駒宮神社 (シャンシャン馬 発祥の神社) (こまみやじんじゃ、神武天皇遊幸伝説地 平山、神武天皇がお若い頃 (ころ)にお住 (す)まいとされた少宮趾に駒宮神社があります。古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)、えにし地蔵尊、伝説 龍神之池、多角形の柱の鳥居 (とりい))  (宮崎県 日南市 大字平山 1095)







<標高、位置>  駒宮神社 (こまみやじんじゃ)は
標高 約10 m
 北緯31度36分05秒  東経131度24分43秒


  「駒宮神社 (こまみやじんじゃ)」は宮崎県 日南市 大字平山 1095 にあります。
神社がある所は旧 東郷町です。 旧 村社です。 本殿 (流破風造)3坪 拝殿 (千鳥破風造)25坪 境内 (けいだい)の広さ 668坪。 駒宮神社は神武天皇が吾平津媛 (あひらつひめ)を妻として数年間住んだ少宮趾 (しょうぐうし)と伝えられています。 1556年には駒宮領2町、足洗田1町を御供田として駒宮神社が所有していました。 当神社から北に約4 km のところの山上で、宮崎の宮居に向かう途中 (とちゅう)の神武天皇が愛馬 龍石を草原に放たれました。 それで字名を立石というようになりました。 その後この地が牧場になりました。 日本最古の牧場と言われました。 入田原に馬場があり流鏑馬 (やぶさめ)神事が行われていました。 立石 (たていし)に藩政時代に牧奉行 (ぶぎょう)があり、そこの代表馬を引いて駒宮神社に参ることから、近くの着飾ったたくさんの農耕馬も駒宮神社に集まりました。 これからシャンシャン馬が始まりました。 シャンシャン馬踊りも農家によって奉納されました。 正保年間に社殿が火災にあい、1706年に拝殿、1763年に造営が行われました。 伊東藩から神領3石、領主が参拝するたびに銀2両が奉納されました。 明治の初めに平山神社となりましたが、後に駒宮神社となりました。 明治40年に神饌幣帛料供進社 (郷社、村社を対象に明治から終戦になるまで勅令 (天皇の命令です。)により県知事から、祈年祭、新嘗祭 (にいなめさい)、例祭に神饌幣帛料を供進された神社です。)になりました。 本殿は江戸時代末期の造営です。 安産、病気平癒、交通安全、合格成就、厄除開運、必勝、海上安全大漁などのご利益があります。
「駒宮神社の由緒 (ゆいしょ)」の説明石碑 (せきひ)から、
 駒宮神社は人皇第1代 神武天皇をご祭神に仰 (あお)ぐ由緒の深いお宮で第41代 文武天皇 (在位期間は697年8月22日〜707年7月18日)の御代に創建されたと伝えられています。 また神武天皇は吾平津姫をお妃 (きさき)に迎 (むか)えられ愛馬 龍石号を友にこの地に住まわれた少宮趾ともいわれています。
祭儀: 例大祭 11月、建国記念祭煮花祭 2月11日、祈年祭 2月17日、新嘗祭 (にいなめさい) 11月23日、その他中恒例祭
古蹟: 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)、御手洗池、天皇の井戸、神宮寺跡
駒繋 (つなぎ)松跡 当神社東方道路沿 (ぞ)いにあり。 海辺にて釣りをなされた折、白髪の老人から龍馬を与えられ、その馬に龍石と命名。 愛馬で鵜戸 (うど)の父君にお会いに行かれる都度、この松に繋 (つな)がれたと伝えられる。 草履 (ぞうり)石 (天皇のお草履の跡)、駒形石 (愛馬 龍石の足跡)、当神社東方道路下にあり。
 「古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)」の説明板から、
 駒宮神社 境内 (けいだい)は往古 人皇第1代 神日本磐余彦天皇 (神武天皇)がお若い頃 (ころ)にお住 (す)まいとされた少宮趾と伝えられている。 日本書紀 巻第3によると「年15にして、立ちて太子となりたまふ。長りたまひて日向国の吾田邑 (現在の日南市 吾田)の吾平媛 (ひめ)をまきて妃としたまふ。 手研耳命を生みたまふ。」と記 (しる)されている。  右側の山は長田山と云 (い)われ、石段上に巨岩がある。 神社由緒 (ゆいしょ)記によると「神社の後方に大岩有り。 (神武)天皇後に宮崎の宮に向かいたまふ時、此 (こ)の岩の下に御鉾 (ほこ)を納めたまふと伝う。 旧時 御神体として奉祀されしものと伝う。」と記されており、紀元2600年には記念事業の1つとして玉垣 (たまがき)を廻 (めぐ)らして石段を整備して面目 (めんもく)を一新した。
巨石信仰について
 我国では古代より岩石には神霊が宿 (やど)ると考える信仰があった。 日本をはじめ世界各地にもストーンサークルやトルメン、メンヒルと云 (い)われる岩石の遺跡が考古学でも研究されている。
 「顕彰 (けんしょう)之碑」から、
 神武天皇に因 (ちな)む日向シャンシャン馬の発祥たる当神社 (駒宮神社)は戦後静かな運営をされて来た。 昭和57年春、この由緒 (ゆいしょ)ある神社を世に紹介せんとされた故 竹平勤 氏の熱誠により、神馬 龍星号を同士と共に導入、駒神楽として調教を完成せられ、県内はもとより全国向けのテレビ放映度々 (たびたび)あり、当神社の存在が世に知られる事となった。 同時に流鏑馬 (やぶさめ)乗馬基本訓練を地元の弟子 (でし)に伝え、現在では宮崎神宮の流鏑馬射手の中堅として活躍中である。 今は亡 (な)き竹平勤大人命と神馬 龍星号を偲 (しの)び、馬事功労の足跡を称 (とな)え顕彰するものである。


写真A: 右に駒宮神社 (こまみやじんじゃ)の一の鳥居 (とりい)が見えます。 左端は第2駐車場です。 北を見たものです。 この車道は国道220号の旧道と思われます。



写真B: 駒宮神社の第2駐車場です。 奥に民家と山があります。



写真C: 「初代天皇 神武さまのふるさと 駒宮神社 第2駐車場」と書いてあります。



写真D: 「招福除災 厄除祈願 (やくよけきがん) 駒宮神社」と書いてある幟 (のぼり)があります。 奥に一の鳥居 (とりい)と駒宮神社の鎮守の森 (ちんじゅのもり)があります。



写真E: 北西を見たものです。



写真F: 駒宮神社が見えます。 北を見たものです。



写真G: 「避難場所案内図、日南市」の看板 (かんばん)があります。



写真H: 電柱に「津波避難場所→この場所の高さ 海抜 約8.1 m 、日南市」と書いてあります。



写真I: 駒宮神社 (こまみやじんじゃ)です。
「駒宮神社 (こまみやじんじゃ)」は宮崎県 日南市 大字平山 1095 にあります。



写真J: 駒宮神社の一の鳥居 (とりい)、石灯籠 (いしどうろう)、石の柵 (さく)、看板 (かんばん)、道路などがあります。



写真K: 「車おはらい所 福祉参道、交通安全祈願」と書いてある看板 (かんばん)です。



写真L: 一の鳥居 (とりい)に「駒宮神社」と書いてある額 (がく)があります。 しめ縄もあります。 奥に二の鳥居、拝殿も見えます。



写真M: 一の鳥居 (とりい)から境内 (けいだい)を見たものです。



写真N: 一の鳥居のそばです。



写真O: 一の鳥居 (とりい)に「駒宮神社」と書いてあります。



写真P: 左に石灯籠 (いしどうろう)、手水舎 (ちょうずや)、右に石段、二の鳥居、拝殿、石灯籠などがあります。 石畳 (いしだたみ)もあります。



写真Q: 石段の右に奥に続く道路があります。



写真R: 神主さんの住居と思われます。



写真S: 手水舎 (ちょうずや)です。 しめ縄もあります。



写真T: 手水鉢 (ちょうずばち)、4本の柄杓 (ひしゃく)、水の出口、奥に石碑 (せきひ)があります。



写真U: 「駒宮神社の由緒 (ゆいしょ)」の説明石碑 (せきひ)があります。
 駒宮神社は人皇第1代 神武天皇をご祭神に仰 (あお)ぐ由緒の深いお宮で第41代 文武天皇 (在位期間は697年8月22日〜707年7月18日)の御代に創建されたと伝えられています。 また神武天皇は吾平津姫をお妃 (きさき)に迎 (むか)えられ愛馬 龍石号を友にこの地に住まわれた少宮趾ともいわれています。
祭儀: 例大祭 11月、建国記念祭煮花祭 2月11日、祈年祭 2月17日、新嘗祭 (にいなめさい) 11月23日、その他中恒例祭
古蹟: 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)、御手洗池、天皇の井戸、神宮寺跡
駒繋 (つなぎ)松跡 当神社東方道路沿 (ぞ)いにあり。 海辺にて釣りをなされた折、白髪の老人から龍馬を与えられ、その馬に龍石と命名。 愛馬で鵜戸 (うど)の父君にお会いに行かれる都度、この松に繋 (つな)がれたと伝えられる。 草履 (ぞうり)石 (天皇のお草履の跡)、駒形石 (愛馬 龍石の足跡)、当神社東方道路下にあり。
と彫 (ほ)られています。



写真V: 「駒宮神社の由緒 (ゆいしょ)」の説明石碑 (せきひ)です。
 駒宮神社は人皇第1代 神武天皇をご祭神に仰 (あお)ぐ由緒の深いお宮で第41代 文武天皇 (在位期間は697年8月22日〜707年7月18日)の御代に創建されたと伝えられています。 また神武天皇は吾平津姫をお妃 (きさき)に迎 (むか)えられ愛馬 龍石号を友にこの地に住まわれた少宮趾ともいわれています。
祭儀: 例大祭 11月、建国記念祭煮花祭 2月11日、祈年祭 2月17日、新嘗祭 (にいなめさい) 11月23日、その他中恒例祭
古蹟: 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)、御手洗池、天皇の井戸、神宮寺跡
駒繋 (つなぎ)松跡 当神社東方道路沿 (ぞ)いにあり。 海辺にて釣りをなされた折、白髪の老人から龍馬を与えられ、その馬に龍石と命名。 愛馬で鵜戸 (うど)の父君にお会いに行かれる都度、この松に繋 (つな)がれたと伝えられる。 草履 (ぞうり)石 (天皇のお草履の跡)、駒形石 (愛馬 龍石の足跡)、当神社東方道路下にあり。
と彫 (ほ)られています。



写真W: 「平成29年11月 奉納」と書いてある手ぬぐいが手水舎 (ちょうずや)にあります。



写真X: 駒宮神社の二の鳥居 (とりい)、拝殿、石段、石灯籠 (いしどうろう)、説明板、幟 (のぼり)、左のイチョウの木などがあります。



写真Y: 鎮守の森 (ちんじゅのもり)の木も見えます。 左手前はイチョウの木です。



写真Z: 木にしめ縄 (なわ)があります。 奥は一の鳥居 (とりい)です。



写真AA: しめ縄 (なわ)のある木の中部です。



写真AB: 「境内 (けいだい)警護神之碑」があります。



写真AC: 一の鳥居 (とりい)、石灯籠 (いしどうろう)、ベンチなどがあります。 南西を見たものです。



写真AD: 北東を見たものです。 奥に道が続いています。



写真AE: 左は二の鳥居 (とりい)です。



写真AF: 日南市にある駒宮神社の境内 (けいだい)です。



写真AG: 左に手水舎 (ちょうずや)、右にイチョウの木、説明板などがあります。



写真AH: しめ縄 (なわ)のある木、手水舎 (ちょうずや)、手前に「境内 (けいだい)警護神之碑」があります。



写真AI: 南西を見たものです。



写真AJ: 生け垣 (いけがき)があります。



写真AK: 奥はトイレです。 手前はイチョウの木です。 外灯もあります。



写真AL: イチョウの木の上部です。



写真AM: 境内 (けいだい)にあるイチョウの木の中部です。



写真AN: イチョウの木の下部です。



写真AO: 「平成29年 厄年 (やくどし)表」の説明板があります。



写真AP: 「初詣 (はつもうで)」と書いてある幟 (のぼり)があります。



写真AQ: 幟 (のぼり)に「駒宮神社」と書いてあります。



写真AR: 石灯籠 (いしどうろう)、説明板、左奥にトイレがあります。



写真AS: 二の鳥居 (とりい)に「神武天皇」と書いてある額 (がく)があります。 しめ縄 (なわ)もあります。 奥は拝殿です。 階段には手すりがあります。



写真AT: 駒宮神社の石段です。 手すりもあります。 上に「駒宮神社」と書いてある幟 (のぼり)もあります。



写真AU: 駒宮神社の拝殿などです。
「駒宮神社 (こまみやじんじゃ)」は宮崎県 日南市 大字平山 1095 にあります。



写真AV: 石段の上から見下 (お)ろしたものです。 一の鳥居 (とりい)、石灯籠 (いしどうろう)、手水舎 (ちょうずや)、ベンチなどがあります。



写真AW: 掲示版があります。 南東を見たものです。



写真AX: 馬の像が見えます。 その左に飲料水の自動販売機があります。



写真AY: 神武天皇の石像と馬の石像があります。 左は拝殿です。 駒宮神社。



写真AZ: 「奉納 駒宮神社」と書いてある幟 (のぼり)があります。



写真BA: 左は「お札 (ふだ)所」です。



写真BB: 札所です。 お札、お守りなどを売っています。



写真BC: 中央は二の鳥居 (とりい)の下部です。 その柱は多角形をしています。 多角形の柱の鳥居 (とりい)は珍しいと思います。



写真BD: 二の鳥居 (とりい)のそばから見下 (お)ろしたものです。



写真BE: 「御社殿等修復工事 御協賛のお願い」の看板 (かんばん)があります。



写真BF: 馬の像の奥に御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付ける所があります。 左にベンチ、飲料水の自動販売機が見えます。



写真BG: 左に神武天皇の像と右に馬の像 (神武天皇の愛馬 龍石号)があります。 2つの像にはしめ縄 (なわ)があります。  奥は拝殿です。



写真BH: 自動車の右に3つめの鳥居 (とりい)があります。



写真BI: 拝殿の右の社殿にスピーカーがあります。 その手前に絵馬 (えま)を掛 (か)ける所と御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付ける所があります。 右奥にも社殿があります。



写真BJ: 拝殿のところに登る斜面と手すりもあります。



写真BK: 左は後ろから見た馬の像 (神武天皇の愛馬 龍石号)です。



写真BL: 左は二の鳥居 (とりい)とお札所です。



写真BM: 左に小さめの馬の像があります。 右は二の鳥居 (とりい)とお札所です。



写真BN: 馬の像の左に御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付ける所、ベンチ、飲料水の自動販売機が見えます。



写真BO: 飲料水の自動販売機です。



写真BP: 神武天皇の像に鳥の像があります。 これは八咫烏 (ヤタガラス)かもしれません。



写真BQ: 拝殿の左にも社殿があります。 手前に小さめの馬の像があります。



写真BR: 奥に裏山の大きな岩や祠 (ほこら)、石造物などがあります。 そこに登る石段もあります。 拝殿の左の方の所です。



写真BS: 左はお札所です。



写真BT: 拝殿に4つの鈴があります。 鈴紐 (ひも)は3本あります。



写真BU: 拝殿の中に太鼓 (たいこ)、提灯 (ちょうちん)、「伊勢神宮」と書いてある幟 (のぼり)などがあります。



写真BV: 拝殿の中に巫女 (みこ)さんもいらっしゃいます。



写真BW: 拝殿の前に「Darkness 境内 Jazz」と書いてあるパンフレットがあります。



写真BX: お賽銭箱 (さいせんばこ)です。 左は鈴紐 (ひも)です。



写真BY: 拝殿の前です。



写真BZ: 鈴紐 (ひも)3本とお賽銭箱 (さいせんばこ)に古い鈴紐 (ひも)の木の部品が3つ見えます。



写真CA: 「恋みくじ 御初穂料 100円也 (なり)」、「こどもみくじ 御初穂料 100円也」、「おみくじ 御初穂料 100円也」、「他の各種おみくじはお札所の中にございます  社務所」と書いてあります。



写真CB: 左は古いお札 (ふだ)などを納 (お)める所です。 拝殿の右の方です。



写真CC: 「神武天皇遊幸伝説地 平山」と書いてある石碑 (せきひ)が拝殿の右方にあります。 奥に3つめの鳥居 (とりい)があります。



写真CD: 「神武天皇遊幸伝説地 平山」と書いてある石碑 (せきひ)の下部です。



写真CE: 「駒宮神社に祀 (まつ)られている神々、古事記の神系譜〜別天神5柱・神代7代・国産 (う)み・神産み」の説明板があります。



写真CF: 「駒宮神社に祀 (まつ)られている神々、古事記の神系譜〜別天神5柱・神代7代・国産 (う)み・神産み」の説明板です。



写真CG: 「駒宮神社に祀 (まつ)られている神々、古事記の神系譜〜別天神5柱・神代7代・国産 (う)み・神産み」の説明板。



写真CH: 駒宮神社の本殿が見えます。 本殿の屋根には外切りの千木 (ちぎ)と5本の円筒形の鰹木 (かつおぎ)があります。



写真CI: 社殿がいくつもあります。 右端は神楽殿です。



写真CJ: 本殿の屋根には外切りの千木 (ちぎ)と5本の円筒形の鰹木 (かつおぎ)があります。



写真CK: 側面から見た社殿です。



写真CL: 社殿がいくつもあります。



写真CM: 建物に蛍光灯、スピーカー、下に大型の扇風機 (せんぷうき)があります。



写真CN: 本殿の右にも社殿 (神楽殿)が見えます。



写真CO: 本殿の右の方にある神楽殿です。



写真CP: ここにも手水鉢 (ちょうずばち)があります。 2本の柄杓 (ひしゃく)、竹製の水の出口もあります。



写真CQ: ソテツの木があります。



写真CR: 赤い鳥居 (とりい)、いくつかの白い鳥居 (とりい)があります。 左は神楽殿です。



写真CS: しめ縄 (なわ)をしてある木がここにもあります。 祠 (ほこら)もあります。 北東を見たものです。



写真CT: 南東を見たものです。 境内のソテツの木もあります。



写真CU: 遠くの民家なども見えます。 手前はソテツの木です。 駒宮神社は高台にあります。



写真CV: しめ縄 (なわ)のある木といくつかの鳥居 (とりい)です。 北を見たものです。



写真CW: 下の方から車でも来ることができる車道が境内 (けいだい)にあります。 これは福祉参道です。 南西を見たものです。



写真CX: 拝殿の右ずっと奥にいろいろな神社があります。 いくつかの鳥居 (とりい)、右にたくさんのお地蔵様 (じぞうさま)の石像があります。



写真CY: ここに赤い鳥居 (とりい)もあります。



写真CZ: 駒宮神社の境内 (けいだい)です。



写真DA: しめ縄 (なわ)のある鳥居 (とりい)です。



写真DB: 「えにし地蔵尊」の石碑 (せきひ)と下に小さめのお地蔵様がたくさんあります。 子育て地蔵尊えにし です。 南東を見たものです。



写真DC: たくさんの地蔵尊です。 「えにし地蔵尊」です。 駒宮神社。



写真DD: 多くのお地蔵様が並 (なら)んでいます。



写真DE: お地蔵様です。



写真DF: 「えにし地蔵尊」
 子どもは、天からの授 (さず)かりものと申します。・・・
と彫 (ほ)ってあります。



写真DG: 「大元之宮御社殿建立 (こんりゅう)寄付者、平成21年8月吉日建立」の石碑 (せきひ)があります。



写真DH: 鳥居 (とりい)が3つ見えます。 それぞれにしめ縄 (なわ)があります。 北を見たものです。



写真DI: 奥に「別天神5柱之神」と書いてある標柱が見えます。



写真DJ: 「奉納 大元之宮内陣御社 平成19年8月吉日」と書いてある石碑 (せきひ)があります。 そばに石像があります。 外の民家なども見えます。



写真DK: ソテツの木があります。 右端に赤い賽銭箱 (さいせんばこ)があります。



写真DL: 奥に祠 (ほこら)があります。 末社と思われます。



写真DM: かがり火の台が手前にあります。



写真DN: こちらにも鳥居 (とりい)があります。 石灯籠 (いしどうろう)もあります。



写真DO: 鳥居 (とりい)の左に下から登ってくる福祉道路が見えます。 南西を見たものです。



写真DP: 石灯籠 (いしどうろう)、看板 (かんばん)があります。



写真DQ: 石碑 (せきひ)があります。 奥に外の風景が見えます。 東を見たものです。



写真DR: 鳥居 (とりい)と小さめの社殿、両側に祠 (ほこら)があります。



写真DS: 鳥居 (とりい)の下部です。



写真DT: 賽銭箱 (さいせんばこ)があります。



写真DU: 「別天神5柱之神」と書いてあります。



写真DV: 「顕彰 (けんしょう)之碑」があります。
 神武天皇に因 (ちな)む日向シャンシャン馬の発祥たる当神社 (駒宮神社)は戦後静かな運営をされて来た。 昭和57年春、この由緒 (ゆいしょ)ある神社を世に紹介せんとされた故 竹平勤 氏の熱誠により、神馬 龍星号を同士と共に導入、駒神楽として調教を完成せられ、県内はもとより全国向けのテレビ放映度々 (たびたび)あり、当神社の存在が世に知られる事となった。 同時に流鏑馬 (やぶさめ)乗馬基本訓練を地元の弟子 (でし)に伝え、現在では宮崎神宮の流鏑馬射手の中堅として活躍中である。
 今は亡 (な)き竹平勤大人命と神馬 龍星号を偲 (しの)び、馬事功労の足跡を称 (とな)え顕彰するものである。
平成15年6月吉日
と彫 (ほ)られています。



写真DW: 「顕彰 (けんしょう)之碑」です。
 神武天皇に因 (ちな)む日向シャンシャン馬の発祥たる当神社 (駒宮神社)は戦後静かな運営をされて来た。 昭和57年春、この由緒 (ゆいしょ)ある神社を世に紹介せんとされた故 竹平勤 氏の熱誠により、神馬 龍星号を同士と共に導入、駒神楽として調教を完成せられ、県内はもとより全国向けのテレビ放映度々 (たびたび)あり、当神社の存在が世に知られる事となった。 同時に流鏑馬 (やぶさめ)乗馬基本訓練を地元の弟子 (でし)に伝え、現在では宮崎神宮の流鏑馬射手の中堅として活躍中である。
 今は亡 (な)き竹平勤大人命と神馬 龍星号を偲 (しの)び、馬事功労の足跡を称 (とな)え顕彰するものである。
平成15年6月吉日
と彫 (ほ)られています。



写真DX: 「顕彰 (けんしょう)之碑」があります。
 神武天皇に因 (ちな)む日向シャンシャン馬の発祥たる当神社 (駒宮神社)は戦後静かな運営をされて来た。 昭和57年春、この由緒 (ゆいしょ)ある神社を世に紹介せんとされた故 竹平勤 氏の熱誠により、神馬 龍星号を同士と共に導入、駒神楽として調教を完成せられ、県内はもとより全国向けのテレビ放映度々 (たびたび)あり、当神社の存在が世に知られる事となった。 同時に流鏑馬 (やぶさめ)乗馬基本訓練を地元の弟子 (でし)に伝え、現在では宮崎神宮の流鏑馬射手の中堅として活躍中である。
 今は亡 (な)き竹平勤大人命と神馬 龍星号を偲 (しの)び、馬事功労の足跡を称 (とな)え顕彰するものである。
平成15年6月吉日
と彫 (ほ)られています。



写真DY: 末社があります。



写真DZ: 「摂社 宮毘之社」があります。



写真EA: 「摂社 宮毘之社」の石碑 (せきひ)です。



写真EB: 赤い鳥居 (とりい)と奥に小さめの社殿 (車祓殿)があります。 左に白い鳥居があります。



写真EC: 赤い鳥居 (とりい)の社殿 (車祓殿)です。 左に岩の崖 (がけ)と池があります。



写真ED: 岩の崖 (がけ)と池 (「伝説 龍神之池」)、しめ縄 (なわ)があります。



写真EE: 穴が多く開 (あ)いた岩があります。 しめ縄 (なわ)もあります。



写真EF: 穴が多く開いた岩です。



写真EG: 岩の手前の池 (「伝説 龍神之池」)です。



写真EH: 池に照明もあります。



写真EI: 駒宮神社にある小さめの池 (「伝説 龍神之池」)です。



写真EJ: 赤い祠 (ほこら)があります。



写真EK: 赤い祠 (ほこら)の下部です。



写真EL: 「伝説 龍神之池」と書いてある標柱があります。



写真EM: 伝説 龍神之池です。



写真EN: 南西を見たものです。 左にしめ縄 (なわ)のある木があります。



写真EO: 北西を見たものです。 手すりのある上 (のぼ)り坂があります。 この坂を登っていきます。



写真EP: 右は本殿です。 屋根の上に外切りの千木 (ちぎ)と5本の鰹木 (かつおぎ)があります。



写真EQ: 右の本殿の左に拝殿が見えます。



写真ER: 右手に祠 (ほこら)があります。



写真ES: 右手にある祠 (ほこら)です。 後 (うし)ろに岩と岩の窪 (くぼ)みが見えます。



写真ET: 左手前は本殿です。 その奥に少し拝殿が見えています。 右に鳥居 (とりい)が見えます。



写真EU: 坂道の上の方に大きな岩の崖 (がけ)が見えてきました。



写真EV: 大きな岩の崖 (がけ)の下に祠 (ほこら)があります。



写真EW: 崖 (がけ)を見上 (あ)げたものです。



写真EX: 大きな岩の下にある祠 (ほこら)です。



写真EY: 大きな岩の崖 (がけ)を見上 (あ)げたものです。 岩の窪 (くぼ)みに祠 (ほこら)が見えます。 この山は長田山です。
「古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)」の説明板から、
 駒宮神社 境内 (けいだい)は往古 人皇第1代 神日本磐余彦天皇 (神武天皇)がお若い頃 (ころ)にお住 (す)まいとされた少宮趾と伝えられている。 日本書紀 巻第3によると「年15にして、立ちて太子となりたまふ。長りたまひて日向国の吾田邑 (現在の日南市 吾田)の吾平媛 (ひめ)をまきて妃としたまふ。 手研耳命を生みたまふ。」と記 (しる)されている。  右側の山は長田山と云 (い)われ、石段上に巨岩がある。 神社由緒 (ゆいしょ)記によると「神社の後方に大岩有り。 (神武)天皇後に宮崎の宮に向かいたまふ時、此 (こ)の岩の下に御鉾 (ほこ)を納めたまふと伝う。 旧時 御神体として奉祀されしものと伝う。」と記されており、紀元2600年には記念事業の1つとして玉垣 (たまがき)を廻 (めぐ)らして石段を整備して面目 (めんもく)を一新した。
巨石信仰について
 我国では古代より岩石には神霊が宿 (やど)ると考える信仰があった。 日本をはじめ世界各地にもストーンサークルやトルメン、メンヒルと云 (い)われる岩石の遺跡が考古学でも研究されている。



写真EZ: 大きな岩の上部です。



写真FA: 大きな岩の下部です。



写真FB: 岩の下部にも祠 (ほこら)があります。 赤い賽銭箱 (さいせんばこ)があります。



写真FC: 数本の石の柱に囲 (かこ)まれている石がいくつかあります。 大きな岩の崖 (がけ)のそばです。
「古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)」の説明板から、
 駒宮神社 境内 (けいだい)は往古 人皇第1代 神日本磐余彦天皇 (神武天皇)がお若い頃 (ころ)にお住 (す)まいとされた少宮趾と伝えられている。 日本書紀 巻第3によると「年15にして、立ちて太子となりたまふ。長りたまひて日向国の吾田邑 (現在の日南市 吾田)の吾平媛 (ひめ)をまきて妃としたまふ。 手研耳命を生みたまふ。」と記 (しる)されている。  右側の山は長田山と云 (い)われ、石段上に巨岩がある。 神社由緒 (ゆいしょ)記によると「神社の後方に大岩有り。 (神武)天皇後に宮崎の宮に向かいたまふ時、此 (こ)の岩の下に御鉾 (ほこ)を納めたまふと伝う。 旧時 御神体として奉祀されしものと伝う。」と記されており、紀元2600年には記念事業の1つとして玉垣 (たまがき)を廻 (めぐ)らして石段を整備して面目 (めんもく)を一新した。
巨石信仰について
 我国では古代より岩石には神霊が宿 (やど)ると考える信仰があった。 日本をはじめ世界各地にもストーンサークルやトルメン、メンヒルと云 (い)われる岩石の遺跡が考古学でも研究されている。



写真FD: 数本の石の柱の内側にいくつかの石があります。



写真FE: 数本の石の柱にしめ縄 (なわ)があります。 大きな岩の崖 (がけ)のそばです。



写真FF: 拝殿の方に降 (お)りる石段があります。 これを下 (くだ)ります。



写真FG: 石段の下部に鳥居 (とりい)があります。



写真FH: 見上 (あ)げたものです。



写真FI: 石段のそばから下を見たものです。



写真FJ: 野草の花がありました。



写真FK: 石段を下 (くだ)っていきます。



写真FL: 石段の下に鳥居 (とりい)があります。



写真FM: 左手奥に拝殿が見えます。



写真FN: 左端奥に二の鳥居 (とりい)が見えます。



写真FO: 建物があります。



写真FP: 西の遠くの風景も見えます。



写真FQ: 「史蹟 神武天皇御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)」と書いてあります。



写真FR: 「古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)」の説明板があります。
 駒宮神社 境内 (けいだい)は往古 人皇第1代 神日本磐余彦天皇 (神武天皇)がお若い頃 (ころ)にお住 (す)まいとされた少宮趾と伝えられている。 日本書紀 巻第3によると「年15にして、立ちて太子となりたまふ。長りたまひて日向国の吾田邑 (現在の日南市 吾田)の吾平媛 (ひめ)をまきて妃としたまふ。 手研耳命を生みたまふ。」と記 (しる)されている。  右側の山は長田山と云 (い)われ、石段上に巨岩がある。 神社由緒 (ゆいしょ)記によると「神社の後方に大岩有り。 (神武)天皇後に宮崎の宮に向かいたまふ時、此 (こ)の岩の下に御鉾 (ほこ)を納めたまふと伝う。 旧時 御神体として奉祀されしものと伝う。」と記されており、紀元2600年には記念事業の1つとして玉垣 (たまがき)を廻 (めぐ)らして石段を整備して面目 (めんもく)を一新した。
巨石信仰について
 我国では古代より岩石には神霊が宿 (やど)ると考える信仰があった。 日本をはじめ世界各地にもストーンサークルやトルメン、メンヒルと云 (い)われる岩石の遺跡が考古学でも研究されている。
と書かれています。



写真FS: 「古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)」の説明板です。
 駒宮神社 境内 (けいだい)は往古 人皇第1代 神日本磐余彦天皇 (神武天皇)がお若い頃 (ころ)にお住 (す)まいとされた少宮趾と伝えられている。 日本書紀 巻第3によると「年15にして、立ちて太子となりたまふ。長りたまひて日向国の吾田邑 (現在の日南市 吾田)の吾平媛 (ひめ)をまきて妃としたまふ。 手研耳命を生みたまふ。」と記 (しる)されている。  右側の山は長田山と云 (い)われ、石段上に巨岩がある。 神社由緒 (ゆいしょ)記によると「神社の後方に大岩有り。 (神武)天皇後に宮崎の宮に向かいたまふ時、此 (こ)の岩の下に御鉾 (ほこ)を納めたまふと伝う。 旧時 御神体として奉祀されしものと伝う。」と記されており、紀元2600年には記念事業の1つとして玉垣 (たまがき)を廻 (めぐ)らして石段を整備して面目 (めんもく)を一新した。
巨石信仰について
 我国では古代より岩石には神霊が宿 (やど)ると考える信仰があった。 日本をはじめ世界各地にもストーンサークルやトルメン、メンヒルと云 (い)われる岩石の遺跡が考古学でも研究されている。
と書かれています。



写真FT: 「古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)」の説明板。
 駒宮神社 境内 (けいだい)は往古 人皇第1代 神日本磐余彦天皇 (神武天皇)がお若い頃 (ころ)にお住 (す)まいとされた少宮趾と伝えられている。 日本書紀 巻第3によると「年15にして、立ちて太子となりたまふ。長りたまひて日向国の吾田邑 (現在の日南市 吾田)の吾平媛 (ひめ)をまきて妃としたまふ。 手研耳命を生みたまふ。」と記 (しる)されている。  右側の山は長田山と云 (い)われ、石段上に巨岩がある。 神社由緒 (ゆいしょ)記によると「神社の後方に大岩有り。 (神武)天皇後に宮崎の宮に向かいたまふ時、此 (こ)の岩の下に御鉾 (ほこ)を納めたまふと伝う。 旧時 御神体として奉祀されしものと伝う。」と記されており、紀元2600年には記念事業の1つとして玉垣 (たまがき)を廻 (めぐ)らして石段を整備して面目 (めんもく)を一新した。
巨石信仰について
 我国では古代より岩石には神霊が宿 (やど)ると考える信仰があった。 日本をはじめ世界各地にもストーンサークルやトルメン、メンヒルと云 (い)われる岩石の遺跡が考古学でも研究されている。
と書かれています。



写真FU: 「古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)」の説明板です。
 駒宮神社 境内 (けいだい)は往古 人皇第1代 神日本磐余彦天皇 (神武天皇)がお若い頃 (ころ)にお住 (す)まいとされた少宮趾と伝えられている。 日本書紀 巻第3によると「年15にして、立ちて太子となりたまふ。長りたまひて日向国の吾田邑 (現在の日南市 吾田)の吾平媛 (ひめ)をまきて妃としたまふ。 手研耳命を生みたまふ。」と記 (しる)されている。  右側の山は長田山と云 (い)われ、石段上に巨岩がある。 神社由緒 (ゆいしょ)記によると「神社の後方に大岩有り。 (神武)天皇後に宮崎の宮に向かいたまふ時、此 (こ)の岩の下に御鉾 (ほこ)を納めたまふと伝う。 旧時 御神体として奉祀されしものと伝う。」と記されており、紀元2600年には記念事業の1つとして玉垣 (たまがき)を廻 (めぐ)らして石段を整備して面目 (めんもく)を一新した。
巨石信仰について
 我国では古代より岩石には神霊が宿 (やど)ると考える信仰があった。 日本をはじめ世界各地にもストーンサークルやトルメン、メンヒルと云 (い)われる岩石の遺跡が考古学でも研究されている。



写真FV: 「古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)」の説明板。
 駒宮神社 境内 (けいだい)は往古 人皇第1代 神日本磐余彦天皇 (神武天皇)がお若い頃 (ころ)にお住 (す)まいとされた少宮趾と伝えられている。 日本書紀 巻第3によると「年15にして、立ちて太子となりたまふ。長りたまひて日向国の吾田邑 (現在の日南市 吾田)の吾平媛 (ひめ)をまきて妃としたまふ。 手研耳命を生みたまふ。」と記 (しる)されている。  右側の山は長田山と云 (い)われ、石段上に巨岩がある。 神社由緒 (ゆいしょ)記によると「神社の後方に大岩有り。 (神武)天皇後に宮崎の宮に向かいたまふ時、此 (こ)の岩の下に御鉾 (ほこ)を納めたまふと伝う。 旧時 御神体として奉祀されしものと伝う。」と記されており、紀元2600年には記念事業の1つとして玉垣 (たまがき)を廻 (めぐ)らして石段を整備して面目 (めんもく)を一新した。
巨石信仰について
 我国では古代より岩石には神霊が宿 (やど)ると考える信仰があった。 日本をはじめ世界各地にもストーンサークルやトルメン、メンヒルと云 (い)われる岩石の遺跡が考古学でも研究されている。
と書かれています。



写真FW: 野草の「ツワブキの花」がありました。



写真FX: ツワブキの葉です。



写真FY: 右は本殿です。 左に鳥居 (とりい)と祠 (ほこら)があります。 アメノウズメの祠 (ほこら)です。 鳥居にはしめ縄 (なわ)があります。



写真FZ: アメノウズメの祠 (ほこら)です。



写真GA: アメノウズメの祠 (ほこら)の裏に龍の石像があります。



写真GB: 本殿の上部です。



写真GC: 「奉納 駒宮神社 平成27年4月吉日」と書いてある幟 (のぼり)があります。 奥は拝殿です。



写真GD: 拝殿の左にも小さめの馬の像があります。



写真GE: 拝殿の左の方です。



写真GF: 奥に長田山に登る石段の鳥居 (とりい)が見えます。 その上 (北)には古蹟 御鉾 (ほこ)の窟 (いわや)があります。



写真GG: 一の鳥居 (とりい)が見えます。



写真GH: 「イチョウの黄葉」が境内 (けいだい)に落ちていました。



写真GI: 左の木の奥に日章旗 (にっしょうき)が見えます。 内側から見た一の鳥居 (とりい)です。



写真GJ: 石灯籠 (いしどうろう)の下にもイチョウの黄葉が落ちていました。



写真GK: 見上 (あ)げたイチョウの木です。 もう葉が半分以上散っていました。



写真GL: 外側から見た駒宮神社の一の鳥居 (とりい)です。



写真GM: 旧道の反対側にも駐車場があります。



写真GN: 東を見たものです。 駐車場が見えます。



写真GO:  バス停「駒宮神社前 宮崎交通」が見えます。 駐車場がいくつもあります。 南を見たものです。



写真GP: 南西を見たものです。 旧道です。



写真GQ: 神社の近くです。



写真GR: 北西を見たものです。



写真GS: 右端は一の鳥居 (とりい)です。



写真GT: バス停「駒宮神社前 宮崎交通」があります。 旧道にあります。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)