです。 「あぶない、なかにはいってはいけません。 でんきにふれるので あぶないよ! 九州電力」と書いてあります。



写真DZ: 上流側のパイプが見えます。 上に水のゴミ取り装置などの施設があります。 階段もあります。 南を見たものです。



写真EA: 斜面にはツツジの木を植えてあります。 左は太いパイプのそばの金網です。



写真EB: 上の施設までコンクリートの歩道があります。 まわりはツツジの木です。



写真EC: 上の施設までこの歩道を登ります。



写真ED: 階段があります。 南を見たものです。



写真EE: 上の施設のそばです。



写真EF: 東を見たものです。



写真EG: 上の施設への階段を登りました。 奥から水路が続いています。



写真EH: 上の施設です。 左は水路のゴミ取り装置です。 奥には水路があります。



写真EI: 左寄りに水門と思われる物があります。 右は水路のゴミ取り装置です。 右の箱の中にメーターも3個見えます。 中央下に自動的に奥から運ばれてきたゴミを入れる大きな黄色のプラスチック容器が見えます。 ここには下の太いパイプの水からゴミなどを取り除 (のぞ)く装置などがあります。



写真EJ: 施設の上部です。



写真EK: 上の施設です。



写真EL: 水を流す太いパイプが左に見えます。 パイプの最上部です。



写真EM: この太いパイプが発電機のある石造りの建物まで続いています。 左上に説明板、石碑 (せきひ)、外灯が見えます。



写真EN: 上の施設から見た黒北発電所です。 太いパイプの上の道路 (橋)も見えます。 上に清武川と対岸が見えます。



写真EO: 上の施設から見た風景です。 対岸 (北岸)の民家も見えます。 その上に清武川の支流の黒北川にかかる「河鹿大橋 (かじかおおはし)」が見えているようです。 黒北発電所の電柱の様子 (ようす)がよく分かります。
左のガードレールの左の道を進むと上流側の水路、沈砂池などがあります。 ガードレールの右の道の先には駐車場、トイレ、別の建物などがあります



写真EP: 上の施設から見た景色 (けしき)です。 右に、来た道路、東九州自動車道の清武川にかかる「清武川橋」などが見えます。 北東を見たものです。



写真EQ: 来た道路のまわりの様子 (ようす)が分かります。 田んぼがあります。



写真ER: 発電機のある石造りの建物の屋根の様子 (ようす)が分かります。 黒北発電所は清武川のそば (南岸)にあります。



写真ES: 南から見下 (お)ろした黒北発電所です。



写真ET: 中央は水路のゴミ取り装置です。 自動的にゴミが奥から運ばれてきます。 左は水門と思われます。



写真EU: 左はゴミを奥から運ぶベルトコンベアです。 右に計器が3つ見えます。



写真EV: 装置の下部です。



写真EW: 奥から水路が来ています。 南を見たものです。



写真EX: 上の施設の近くです。



写真EY: 上の施設に来る道路が見えます。 途中 (とちゅう)に砂袋を多く並 (なら)べてあります。 北西を見たものです。



写真EZ: 大きな木があります。



写真FA: 木の上部です。



写真FB: 階段を下 (くだ)ります。



写真FC: 斜面の中部から見た景色です。



写真FD: 斜面の中部から見た景色 (けしき)です。 北を見たものです。



写真FE: パイプの上の道路が見えます。



写真FF: 北を見たものです。 左に駐車場の車が見えます。 左端の道を先に進むと上流側の水路、沈砂池などがあります。



写真FG: 左は上流側の水路、沈砂池などに行く道です。 その右の坂道を下 (くだ)ると駐車場があります。



写真FH: ソテツの木が見えます。 奥に大きな木があります。 西を見たものです。



写真FI: 水を流す太いパイプの様子 (ようす)が分かります。 石造りの建物の側面下部をパイプは通っています。 「あぶない、なかにはいってはいけません。 でんきにふれるので あぶないよ! 九州電力」と書いてあります。



写真FJ: 手前にツツジの花が咲いていました。 左に階段があります。 北を見たものです。



写真FK: 水を流す太いパイプです。



写真FL: 「ツツジの花」が咲いていました。



写真FM: 黒北発電所の駐車場です。 奥にトイレがあります。



写真FN: 別の建物もあります。 北西を見たものです。



写真FO: 室内の空気を外に出す所、電線、屋根の樋 (とい)、赤い消防ホースの格納箱、側面から見た太いパイプ、建物の出入り口などがあります。 黒北発電所。



写真FP: 発電機がある建物です。 構造がよく分かります。



写真FQ: 太いパイプの建物への入り口の様子 (ようす)が分かります。 斜面に小さめの木があります。 電柱の支線が見えます。 斜面の下部に石垣 (いしがき)、コンクリート壁 (かべ)が見えます。 東を見たものです。



写真FR: 建物への入り口があります。 地面はコンクリートになっています。 左に小さめの建物があります。 黒北発電所。



写真FS: 「おねがい、感電する危険がありますので、無断で中に入らないで下さい。 ご用の方は、下記のところにご連絡下さい。」と扉 (とびら)に書いてあります。



写真FT: 「ポケモンGOをプレイ中のみなさまへ。」と書いてあります。 「あぶない、なかにはいってはいけません。 でんきにふれるので あぶないよ! 九州電力」と書いてあります。



写真FU: 発電機のある建物の北側面も見えます。 西側面の入り口のドアが開 (あ)いていました。 左下にソテツの木があります。 黒北発電所。



写真FV: 西側面の入り口に「九州電力株式会社 黒北発電所」と書いてあります。



写真FW: ソテツの木があります。



写真FX: 小さめの建物のそばに木があります。 奥に、石造りの建物の東側の坂道が見えます。



写真FY: 「放水路」と書いてあります。 奥に放水路があります。



写真FZ: 放水路の水面が見えます。 清武川に発電所からの水は流れていきます。



写真GA: 放水路が見えます。 発電機を回した水は放水路を通って清武川に流れ込 (こ)みます。



写真GB: 黒北発電所の北側に清武川が流れています。 左 (西)が上流側です。 清武川の護岸が見えます。 後からこの北岸の堤防に行きます。 北を見たものです。



写真GC: 黒北発電所の放水路、清武川、手前に桜の木の枝が見えます。



写真GD: 北東を見たものです。 遠くに東九州自動車道の清武川にかかる「清武川橋」が見えます。



写真GE: 黒北発電所のそばの清武川です。 北岸に集落があります。



写真GF: 黒北発電所から清武川の北岸を見たものです。 民家も見えます。



写真GG: 西を見たものです。 左はトイレです。



写真GH: トイレと駐車場です。 西を見たものです。



写真GI: 小さめの建物 (管理人さんがいる所と思われます。)が見えます。 南西を見たものです。



写真GJ: プレハブの建物もあります。 南を見たものです。



写真GK: 桜の木があります。 南東を見たものです。



写真GL: トイレ。



写真GM: 小さめのプレハブの建物です。



写真GN: ベンチがあります。 左奥は管理人さんのいる建物と思われます。



写真GO: 小さめの建物 (管理人さんがいる所と思われます。)に「九州電力宮崎支店管内 発電所」の説明板があります。
発電所、ダム、他社発電所などの地図もあります。



写真GP: 小さめの建物 (管理人さんがいる所と思われます。)に「九州電力宮崎支店管内 発電所」の説明板があります。
発電所、ダム、他社発電所などの地図もあります。



写真GQ: 東を見たものです。 手前にも電柱があります。



写真GR: 駐車場に降 (お)りる坂道が見えます。 南東を見たものです。



写真GS: 北西を見たものです。 右奥は駐車場です。 これから左の道を進んで発電所の水路、沈砂池のところに行きます。



写真GT: T字路があります。 左に進むと発電所の水路、沈砂池があります。 田んぼで作業が行われていました。



写真GU: 田んぼで水の管理が行われていました。 北西を見たものです。



写真GV: 左に発電所の上の施設に行く道路の扉 (とびら)があります。



写真GW: 上の施設の一部が見えます。 そこへ登る道路に砂袋をたくさん並 (なら)べてあります。 大きな木もあります。



写真GX: この道を進みます。 右には田んぼがあります。 その右に清武川があります。 西を見たものです。



写真GY: 奥に発電用の水路の金網が見えてきました。



写真GZ: 「イヌビワ (ムスブテ)の実」が落ちていました。



写真HA: 発電用の水路の金網が見えます。 その右部分に「沈砂池」があります。 これも黒北発電所の施設です。



写真HB: この金網の内側に沈砂池があります。



写真HC: 「沈砂池」の小型の橋が見えます。 奥が水路の上流側です。



写真HD: これが沈砂池です。 ここは幅が広く流れがゆっくりで、水路の水の砂などを落とします。 黒北発電所。



写真HE: 沈砂池と金網です。



写真HF: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 水路の金網が黒北発電所まで続いています。 水路の下流方向を見たものです。



写真HG: 東九州自動車道の清武川にかかる「清武川橋」が見えています。 水田があります。 左に清武川があります。



写真HH: 左に野菜の紫蘇 (しそ)を植えてあるようです。



写真HI: 沈砂池の近くです。



写真HJ: 左は沈砂池です。



写真HK: 沈砂池の橋があります。 手すりもあります。 奥が水路の上流側です。



写真HL: 沈砂池の下流方向です。 格子 (こうし)が見えます。 異物をここで止 (と)めるためでしょう。 沈砂池は幅が広くなっていることが分かります。 黒北発電所。
現在は発電所にある石碑 (せきひ)「記功碑」は昭和63年3月までは、この沈砂池のところにありました。



写真HM: 水路の上流側へ行く道が見えます。 左は水門です。 余 (あま)った水を別の水路で清武川に戻 (もど)します。



写真HN:  水門の上部です。 沈砂池のそばです。



写真HO:  水路の上流側が見えます。 道もあります。



写真HP:  水門のハンドルなどの装置です。 沈砂池のそばです。



写真HQ: 水門の中部です。 奥は沈砂池です。



写真HR: 余 (あま)った水をこの別の水路で清武川に戻 (もど)します。



写真HS: 沈砂池の上流側の部分です。 柵 (さく)が見えます。



写真HT: 沈砂池の上流側の様子 (ようす)です。



写真HU: 「沈砂池」と書いてあります。 黒北発電所。



写真HV: 「あぶない、さくの中に はいってはいけない!!」と書いてあります。



写真HW: 「安全チェック項目 (こうもく)、1.ヘルメット ヨシ!! 2.安全帯 ヨシ!! 3.セルフロック ヨシ!! 4.スカイロック ヨシ!! 今日も1日安全作業 ご安全に、九州電力 (株) 宮崎支店」と書いてあります。



写真HX: コンクリートの物があります。



写真HY: これから発電機の建物の方に戻 (もど)ります。



写真HZ: 対岸 (北岸)の民家も見えます。



写真IA: 東九州自動車道の清武川にかかる「清武川橋」が見えます。



写真IB: 田んぼに稲が育っています。



写真IC: 発電機のある石造りの建物が見えてきました。 北東を見たものです。



写真ID: 大きな木の下に石造物が4つ見えます。



写真IE: 大きな木の中部です。



写真IF: 大きな木の上部です。



写真IG: 大きな木の根元に3つの石造物があります。



写真IH: 上の施設が見えてきました。 奥の方に水路の上流側が続いています。



写真II: 水を流す太いパイプの上の道路です。



写真IJ: 東を見たものです。



写真IK: 電柱の上部です。 ここで発電された電気はこの電線で送られていきます。



写真IL: 電柱の下部です。



写真IM: 見下 (お)ろしたものです。



写真IN: 北を見たものです。



写真IO: 駐車場に下 (くだ)る道です。



写真IP: 水路の上流側、沈砂池に行った道はガードレールの奥のものです。



写真IQ: 石垣 (いしがき)もあります。



写真IR: 上の施設を見上 (あ)げたものです。



写真IS: 清武川の「前の下橋」の北端付近です。



写真IT: 清武川の北岸の堤防にある道を上流側 (西)に進みます。 黒北発電所の排水口などが見えるようになります。



写真IU: 東を見たものです。 「前の下橋」の北端付近です。 奥は八坂神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)です。



写真IV: 清武川にかかる「前の下橋」です。 手前が上流側です。



写真IW: 清武川です。



写真IX: 南西を見たものです。 清武川。 堤防に野草の「ヒメジョオンの花」が多く咲いていました。



写真IY: 西を見たものです。 清武川の北岸の道路です。



写真IZ: 堤防の道を先 (西)に進みます。



写真JA: ここから水面のそばまで降 (お)りることができます。



写真JB: 西を見たものです。 堤防に野草の「ヒメジョオンの花」が多く咲いていました。



写真JC: 南西を見たものです。 対岸 (南岸)に黒北発電所のトイレの建物が見えてきました。



写真JD: 上流方向を見たものです。



写真JE: 黒北発電所の駐車場の赤い車とトイレが見えます。



写真JF: 南岸に黒北発電所の駐車場のそばのプレハブの小さめの建物が見えます。



写真JG: 左下に黒北発電所の排水口が上半分見えてきました。 その排水口に格子 (こうし)があることが分かります。



写真JH: 対岸の黒北発電所の駐車場の上に田んぼで作業中の人が白く見えます。



写真JI: 中央付近に黒北発電所の「排水口」が黒く見えます。 排水口の下半分は川の草に隠 (かく)れています。 排水口は石造りのアーチ型です。 南を見たものです。



写真JJ: 南岸に、黒北発電所の発電機がある石造りの建物が見えてきました。 上の施設、電柱も見えます。



写真JK: 近くの清武川の様子 (ようす)です。



写真JL: 北岸から見た黒北発電所です。 発電機のある石造りの建物、排水口  (排水口は石造りのアーチ型です。)、上の施設、電柱、駐車場のそばの2つの建物などが見えます。



写真JM: トイレの奥に駐車場のそばの小さめの建物が見えます。 北岸から見た黒北発電所。



写真JN: 北岸から見た黒北発電所です。 斜面のツツジの木も見えます。



写真JO: 黒北発電所の西端のそばの水路の水が右下に見えます。 清武川に流れ込 (こ)んでいます。



写真JP: 対岸から見た黒北発電所。



写真JQ: 発電所敷地の右 (西)の水路の水が流れ落ちています。



写真JR: 黒北発電所より上流方向の清武川です。 南西を見たものです。
 「清武川 (きよたけがわ)の河口」は宮崎県 宮崎市 大字熊野にあります。 河口の北岸も南岸も大字熊野にあります。 清武川は日向灘 (太平洋)に注 (そそ)いでいます。 宮崎市にある鰐塚山 (わにづかやま)に源流があります。 延長は約29 km 、流域面積は166 平方キロメートルの2級河川です。 田野や清武を流れています。 清武川の河口を含む海岸一帯は「アカウミガメ及びその産卵地 (県指定天然記念物)」になっています。 清武川には上流部にはヤマメも生息 (せいそく)しています。 鮎 (あゆ)、ニホンウナギ、ギンブナ、タカハヤ、スズキ、トビハゼ、マハゼ、アカメなどの魚も住んでいます。 江戸時代初期の1662年 (寛文2年)の外所 (とんところ)地震で加江田川河口付近が陥没 (かんぼつ)し、入江になりました。 入江になったところには外所などの7つの村があり、海没しました。 地震後は北の清武川は入江に注 (そそ)ぐようになりました。 清武川は加江田川の河口に合流していました。 昭和14年10月15日の台風で清武川は再び直接日向灘 (太平洋)に流れ込 (こ)むようになり、加江田川の河口とは別になりました。 1979年 (昭和54年)国体が宮崎で開かれることになり、湿地帯 (干潟 (ひがた))を埋 (う)めたてて、県立総合運動公園となりました。



写真JS: 北岸から見た黒北発電所です。



写真JT: 黒北発電所のそばの清武川です。



写真JU: 来た道を「前の下橋」の方に戻 (もど)ります。 土手 (どて)にネムノキがあります。



写真JV: 清武川の堤防の「ネムノキに花」が咲いていました。



写真JW: 黒北発電所から県道13号線を通って宮崎市 高岡町の「道の駅高岡 (ビタミン館)」に行きました。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)