古代ハス (大賀ハス)の花、稚児ヶ池、スイレンの花、逢初川、記紀の道 (遊歩道) (ちごがいけ、九州初の大賀ハス生息地、2000年〜3000年前 (弥生時代以前)の大賀ハス、1951年に千葉市内の落合遺跡で大賀一郎が地下6 m からハスの実を発掘した。九州では初めて西都市が認定され、千葉市から2010年に大賀ハスの根4本を譲 (ゆず)り受け稚児ヶ池に植え、増殖中です。あいぞめがわ、逢初川の河口 (稚児ヶ池)、逢初川の木の橋、小舟、木苺 (木いちご)、アジサイの花、EM菌 (きん))  (宮崎県 西都市 三宅)







<標高、位置>  稚児ヶ池 (ちごがいけ)は
標高 約20 m
 北緯32度06分48秒  東経131度23分58秒


 1951年 (昭和26年)3月3日から4月6日まで、大賀一郎 博士たちは千葉県検見川の東京大学農業部厚生農場 (現在の東京大学総合運動場)を発掘 (はっくつ)し、地下約6 m の泥炭層 (でいたんそう)から3月30日に古いハスの実1粒を発見しました。 その後4月6日に2粒の実を発掘 (はっくつ)しました。 1951年5月6日に大賀宅で発芽処理が行われ、3個とも発芽しました。 1個はまもなく枯 (か)れてしまいました。 成長した2株 (かぶ)が6月に千葉県農業試験所 (現在の千葉県農林総合研究センター)へ移されました。 1株は数日後に枯 (か)れました。 1951年3月30日に出土したものだけが順調に育ちました。 1952年 (昭和27年)4月7日に成長した蓮根 (れんこん)を東京大学検見川厚生農場 (当時)、千葉公園の弁天池 (現在の菖蒲園 (しょうぶえん))、千葉県農業試験場へ植えられました。 東京大学の株は地元の農業委員である伊原茂 氏に栽培を委託 (いたく)されました。 この株は1952年 (昭和27年)7月18日に開花しました。 大賀ハス (古代ハス)の花は1重で花びらの数が少なく濃いめのピンク色をしています。 大型のハス (花は直径が25 cm 以上。)で花弁 (花びら)は船底型で細長く、線 (スジ)が不明瞭 (ふめいりょう)なのが特徴です。
大賀ハスは国内・外国の150箇所 (かしょ)以上に分根されて育っています。 西都市 稚児ヶ池の古代ハス (大賀ハス)は2013年に初めて開花しました。
 「大賀 (おおが)ハス」の説明板から、
*大賀ハスとは?
・1951年 (昭和26年)に千葉市内の落合遺跡の地下約6 m の泥炭層 (でいたんそう)から3粒のハスの実が発掘 (はっくつ)されました。 植物学者 大賀一郎 博士が、発掘された1粒の発芽育成に成功し、翌年 (1952年)に開花し、「大賀ハス」と命名されました。
・ハスの実の上方層で発掘された丸木舟 (まるきぶね)を放射性炭素年代測定した所、約3000年前との結果が出ました。 従 (したが)って、発掘された「大賀ハス」は2000年〜3000年前 (弥生時代以前)と推測されています。
・観賞用や食べ物としての植物は、人の手に依 (よ)って品種改良が何度もなされています。 その点、大賀ハスは2000年前の姿で開花しているので「世界最古の花」と言えます。
*九州初!
・稚児ヶ池の大賀ハスは、九州では初めて西都市が認定され、千葉市から2010年に大賀ハスの根4本を譲 (ゆず)り受け、現在も稚児ヶ池で増殖中 (ぞうしょくちゅう)です。
*見ごろ
・毎年、7月中旬頃 (ごろ)から開花が見られます。 早朝に開花し、午後には花が閉 (と)じてしまいますが、翌朝には又 (また)開きます。 これを3〜4日繰 (く)り返して散ります。
*ハス (蓮)とスイレン (睡蓮)は全く別品種。
・ハスはハス科ハス属で、スイレンはスイレン科スイレン属です。
・ハスの葉は切り込みが無く水を弾 (はじ)きますが、スイレンの葉には切り込みが有 (あ)り、水は弾きません。
・ハスは水面から立ち上がった茎 (くき)の先に開花し、スイレンは水面近くに花を咲かせます。

 「稚児ヶ池 (ちごがいけ)」は宮崎県 西都市 大字三宅 稚児ヶ池 にあります。
稚児ヶ池は下流の水田約 1 ha に水を供給しています。 伝説の法元 (ほうが)長千代丸 (14歳)は志願して溜池 (ためいけ)の堤 (つつみ)が壊れるのを防ぐために人柱 (ひとばしら)になりました。 それ以後、この溜池は稚児ヶ池と呼ばれるようになりました。
長千代丸顕徳碑の裏から、
 室町時代 (約600 年前)に、ここを治めていた伊東の時代に稚児ヶ池の堤(つつみ)は作られました。 しかし豪雨で決壊しました。 ちまたでは、池を作るときに池に住んでいた黒白の大蛇を殺して埋めたので、その祟(たた)りだと言われました。 それを静めるのに、人柱が考えられました。 国分寺から学業を終えて帰る途中の14歳だった長千代丸が捕らえられました。 正長元年(1428年)2月27日、長千代丸は少しも動ぜず、家人に遺言を伝え自刃して哀れにも深く8尺(約2.4 m)に埋められ、永くこの池の守護神として祀(まつ)られています。 人々はこの池を「稚児殿池(ちごんど池)」と呼んでいます。
 「市民のみなさんへ」の看板 (かんばん)から、
 稚児ヶ池の水質浄化および環境整備を目的としたEM菌 (きん)投入を平成15年8月28日より西都市都市計画課の指導のもと毎週木曜日に(社)日本造園建設業協会宮崎県支部・児湯西都地区会員のボランティアによりEM菌200リットルを池に投入しております。 また、除草作業等も合わせて行っております。
みなさんのご理解ある協力をお願い致します。
(EM菌 (きん)とは)、人間の体内に住む乳酸菌、光合成細菌、酵母 (こうぼ)などのように、動植物の細胞を活性化する働きを持つ酵素 (こうそ)や、生成物を作り出す有用微生物群で、主に発酵微生物を利用して作られています。 化学肥料や農薬による土壌汚染 (どじょうおせん)を防ぐ効果もあり、また、水質浄化にも実績があるため、池への投入を定期的に行っております。

 「逢初川 (あいそめがわ)」は宮崎県 西都市 大字三宅 にあります。 児湯の池 (こゆのいけ)の湧き水 (わきみず)などが流れる小川です。 源流は児湯の池で稚児ヶ池 (ちごがいけ)が河口になっています。 ニニギノミコトがこの逢初川 (あいそめがわ)に水を汲 (く)みに来ていたコノハナサクヤヒメと初めて出会い、好意を持って結婚して妻にしたいと思った場所と伝えられています。

 「記紀の道 (ききのみち)」
古事記や日本書紀と関係ある名所を辿 (たど)る宮崎県 西都市の道のことです。 逢初川 (あいぞめがわ)のそばの道も記紀の道です。
都萬神社と西都原古墳群の間に、古事記や日本書紀に載っている神話に関係する「記紀の道」があります。 古事記の記、日本書紀の紀、をとって記紀の道と呼ばれています。 古代の愛とロマン溢(あふ)れる道です。 日本で一番古い古事記、日本書紀には、日本神話の主要部をなす日向神話が書いてあります。 御船塚(みふねづか)、古事記の中に出てくる逢初川(あいぞめがわ)、八尋殿跡(やひろでんあと)、無戸室(うつむろ)、児湯の池(こゆのいけ)、石貫神社(いしぬきじんじゃ)、大山祇塚(おおやまづみづか、90号墳)などがあります。 これらは伝承遺跡と言われています。
 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。

 「睡蓮 (スイレン)」はスイレン科スイレン属の水草の総称です。 世界の熱帯・温帯に約50種が知られています。 泥中の根茎の1端から長柄のある葉を伸ばして水面に浮いて、夏に水面上に1花を付けます。 螺旋状 (らせんじょう)に配列する多くの花弁 (花びら)は赤・紫・白などです。 北アメリカ産の種類が多い。 花は夜は閉 (と)じ、昼に開き、蓮 (はす)に似ているので、この名前になっています。


写真A: 北を見たものです。 左のガードレールの奥には稚児ヶ池 (ちごがいけ)があります。 十字路を少し先に行った右手に国府跡があります。 先に進むと石貫神社 (いしぬきじんじゃ)、児湯の池、逢初川 (あいぞめがわ)の上流があります。 右に進むと妻北小学校、都萬神社 (つまじんじゃ)などがあります。 左に進むと西都原古墳群があります。 手前に進むと西都市役所などがあります。



写真B: 東を見たものです。 小さめの神社、右に消防団の建物と思われる物があります。 十字路のそばです。



写真C: 南西を見たものです。 右が稚児ヶ池 (ちごがいけ)です。 睡蓮 (すいれん)などが多く見えます。 先に進むと西都原古墳群があります。



写真D: 南を見たものです。 稚児ヶ池 (ちごがいけ)のそばの十字路です。



写真E: 南東を見たものです。



写真F: 東を見たものです。



写真G: 北東を見たものです。 十字路のそばです。



写真H: 北を見たものです。



写真I: 車止め (くるまどめ)があります。 その先に遊歩道が続いています。 この遊歩道を進んで「古代ハス (大賀ハス)」のある場所に行きます。 古代ハスは稚児ヶ池 (ちごがいけ)の北東端付近にあります。 左に古代ハス (大賀ハス)の説明板があります。 北西を見たものです。



写真J: 「歩行者通路」と書いてある看板 (かんばん)があります。 左上に稚児ヶ池 (ちごがいけ)が見えます。



写真K: 西を見たものです。 稚児ヶ池 (ちごがいけ)です。



写真L: 古代ハス (大賀ハス)の説明板です。 稚児ヶ池 (ちごがいけ)のそばにあります。



写真M: 「大賀ハスの場所の地図」があります。



写真N: 「大賀 (おおが)ハス」
*大賀ハスとは?
・1951年 (昭和26年)に千葉市内の落合遺跡の地下約6 m の泥炭層 (でいたんそう)から3粒のハスの実が発掘 (はっくつ)されました。 植物学者 大賀一郎 博士が、発掘された1粒の発芽育成に成功し、翌年 (1952年)に開花し、「大賀ハス」と命名されました。
・ハスの実の上方層で発掘された丸木舟 (まるきぶね)を放射性炭素年代測定した所、約3000年前との結果が出ました。 従 (したが)って、発掘された「大賀ハス」は2000年〜3000年前 (弥生時代以前)と推測されています。
・観賞用や食べ物としての植物は、人の手に依 (よ)って品種改良が何度もなされています。 その点、大賀ハスは2000年前の姿で開花しているので「世界最古の花」と言えます。
*九州初!
・稚児ヶ池の大賀ハスは、九州では初めて西都市が認定され、千葉市から2010年に大賀ハスの根4本を譲 (ゆず)り受け、現在も稚児ヶ池で増殖中 (ぞうしょくちゅう)です。
*見ごろ
・毎年、7月中旬頃 (ごろ)から開花が見られます。 早朝に開花し、午後には花が閉 (と)じてしまいますが、翌朝には又 (また)開きます。 これを3〜4日繰 (く)り返して散ります。
と書いてあります。



写真O: 「大賀 (おおが)ハス」
*大賀ハスとは?
・1951年 (昭和26年)に千葉市内の落合遺跡の地下約6 m の泥炭層 (でいたんそう)から3粒のハスの実が発掘 (はっくつ)されました。 植物学者 大賀一郎 博士が、発掘された1粒の発芽育成に成功し、翌年 (1952年)に開花し、「大賀ハス」と命名されました。
・ハスの実の上方層で発掘された丸木舟 (まるきぶね)を放射性炭素年代測定した所、約3000年前との結果が出ました。 従 (したが)って、発掘された「大賀ハス」は2000年〜3000年前 (弥生時代以前)と推測されています。
・観賞用や食べ物としての植物は、人の手に依 (よ)って品種改良が何度もなされています。 その点、大賀ハスは2000年前の姿で開花しているので「世界最古の花」と言えます。
*九州初!
・稚児ヶ池の大賀ハスは、九州では初めて西都市が認定され、千葉市から2010年に大賀ハスの根4本を譲 (ゆず)り受け、現在も稚児ヶ池で増殖中 (ぞうしょくちゅう)です。
*見ごろ
・毎年、7月中旬頃 (ごろ)から開花が見られます。 早朝に開花し、午後には花が閉 (と)じてしまいますが、翌朝には又 (また)開きます。 これを3〜4日繰 (く)り返して散ります。
と書いてあります。



写真P: 「大賀 (おおが)ハス」
*大賀ハスとは?
・1951年 (昭和26年)に千葉市内の落合遺跡の地下約6 m の泥炭層 (でいたんそう)から3粒のハスの実が発掘 (はっくつ)されました。 植物学者 大賀一郎 博士が、発掘された1粒の発芽育成に成功し、翌年 (1952年)に開花し、「大賀ハス」と命名されました。
・ハスの実の上方層で発掘された丸木舟 (まるきぶね)を放射性炭素年代測定した所、約3000年前との結果が出ました。 従 (したが)って、発掘された「大賀ハス」は2000年〜3000年前 (弥生時代以前)と推測されています。
・観賞用や食べ物としての植物は、人の手に依 (よ)って品種改良が何度もなされています。 その点、大賀ハスは2000年前の姿で開花しているので「世界最古の花」と言えます。
*九州初!
・稚児ヶ池の大賀ハスは、九州では初めて西都市が認定され、千葉市から2010年に大賀ハスの根4本を譲 (ゆず)り受け、現在も稚児ヶ池で増殖中 (ぞうしょくちゅう)です。
*見ごろ
・毎年、7月中旬頃 (ごろ)から開花が見られます。 早朝に開花し、午後には花が閉 (と)じてしまいますが、翌朝には又 (また)開きます。 これを3〜4日繰 (く)り返して散ります。
と書いてあります。



写真Q: 「大賀ハスの植栽場所」が書いてあります。 「記紀の道 (ききのみち)」に属しています。



写真R: 遊歩道を進みます。



写真S: 「アジサイの花」が咲いていました。



写真T: 「額紫陽花 (ガクアジサイ)の花」が咲いていました。



写真U: 遊歩道から南を見たものです。 稚児ヶ池 (ちごがいけ)です。 睡蓮 (すいれん)の花が白く点々と見えます。



写真V: 西都市にある稚児ヶ池 (ちごがいけ)の「睡蓮 (スイレン)の花」です。



写真W: 白いスイレンの花が咲いています。 葉が密 (みつ)に水面にあります。
「睡蓮 (スイレン)」はスイレン科スイレン属の水草の総称です。 世界の熱帯・温帯に約50種が知られています。 泥中の根茎の1端から長柄のある葉を伸ばして水面に浮いて、夏に水面上に1花を付けます。 螺旋状 (らせんじょう)に配列する多くの花弁 (花びら)は赤・紫・白などです。 北アメリカ産の種類が多い。 花は夜は閉 (と)じ、昼に開き、蓮 (はす)に似ているので、この名前になっています。



写真X: 稚児ヶ池 (ちごがいけ)のスイレンです。



写真Y: 北西を見たものです。 遊歩道を先に進みます。 右に民家があります。



写真Z: 遊歩道から見た稚児ヶ池です。



写真AA: 木製の展望所があります。



写真AB: 稚児ヶ池 (ちごがいけ)の展望所です。



写真AC: 展望所の出入り口です。



写真AD: 水面にスイレンも見えます。



写真AE: 展望所から見た水面です。



写真AF: 展望所から見た稚児ヶ池です。



写真AG: 対岸も見えます。



写真AH: 展望所と稚児ヶ池 (ちごがいけ)です。



写真AI: 記紀の道 (ききのみち)にある木製の展望所です。



写真AJ: 高い木も見えます。



写真AK: 展望所の柵 (さく)です。



写真AL: 展望所の出入り口です。



写真AM: 展望所の奥に木があります。 北東を見たものです。



写真AN: 展望所と水面です。



写真AO: 水面に睡蓮 (すいれん)の花が咲いていました。



写真AP: 稚児ヶ池 (ちごがいけ)の睡蓮 (すいれん)の花です。
「睡蓮 (スイレン)」はスイレン科スイレン属の水草の総称です。 世界の熱帯・温帯に約50種が知られています。 泥中の根茎の1端から長柄のある葉を伸ばして水面に浮いて、夏に水面上に1花を付けます。 螺旋状 (らせんじょう)に配列する多くの花弁 (花びら)は赤・紫・白などです。 北アメリカ産の種類が多い。 花は夜は閉 (と)じ、昼に開き、蓮 (はす)に似ているので、この名前になっています。
・ハスの葉は切り込みが無く水を弾 (はじ)きますが、スイレンの葉には切り込みが有 (あ)り、水は弾きません。
・ハスは水面から立ち上がった茎 (くき)の先に開花し、スイレンは水面近くに花を咲かせます。



写真AQ: 遊歩道の真ん中 (まんなか)に木を植えてあります。 右に太陽光発電のパネルが見えます。



写真AR: 民家と太陽光発電所があります。 畑、杉林も見えます。 北を見たものです。



写真AS: ここは遊歩道が3列になっています。



写真AT: 竹の奥に稚児ヶ池が見えます。



写真AU: 右に遊歩道の夜間照明があります。



写真AV: 野草の「ヒメジョオンの花」が咲いていました。



写真AW: ここは三叉路 (さんさろ)になっています。 北東を見たものです。 右に木苺 (きいちご)を植えてあります。 左に進むとすぐに古代ハス (大賀ハス)があります。



写真AX: 「記紀の道 (ききのみち)は みんなの散歩みちです。 気持ちよく 歩ける道にしよう! フンを踏 (ふ)んじゃった。 フンはきちんと 持ち帰えりましょう。」と書いてある看板 (かんばん)があります。 写真は逢初川 (あいぞめがわ)沿 (ぞ)いの記紀の道 (ききのみち)と思われます。



写真AY: 三叉路 (さんさろ)の近くに階段があります。 右端は木苺 (きいちご)です。



写真AZ: 西を見たものです。 左に古代ハス (大賀ハス)が見えてきました。 看板 (かんばん)、柵 (さく)があります。 少し先に逢初川 (あいぞめがわ)の稚児ヶ池への河口、休憩所 (きゅうけいしょ)があります。 右にアジサイの花が咲いていました。



写真BA: 西都市にある稚児ヶ池 (ちごがいけ)の「古代ハス (大賀ハス)の花」を見に人たちが来ています。



写真BB: 南を見たものです。 右は稚児ヶ池 (ちごがいけ)です。



写真BC: 「大賀 (おおが)ハス」の説明板があります。 ハスの花と葉の写真もあります。



写真BD: 「大賀 (おおが)ハス」
*大賀ハスとは?
・1951年 (昭和26年)に千葉市内の落合遺跡の地下約6 m の泥炭層 (でいたんそう)から3粒のハスの実が発掘 (はっくつ)されました。 植物学者 大賀一郎 博士が、発掘された1粒の発芽育成に成功し、翌年 (1952年)に開花し、「大賀ハス」と命名されました。
・ハスの実の上方層で発掘された丸木舟 (まるきぶね)を放射性炭素年代測定した所、約3000年前との結果が出ました。 従 (したが)って、発掘された「大賀ハス」は2000年〜3000年前 (弥生時代以前)と推測されています。
・観賞用や食べ物としての植物は、人の手に依 (よ)って品種改良が何度もなされています。 その点、大賀ハスは2000年前の姿で開花しているので「世界最古の花」と言えます。
*九州初!
・稚児ヶ池の大賀ハスは、九州では初めて西都市が認定され、千葉市から2010年に大賀ハスの根4本を譲 (ゆず)り受け、現在も稚児ヶ池で増殖中 (ぞうしょくちゅう)です。
*見ごろ
・毎年、7月中旬頃 (ごろ)から開花が見られます。 早朝に開花し、午後には花が閉 (と)じてしまいますが、翌朝には又 (また)開きます。 これを3〜4日繰 (く)り返して散ります。
*ハス (蓮)とスイレン (睡蓮)は全く別品種。
・ハスはハス科ハス属で、スイレンはスイレン科スイレン属です。
・ハスの葉は切り込みが無く水を弾 (はじ)きますが、スイレンの葉には切り込みが有 (あ)り、水は弾きません。
・ハスは水面から立ち上がった茎 (くき)の先に開花し、スイレンは水面近くに花を咲かせます。
お願い
稚児ヶ池の大賀ハスを西都市の貴重な観光名所に育て上げたいものです。 花を切り取ったりせずに、どうぞ遊歩道から目だけの観賞をお願いします。
西都市商工観光課 大賀ハスを育てる会
と書いてあります。



写真BE: 「大賀 (おおが)ハス」
*大賀ハスとは?
・1951年 (昭和26年)に千葉市内の落合遺跡の地下約6 m の泥炭層 (でいたんそう)から3粒のハスの実が発掘 (はっくつ)されました。 植物学者 大賀一郎 博士が、発掘された1粒の発芽育成に成功し、翌年 (1952年)に開花し、「大賀ハス」と命名されました。
・ハスの実の上方層で発掘された丸木舟 (まるきぶね)を放射性炭素年代測定した所、約3000年前との結果が出ました。 従 (したが)って、発掘された「大賀ハス」は2000年〜3000年前 (弥生時代以前)と推測されています。
・観賞用や食べ物としての植物は、人の手に依 (よ)って品種改良が何度もなされています。 その点、大賀ハスは2000年前の姿で開花しているので「世界最古の花」と言えます。
*九州初!
・稚児ヶ池の大賀ハスは、九州では初めて西都市が認定され、千葉市から2010年に大賀ハスの根4本を譲 (ゆず)り受け、現在も稚児ヶ池で増殖中 (ぞうしょくちゅう)です。
*見ごろ
・毎年、7月中旬頃 (ごろ)から開花が見られます。 早朝に開花し、午後には花が閉 (と)じてしまいますが、翌朝には又 (また)開きます。 これを3〜4日繰 (く)り返して散ります。
*ハス (蓮)とスイレン (睡蓮)は全く別品種。
・ハスはハス科ハス属で、スイレンはスイレン科スイレン属です。
・ハスの葉は切り込みが無く水を弾 (はじ)きますが、スイレンの葉には切り込みが有 (あ)り、水は弾きません。
・ハスは水面から立ち上がった茎 (くき)の先に開花し、スイレンは水面近くに花を咲かせます。
お願い
稚児ヶ池の大賀ハスを西都市の貴重な観光名所に育て上げたいものです。 花を切り取ったりせずに、どうぞ遊歩道から目だけの観賞をお願いします。
西都市商工観光課 大賀ハスを育てる会
と書いてあります。



写真BF: 東を見たものです。 奥の高い所の奥に木苺 (きいちご)を植えてあります。 左にアジサイの花が咲いています。 右に柵 (さく)があります。 右に説明板が見えます。



写真BG: 北東を見たものです。 大きな木があります。



写真BH: 北を見たものです。



写真BI: 北西を見たものです。 民家も見えます。



写真BJ: 西を見たものです。 遊歩道の左に休憩所 (きゅうけいしょ)、その手前に逢初川 (あいぞめがわ)の橋の欄干 (らんかん)が見えます。



写真BK: 水面に5つの丸いものがあります。 これは田植えの頃 (ころ)にこの溜池 (ためいけ)から田んぼに水を引くために水面が下がります。 古代ハスが弱らないように円筒形のコンクリートを池に入れてその部分の水面を上げるようにするものです。 長板でその円筒形の部分に渡れるようにしてありました。



写真BL: 古代ハス (大賀ハス)が広がっています。 濃いピンクの花も見えます。 南を見たものです。
・ハスの葉は切り込みが無く水を弾 (はじ)きますが、スイレンの葉には切り込みが有 (あ)り、水は弾きません。
・ハスは水面から立ち上がった茎 (くき)の先に開花し、スイレンは水面近くに花を咲かせます。



写真BM: 南東を見たものです。 大賀ハス (古代ハス)が育 (そだ)っています。



写真BN: 東を見たものです。



写真BO: 大賀ハス (古代ハス)の花も見えます。
1951年 (昭和26年)3月3日から4月6日まで、大賀一郎 博士たちは千葉県検見川の東京大学農業部厚生農場 (現在の東京大学総合運動場)を発掘 (はっくつ)し、地下約6 m の泥炭層 (でいたんそう)から3月30日に古いハスの実1粒を発見しました。 その後4月6日に2粒の実を発掘 (はっくつ)しました。 1951年5月6日に大賀宅で発芽処理が行われ、3個とも発芽しました。 1個はまもなく枯 (か)れてしまいました。 成長した2株 (かぶ)が6月に千葉県農業試験所 (現在の千葉県農林総合研究センター)へ移されました。 1株は数日後に枯 (か)れました。 1951年3月30日に出土したものだけが順調に育ちました。 1952年 (昭和27年)4月7日に成長した蓮根 (れんこん)を東京大学検見川厚生農場 (当時)、千葉公園の弁天池 (現在の菖蒲園 (しょうぶえん))、千葉県農業試験場へ植えられました。 東京大学の株は地元の農業委員である伊原茂 氏に栽培を委託 (いたく)されました。 この株は1952年 (昭和27年)7月18日に開花しました。 大賀ハス (古代ハス)の花は1重で花びらの数が少なく濃いめのピンク色をしています。 大型のハス (花は直径が25 cm 以上。)で花弁 (花びら)は船底型で細長く、線 (スジ)が不明瞭 (ふめいりょう)なのが特徴です。
大賀ハスは国内・外国の150箇所 (かしょ)以上に分根されて育っています。 西都市 稚児ヶ池の古代ハス (大賀ハス)は2013年に初めて開花しました。



写真BP: 西都市にある稚児ヶ池 (ちごがいけ)の「大賀ハスの花」です。 大賀ハスの葉に雨水が乗って光っています。
少なくとも8枚の花びらが見えます。



写真BQ: 稚児ヶ池の「古代ハス  (大賀ハス)」が広がっています。 蓮 (はす)の葉には睡蓮 (すいれん)のような切れ目がありません。 また蓮の葉は水面より少し高い所にあります。 花も水面より少し高い所にあります。



写真BR: 開ききった古代ハス (大賀ハス)の花です。
8枚の花びらが見えます。



写真BS: 北岸の近くに古代ハス (大賀ハス)が生 (は)えています。



写真BT: 開ききった大賀ハスの花の左上に大賀ハスの蕾 (つぼみ)も見えます。



写真BU: 開ききった大賀ハス (古代ハス)の花です。
少なくとも10枚の花びらが見えます。



写真BV: 大賀ハス (古代ハス)の蕾 (つぼみ)が見えます。 少しピンク色をしています。 その奥付近に葉の幅の広い物は「ハンゲショウ (半化粧あるいは半夏生)」です。
「ハンゲショウ」はドクダミ科の多年草で水辺 (みずべ)に生 (は)えます。 高さ約60 cm 。 夏に茎頂にある葉の下半部が白色に変わり、また白色の穂状花を咲かせます。



写真BW: 稚児ヶ池の大賀ハス (古代ハス)の花です。 水面の小さめの葉は水を弾 (はじ)いているので睡蓮 (すいれん)ではなく古代ハスの葉です。



写真BX: 開ききった大賀ハス (古代ハス)です。 右に開きはじめの葉も見えます。



写真BY: これから開こうとする若い葉です。 大賀ハス (古代ハス)です。



写真BZ: 5つの円筒形のコンクリート (まわりを小さめの多くの丸太 (まるた)で囲 (かこ)ってあります。)が見えます。 多くの丸太の2箇所 (かしょ)を短くしてあり、そこから新しい池の水が円の中に入るようにしてあります。 円筒形の物に渡る長板も見えます。



写真CA: 右は大賀ハス (古代ハス)の世話をしているM 氏です。 M 氏から大賀ハスの説明をいろいろ聞きました。 御礼申し上げます。 左の方は大きなレンズ付きのカメラを肩から下 (さ)げていらっしゃいます。



写真CB: 葦 (あし)の棒でいろいろ調べていらっしゃいました。



写真CC: 稚児ヶ池 (ちごがいけ)です。



写真CD: 大賀ハス (古代ハス)のそばの岸辺 (きしべ)です。



写真CE: 円筒形の構造がよく分かります。 コンクリートの円筒形のまわりを、細めのかまぼこ型の丸太 (まるた)多数で囲 (かこ)ってあります。 2箇所 (かしょ)に切れ目があって、そこから新しい池の水が円筒形の中に入るようになっています。 円筒形の中に若い蓮 (はす)の葉が数枚見えます。



写真CF: 稚児ヶ池の大賀ハス (古代ハス)です。



写真CG: 西を見たものです。 逢初川 (あいぞめがわ)の木の橋、その左奥に休憩所 (きゅうけいしょ)が見えます。 右にアジサイの花が咲いています。



写真CH: 「アジサイの花」です。



写真CI: アジサイを植えてあります。



写真CJ: 逢初川 (あいぞめがわ)の木の橋です。 左に休憩所 (きゅうけいしょ)があります。 右に小型の太陽光発電パネルが見えます。 西を見たものです。



写真CK: 北を見たものです。 逢初川 (あいぞめがわ)の上流方向です。 遊歩道が続いています。
「逢初川 (あいそめがわ)」は宮崎県 西都市 大字三宅 にあります。 児湯の池 (こゆのいけ)の湧き水 (わきみず)などが流れる小川です。 源流は児湯の池で稚児ヶ池 (ちごがいけ)が河口になっています。 ニニギノミコトがこの逢初川 (あいそめがわ)に水を汲 (く)みに来ていたコノハナサクヤヒメと初めて出会い、好意を持って結婚して妻にしたいと思った場所と伝えられています。



写真CL: 逢初川の水は澄 (す)んでいてきれいです。



写真CM: 木の橋と逢初川 (あいぞめがわ)です。 上流方向です。



写真CN: 下流方向の逢初川 (あいぞめがわ)と橋です。



写真CO: ここが逢初川 (あいぞめがわ)の河口です。 稚児ヶ池 (ちごがいけ)に注 (そそ)いでいます。 南を見たものです。 古代ハス (大賀ハス)は左手の方向にあります。



写真CP: 逢初川 (あいぞめがわ)に沿 (そ)って遊歩道が続いています。 北を見たものです。
「記紀の道 (ききのみち)」
古事記や日本書紀と関係ある名所を辿 (たど)る宮崎県 西都市の道のことです。 逢初川 (あいぞめがわ)のそばの道も記紀の道です。
都萬神社と西都原古墳群の間に、古事記や日本書紀に載っている神話に関係する「記紀の道」があります。 古事記の記、日本書紀の紀、をとって記紀の道と呼ばれています。 古代の愛とロマン溢(あふ)れる道です。 日本で一番古い古事記、日本書紀には、日本神話の主要部をなす日向神話が書いてあります。 御船塚(みふねづか)、古事記の中に出てくる逢初川(あいぞめがわ)、八尋殿跡(やひろでんあと)、無戸室(うつむろ)、児湯の池(こゆのいけ)、石貫神社(いしぬきじんじゃ)、大山祇塚(おおやまづみづか、90号墳)などがあります。 これらは伝承遺跡と言われています。



写真CQ: 小型の太陽光発電パネルがあります。 これで発電して夜間照明に使われているのでしょう。 民家も見えます。 北を見たものです。



写真CR: 北西を見たものです。



写真CS: 西を見たものです。 左上は休憩所 (きゅうけいしょ)の屋根です。



写真CT: 南を見たものです。 休憩所 (きゅうけいしょ)です。



写真CU: 稚児ヶ池の畔 (ほとり)に休憩所 (きゅうけいしょ)があります。



写真CV: 東を見たものです。 逢初川 (あいぞめがわ)の木の橋があります。 その奥に大賀ハス (古代ハス)が生 (は)えています。



写真CW: 北東を見たものです。 右端は逢初川の木の橋です。



写真CX: 北を見たものです。 逢初川 (あいぞめがわ)に沿 (そ)った遊歩道が続いています。
「記紀の道 (ききのみち)」
古事記や日本書紀と関係ある名所を辿 (たど)る宮崎県 西都市の道のことです。 逢初川 (あいぞめがわ)のそばの道も記紀の道です。



写真CY: 南を見たものです。



写真CZ: 上流側から見た逢初川の木の橋です。 南東を見たものです。



写真DA: 遊歩道のそばに夜間照明があります。



写真DB: 休憩所 (きゅうけいしょ)の中にベンチがあります。 西を見たものです。



写真DC: 北西を見たものです。



写真DD: 北西を見たものです。 右上は休憩所 (きゅうけいしょ)の屋根です。 左に看板 (かんばん)があります。



写真DE: 西を見たものです。



写真DF: 北から見た稚児ヶ池 (ちごがいけ)です。 睡蓮 (すいれん)の花が白く見えます。



写真DG: 南東を見たものです。 稚児ヶ池の睡蓮 (すいれん)が広がっています。



写真DH: 東を見たものです。 大賀ハス (古代ハス)のところに2人の人が見えます。



写真DI: 北を見たものです。 下流側から見た逢初川の木の橋と休憩所があります。



写真DJ: 北西を見たものです。 休憩所と逢初川に沿った遊歩道が見えます。



写真DK: 北東を見たものです。 休憩所の南の様子 (ようす)です。



写真DL: 「市民のみなさんへ」の看板 (かんばん)があります。
 稚児ヶ池の水質浄化および環境整備を目的としたEM菌 (きん)投入を平成15年8月28日より西都市都市計画課の指導のもと毎週木曜日に(社)日本造園建設業協会宮崎県支部・児湯西都地区会員のボランティアによりEM菌200リットルを池に投入しております。 また、除草作業等も合わせて行っております。
みなさんのご理解ある協力をお願い致します。
(EM菌 (きん)とは)
人間の体内に住む乳酸菌、光合成細菌、酵母 (こうぼ)などのように、動植物の細胞を活性化する働きを持つ酵素 (こうそ)や、生成物を作り出す有用微生物群で、主に発酵微生物を利用して作られています。 化学肥料や農薬による土壌汚染 (どじょうおせん)を防ぐ効果もあり、また、水質浄化にも実績があるため、池への投入を定期的に行っております。
社団法人日本造園建設業協会 宮崎県支部・児湯西都地区会員一同
と書いてあります。



写真DM: 「市民のみなさんへ」の看板 (かんばん)です。
 稚児ヶ池の水質浄化および環境整備を目的としたEM菌 (きん)投入を平成15年8月28日より西都市都市計画課の指導のもと毎週木曜日に(社)日本造園建設業協会宮崎県支部・児湯西都地区会員のボランティアによりEM菌200リットルを池に投入しております。 また、除草作業等も合わせて行っております。
みなさんのご理解ある協力をお願い致します。
(EM菌 (きん)とは)
人間の体内に住む乳酸菌、光合成細菌、酵母 (こうぼ)などのように、動植物の細胞を活性化する働きを持つ酵素 (こうそ)や、生成物を作り出す有用微生物群で、主に発酵微生物を利用して作られています。 化学肥料や農薬による土壌汚染 (どじょうおせん)を防ぐ効果もあり、また、水質浄化にも実績があるため、池への投入を定期的に行っております。
社団法人日本造園建設業協会 宮崎県支部・児湯西都地区会員一同
と書いてあります。



写真DN: 「市民のみなさんへ」の看板 (かんばん)。
 稚児ヶ池の水質浄化および環境整備を目的としたEM菌 (きん)投入を平成15年8月28日より西都市都市計画課の指導のもと毎週木曜日に(社)日本造園建設業協会宮崎県支部・児湯西都地区会員のボランティアによりEM菌200リットルを池に投入しております。 また、除草作業等も合わせて行っております。
みなさんのご理解ある協力をお願い致します。
(EM菌 (きん)とは)
人間の体内に住む乳酸菌、光合成細菌、酵母 (こうぼ)などのように、動植物の細胞を活性化する働きを持つ酵素 (こうそ)や、生成物を作り出す有用微生物群で、主に発酵微生物を利用して作られています。 化学肥料や農薬による土壌汚染 (どじょうおせん)を防ぐ効果もあり、また、水質浄化にも実績があるため、池への投入を定期的に行っております。
社団法人日本造園建設業協会 宮崎県支部・児湯西都地区会員一同
と書いてあります。



写真DO: 南西を見たものです。



写真DP: 南を見たものです。 グラスファイバーの小舟があります。 スイレンも見えます。



写真DQ: スイレンが茂 (しげ)っています。 右端は小舟です。 南東を見たものです。



写真DR: 東を見たものです。



写真DS: 北東を見たものです。



写真DT: 北を見たものです。



写真DU: 北西を見たものです。



写真DV: 西を見たものです。



写真DW: 稚児ヶ池 (ちごがいけ)のグラスファイバー製の船です。 中に雨水が溜 (たま)まっていました。 左と奥にスイレンの花が見えます。 南を見たものです。



写真DX: 稚児ヶ池の岸辺 (きしべ)です。



写真DY: 稚児ヶ池のスイレンと船です。



写真DZ: 東を見たものです。 スイレンが広がっています。



写真EA: 中央遠くに2人の人が見えます。 そこが大賀ハス (古代ハス)がある所です。 北東を見たものです。



写真EB: 北を見たものです。 休憩所が見えます。



写真EC: 稚児ヶ池の「スイレンの花」です。 右上は船です。



写真ED: 稚児ヶ池 (ちごがいけ)の「睡蓮 (すいれん)の花」です。
・ハスの葉は切り込みが無く水を弾 (はじ)きますが、スイレンの葉には切り込みが有 (あ)り、水は弾きません。
・ハスは水面から立ち上がった茎 (くき)の先に開花し、スイレンは水面近くに花を咲かせます。



写真EE: 開いた「睡蓮 (すいれん)の花」です。
「睡蓮 (スイレン)」はスイレン科スイレン属の水草の総称です。 世界の熱帯・温帯に約50種が知られています。 泥中の根茎の1端から長柄のある葉を伸ばして水面に浮いて、夏に水面上に1花を付けます。 螺旋状 (らせんじょう)に配列する多くの花弁 (花びら)は赤・紫・白などです。 北アメリカ産の種類が多い。 花は夜は閉 (と)じ、昼に開き、蓮 (はす)に似ているので、この名前になっています。
少なくとも29枚の花びらが見えます。



写真EF: 「スイレンの花」の様子 (ようす)がよく分かります。



写真EG: 小舟とスイレンです。 西都市にある稚児ヶ池 (ちごがいけ)。



写真EH: 北東を見たものです。 中央奥が古代ハス (大賀ハス)がある所です。



写真EI: 人が見えるところが古代ハス (大賀ハス)がある所です。



写真EJ: 休憩所のところに来ました。



写真EK: 木の橋から逢初川 (あいぞめがわ)の上流方向を見たものです。



写真EL: 逢初川 (あいぞめがわ)の水は澄 (す)んでいて川底が見えています。
「逢初川 (あいそめがわ)」は宮崎県 西都市 大字三宅 にあります。 児湯の池 (こゆのいけ)の湧き水 (わきみず)などが流れる小川です。 源流は児湯の池で稚児ヶ池 (ちごがいけ)が河口になっています。 ニニギノミコトがこの逢初川 (あいそめがわ)に水を汲 (く)みに来ていたコノハナサクヤヒメと初めて出会い、好意を持って結婚して妻にしたいと思った場所と伝えられています。



写真EM: 稚児ヶ池の岸です。



写真EN: 古代ハス (大賀ハス)のところに戻 (もど)ってきました。 東を見たものです。



写真EO: 稚児ヶ池の古代ハス (大賀ハス)です。



写真EP: 宮崎県 西都市 三宅にある稚児ヶ池 (ちごがいけ)の「古代ハス (大賀ハス)」です。



写真EQ: 緑色のネットを池に張 (は)ってあります。 これはイシガメ (石亀)が古代ハスの芽を食べるので、イシガメが古代ハスのところに来るのを防ぐためのものだそうです。



写真ER: 手前は古代ハスです。



写真ES: 古代ハス (大賀ハス)の蕾 (つぼみ)が見えます。



写真ET: 古代ハスの蕾 (つぼみ)などです。
1951年 (昭和26年)3月3日から4月6日まで、大賀一郎 博士たちは千葉県検見川の東京大学農業部厚生農場 (現在の東京大学総合運動場)を発掘 (はっくつ)し、地下約6 m の泥炭層 (でいたんそう)から3月30日に古いハスの実1粒を発見しました。 その後4月6日に2粒の実を発掘 (はっくつ)しました。 1951年5月6日に大賀宅で発芽処理が行われ、3個とも発芽しました。 1個はまもなく枯 (か)れてしまいました。 成長した2株 (かぶ)が6月に千葉県農業試験所 (現在の千葉県農林総合研究センター)へ移されました。 1株は数日後に枯 (か)れました。 1951年3月30日に出土したものだけが順調に育ちました。 1952年 (昭和27年)4月7日に成長した蓮根 (れんこん)を東京大学検見川厚生農場 (当時)、千葉公園の弁天池 (現在の菖蒲園 (しょうぶえん))、千葉県農業試験場へ植えられました。 東京大学の株は地元の農業委員である伊原茂 氏に栽培を委託 (いたく)されました。 この株は1952年 (昭和27年)7月18日に開花しました。 大賀ハス (古代ハス)の花は1重で花びらの数が少なく濃いめのピンク色をしています。 大型のハス (花は直径が25 cm 以上。)で花弁 (花びら)は船底型で細長く、線 (スジ)が不明瞭 (ふめいりょう)なのが特徴です。
大賀ハスは国内・外国の150箇所 (かしょ)以上に分根されて育っています。 西都市 稚児ヶ池の古代ハス (大賀ハス)は2013年に初めて開花しました。



写真EU: 古代ハスの葉の上の「雨水の玉」です。



写真EV: 古代ハスが生 (は)えているところの近くに木苺 (きいちご)が植えられています。 もう実を収穫 (しゅうかく)できるそうです。



写真EW: 稚児ヶ池のそばにある木苺 (きいちご)の木です。



写真EX: はじめに来た遊歩道を戻 (もど)ります。 南を見たものです。



写真EY: 木製の展望所が見えてきました。



写真EZ: 稚児ヶ池 (ちごがいけ)の遊歩道 (記紀の道 (ききのみち))にある「展望所」です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)