榎原神社 (よわらじんじゃ)、日南市 榎原の町並み (まちなみ) (旧 県社、県指定有形文化財 榎原神社 楼門 (ろうもん)と県指定有形文化財 榎原神社 鐘楼 (しょうろう)、県指定有形文化財 榎原神社本殿、樹齢 約600年の名木 夫婦楠 (くすのき)、ソテツ庭、2代目の榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)、宝物館、祖霊舎、伊勢海老 (いせえび)の像がある桜井神社、上講集会所)  (宮崎県 日南市 南郷町 榎原甲 1134-4)







<標高、位置>  榎原神社の国道220号沿 (ぞ)いの「一の鳥居(とりい)」は
標高 約40 m
 北緯31度32分07秒  東経131度18分27秒

<標高、位置>  榎原神社 (よわらじんじゃ)は
標高 約60 m
 北緯31度32分18秒  東経131度18分07秒

<標高、位置>  JR日南線の「榎原駅 (よわらえき)」は
標高 約40 m
 北緯31度32分05秒  東経131度18分23秒

<標高、位置>  榎原郵便局 (よわらゆうびんきょく)は
標高 約40 m
 北緯31度32分06秒  東経131度18分26秒

<標高、位置>  日南市役所 榎原支所(よわらししょ)は
標高 約50 m
 北緯31度32分12秒  東経131度18分30秒

<標高、位置>  日南市立 榎原小学校 (よわらしょうがっこう)は
標高 約60 m
 北緯31度32分13秒  東経131度18分24秒

<標高、位置>  日南市立 榎原中学校は
標高 約60 m
 北緯31度32分17秒  東経131度18分27秒


 「榎原神社 (よわらじんじゃ)」は宮崎県 日南市 南郷町 榎原甲 1134-4 にあります。
御祭神はアマテラスオオミカミ、アメノオシホミミ、ヒコホニニギ、ヒコホホデミ、ウガヤフキアエズ、カムヤマトイハレヒコ、アメノミナカヌシ、ニノトコタチ、ニサヅチ、オオナムチ、シタテルヒメ、イザナキ、イザナミ、オクツヒコ、オクツヒメ、フツヌシ、ククリヒメ、タケミナカタ です。
昔は榎原大権現 (よわらだいごんげん)と呼 (よ)ばれていました。 飫肥 (おび)3代藩主 伊東祐久が鵜戸神宮 (うどじんぐう)のご分霊を勧請して地福寺の境内 (けいだい)に創建しました。 社領ははじめ100石 (こく)でしたが、文化5年 (1808年)、11代藩主 伊東祐民が150石にしました。 鵜戸参り (まいり)とともに榎原参りが盛 (さか)んでした。 明治元年に榎原神社と改称しました。 明治6年に郷社に列せられました。 昭和5年8月1日に県社に昇格されました。 五穀豊穣 (ごこくほうじょう)・家内安全を祈 (いの)る作祈祷神楽 (かぐら)が創建以来伝わっています。 御神徳は縁結び・安産祈願・学業成就・家内安全です。 本殿は八ッ棟造りで、広さが43坪です。 創立年月日は万治元年 (1658年)12月23日です。 例祭日は11月8日・9日です。 旧暦3月15日・16日に縁日大祭があります。

「榎原神社御本殿 宮崎県指定有形文化財 昭和58年1月21日指定」の説明板から、
 本社は、当時神女として崇 (あが)められていた内田万寿 (ます) 姫の進言によって、飫肥3代藩主 伊東祐久 公が、万治元年 (1658年)12月23日、鵜戸神宮より勧請されたものである。 (摂社 (せっしゃ)桜井神社は内田万寿 (ます) 姫を祀 (まつ)っている。)
 現在の社殿は、宝永4年 (1707年)に建てられ、当初は八幡造りであったものが寛政10年 (1798年)当時流行していた権現造りに改造されたものと思われる。 拝殿を入母屋屋根とし正面に千鳥破風 (はふ)、その前面の向拝に、唐破風を設 (もう)けた。 拝殿・相 (あい)の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は権現造りである。 しかし従来から関係者は、屋根の複雑さから、八ッ棟 (やつむね)造りと呼 (よ)びならわしている。 県下には、唯一の貴重な有形文化財である。

「榎原神社鐘楼 (しょうろう) 昭和54年5月11日 宮崎県指定有形文化財」の説明板から、
 榎原神社は江戸時代初期 万治元年 (1658年) 第3代飫肥藩主 伊東祐久 公が、鵜戸神宮 (うどじんぐう)の神霊を勧請し藩内の鎮守 (ちんじゅ)として創建したもので、榎原山大権現と称 (しょう)され、歴代藩主の崇敬も厚く社禄神領の寄進 (きしん)を受けていた。 当社は神殿を中心に鐘楼 (しょうろう)・楼門 (ろうもん)などが残されているが、鐘楼は造形的にもこの神社の建造物の中では最も勝れており、県内でも数少ない貴重な遺構である。
 鐘楼は高さ11.41 m で、細部 (組物・蟇股・木鼻)の造りも入念な仕上げがされており、上部の鐘楼部の躍動感 (やくどうかん)と、下部の黒板張 (は)りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。

「榎原神社楼門 (よわらじんじゃろうもん) 県指定有形文化財 平成14年3月29日指定」の説明板から、
 この楼門は1816年 (文化13年)に神社境内 (けいだい)と門前町を結ぶ位置に建立 (こんりゅう)された。
 構造は、楼門づくりという木造2階建で、高さ約11 m 、横幅約7 m 、奥行約4 m で、1階の上に高欄の回廊を巡 (めぐ)らせている。 正面が3間 (ま)からなり、中央が参詣者用の通用門 (1戸)、両側2間にそれぞれ仁王像 (におうぞう)を、その上に随神像を安置して、8本の柱脚で建っていることから3間1戸8脚門という。
 楼門の特徴としては、柱上にだけ2手先出組を置き、2階の軒 (のき)に隅木を配して垂木 (たるき)を並べ、その本数で柱間を決める和様式と、礎石と柱の間に礎盤を置き、柱上に台輪を置いてその上に組み物を置くことや、垂木を扇形に配するなどの禅宗様式と、流派的な折衷 (せっちゅう)様式が用いられていることである。
 このような建築様式は、古く神仏習合を物語る歴史上の貴重な文化財として、極 (きわ)めて価値の高いものである。
 さらに、地場産の飫肥杉 (おびすぎ)を柱等の材料とし、礎石や礎盤に榎原石 (よわらいし)と呼 (よ)ばれる凝灰岩を加工して造る等、地方的特色が顕著 (けんちょ)であることからも、県下に類例のない古楼門である。

 榎原神社にある名木「夫婦楠 (くすのき)」は、 樹齢約600年、男楠 (左木) 廻 (まわ)り 8 m 、高さ 40 m 、女楠 (右木) 廻り 7.5 m 、高さ 38 m 。

「2代目の榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)」
拝殿の南にある標柱から、
榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)、平成18年4月21日創建の飫肥杉は病弱化等により伐採 (ばっさい)されたが、宮崎林業技術センターにおいて後継樹苗の育成を行い里帰りが実現した。


  「JR 榎原駅 (よわらえき)」は宮崎県 日南市 南郷町 榎原甲 114 にあります。
榎原駅はJR九州の日南線の駅です。 ホームは2面2線で地上駅です。 1935年 (昭和10年)4月15日に開業しました。 無人駅です。 2つのホームの間は構内踏切 (ふみきり)で渡ります。 1987年 (昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が承継 (しょうけい)しました。 上り側の隣駅 (となりえき)は谷之口駅で下り側の隣駅は日向大束駅 (ひゅうがおおつかえき)です。


写真A: 北を見たものです。 榎原神社 (よわらじんじゃ)の赤い一の鳥居 (とりい)があります。 その手前に左右に国道220号が通っています。 手前に進むと、JR 日南線の榎原駅 (よわらえき)があります。 赤い鳥居をくぐって進むと榎原神社に行きます。 国道220号を右 (東)に進むと南郷町の中心部、目井津、大堂津、油津、日南市の中心部、鵜戸神宮 (うどじんぐう)、宮崎市などがあります。 国道220号を左 (西)に進むと大束 (おおつか)、串間市の中心部、鹿児島県の志布志などがあります。



写真B: 東を見たものです。 国道220号です。



写真C: 国道220号のそばにある榎原神社の一の鳥居 (とりい)です。
「榎原神社 (よわらじんじゃ)」は宮崎県 日南市 南郷町 榎原甲 1134-4 にあります。
御祭神はアマテラスオオミカミ、アメノオシホミミ、ヒコホニニギ、ヒコホホデミ、ウガヤフキアエズ、カムヤマトイハレヒコ、アメノミナカヌシ、ニノトコタチ、ニサヅチ、オオナムチ、シタテルヒメ、イザナキ、イザナミ、オクツヒコ、オクツヒメ、フツヌシ、ククリヒメ、タケミナカタ です。
昔は榎原大権現 (よわらだいごんげん)と呼 (よ)ばれていました。 飫肥 (おび)3代藩主 伊東祐久が鵜戸神宮 (うどじんぐう)のご分霊を勧請して地福寺の境内 (けいだい)に創建しました。 社領ははじめ100石 (こく)でしたが、文化5年 (1808年)、11代藩主 伊東祐民が150石にしました。 鵜戸参り (まいり)とともに榎原参りが盛 (さか)んでした。 明治元年に榎原神社と改称しました。 明治6年に郷社に列せられました。 昭和5年8月1日に県社に昇格されました。 五穀豊穣 (ごこくほうじょう)・家内安全を祈 (いの)る作祈祷神楽 (かぐら)が創建以来伝わっています。 御神徳は縁結び・安産祈願・学業成就・家内安全です。 本殿は八ッ棟造りで、広さが43坪です。 創立年月日は万治元年 (1658年)12月23日です。 例祭日は11月8日・9日です。 旧暦3月15日・16日に縁日大祭があります。



写真D: 西を見たものです。 国道220号。



写真E: 先に進むとJR 日南線の榎原駅 (よわらえき)、榎原郵便局があります。 南西を見たものです。



写真F: 赤い鳥居 (とりい)をくぐってこれから榎原神社に行きます。



写真G: 「榎原神社参道」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)があります。



写真H: しばらく先に進むと榎原中学校、榎原小学校のそばの十字路があります。 その十字路を左 (西)に曲がって榎原神社に行きます。



写真I: 榎原中学校です。



写真J: 榎原小学校です。



写真K: 西を見たものです。 先に進むと榎原神社があります。 左は榎原小学校です。



写真L: 「榎原神社、串間」と書いてある道路標識があります。



写真M: 榎原小学校です。 南を見たものです。



写真N: 西を見たものです。 奥に榎原神社 (よわらじんじゃ)があります。



写真O: 奥に榎原神社の赤い二の鳥居 (とりい)が見えてきました。 西を見たものです。 榎原の町並み (まちなみ)です。



写真P: 店と思われます。



写真Q: テレビ受信アンテナでしょうか。



写真R: 右は白梅の木です。 西を見たものです。 榎原の町並み (まちなみ)です。



写真S: 赤い二の鳥居 (とりい)の上に榎原神社の楼門 (ろうもん)が見えます。 榎原の町並み (まちなみ)。 このあたりは榎原神社の門前町と思われます。



写真T: 中央は梅の木です。 右下はゴミ置き場です。



写真U: 「白い梅の花」が咲いていました。



写真V: 南を見たものです。 ここは三叉路 (さんさろ)になっています。 先に進むと国道220号に出ます。



写真W: 北を見たものです。 ここは店と思われます。



写真X: 割 (わ)った薪 (まき)を並べて乾燥してありました。



写真Y: 榎原 (よわら)の町並みです。 西を見たものです。



写真Z: 榎原神社の参道です。 西を見たものです。 鎮守の森 (ちんじゅのもり)、榎原神社の楼門 (ろうもん)、赤い二の鳥居 (とりい)も見えます。



写真AA: 葉牡丹 (ぼたん)がありました。



写真AB: 門柱に特徴があります。 上部がキノコ状になっています。



写真AC: 参道とまわりの様子 (ようす)です。



写真AD: 北西を見たものです。 上講集会所の建物です。



写真AE: 榎原神社の隣 (とな)りにある上講集会所です。



写真AF: 榎原神社 (よわらじんじゃ)です。 西を見たものです。
「榎原神社 (よわらじんじゃ)」は宮崎県 日南市 南郷町 榎原甲 1134-4 にあります。



写真AG: 「上講集会所」と書いてあります。
「火の用心 ことばを形に 習慣に。」と書いてあるポスターもあります。



写真AH: 上講集会所の玄関 (げんかん)です。



写真AI: コミュニティバス停「榎原神社、南郷町」のベンチです。



写真AJ: コミュニティバス停「榎原神社、南郷町」があります。



写真AK: 来た参道を振 (ふ)り返ったものです。 東を見たものです。



写真AL: 上講集会所です。



写真AM: 北西を見たものです。 「駐車場→」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真AN: 左は二の鳥居 (とりい)と奥の赤い楼門 (ろうもん)です。 右に小さめの赤い鳥居も見えます。



写真AO: 「榎原神社 (よわらじんじゃ)」は宮崎県 日南市 南郷町 榎原甲 1134-4 にあります。
赤い鳥居 (とりい)の左に看板 (かんばん)、右に石碑 (せきひ)があります。 石灯籠 (いしどうろう)も見えます。 奥の赤い建物は楼門 (ろうもん)です。



写真AP: 南西を見たものです。 「トイレ←」と書いてあります。 遠くの山が見えます。



写真AQ: 南を見たものです。 トイレがあります。 山も見えます。



写真AR: 南東を見たものです。 看板 (かんばん、南郷観光案内板)があります。



写真AS: 東を見たものです。 来た参道です。 左端は上講集会所です。



写真AT: 南にトイレがあります。



写真AU: 「榎原神社 祭神、縁日大祭、例大祭」の看板 (かんばん)があります。



写真AV: 「上段 納骨堂専用駐車場、下段 一般参拝者駐車場 榎原神社」と書いてあります。



写真AW: 階段と坂があります。



写真AX: 登り坂です。



写真AY: 下の駐車場を見下 (お)ろしたものです。 右にトイレがあります。 東を見たものです。



写真AZ: 北東を見たものです。 左に赤い二の鳥居 (とりい)が見えます。



写真BA: 左端は楼門 (ろうもん)、赤い二の鳥居 (とりい)です。



写真BB: 北を見たものです。 楼門 (ろうもん)の南側面が見えます。 左端は鐘楼 (しょうろう)です。 高い木もあります。



写真BC: 石灯籠 (いしどうろう)があります。 赤い楼門 (ろうもん)の左は手水舎 (ちょうずや)です。 北西を見たものです。



写真BD: 西を見たものです。 左に榎原神社祖霊舎 (納骨堂)があります。 手前は駐車場です。



写真BE: 榎原神社祖霊舎 (納骨堂)です。



写真BF: 南西を見たものです。 遠くの山も見えます。



写真BG: 南を見たものです。 左端は手水舎 (ちょうずや)です。



写真BH: 手水鉢 (ちょうずばち)に「心洗」と書いてあります。 東を見たものです。



写真BI: 「榎原神社祖霊舎」と書いてある大きな標柱があります。



写真BJ: 下の駐車場に「南郷観光案内板」があります。



写真BK: 緑色の公衆電話があります。 北東を見たものです。



写真BL: 二の鳥居 (とりい)の右に「榎原神社 (よわらじんじゃ)」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)があります。 奥に石段、石灯籠 (いしどうろう)、狛犬 (こまいぬ)、赤い楼門 (ろうもん)があります。 西を見たものです。



写真BM: 「榎原神社 駐車場→」の看板 (かんばん)があります。 その奥に「車祓所 (くるまはらいしょ)」と書いてあります。 北西を見たものです。



写真BN: 北東を見たものです。 奥に広場があります。



写真BO: 広い駐車場です。 北西を見たものです。 遠くの山も見えます。 右奥に坂の道路も見えます。



写真BP: 東を見たものです。 ここも駐車場です。



写真BQ: 「神社外苑記念 (がいえんきねん)」と書いてある石碑 (せきひ)が駐車場にあります。



写真BR: 南を見たものです。 右に赤い車祓い所 (くるまはらいしょ)があります。 小さめの鳥居 (とりい)の奥に二の鳥居の柱も見えます。 左は駐車場に来る道路です。



写真BS: 車祓い所 (くるまはらいしょ)です。 左に、小さめの鳥居 (とりい)の奥に二の鳥居の柱も見えます。 南を見たものです。



写真BT: 車祓い所 (くるまはらいしょ)です。 飫肥藩主の伊東の家紋 (九曜)があります。 しめ縄 (なわ)もあります。 東を見たものです。



写真BU: 「車祓所 (くるまはらいしょ)」と書いてあります。



写真BV: 奥にトイレもあります。 北西を見たものです。



写真BW: 神社の建物です。 北西を見たものです。



写真BX: 西を見たものです。



写真BY: 南西を見たものです。 中央に社務所と奥に社殿が見えます。 社殿の奥に高い「名木 夫婦楠 (くすのき)」見えています。



写真BZ: 南を見たものです。



写真CA: 東南東を見たものです。



写真CB: 東を見たものです。



写真CC: 左は車祓い所 (くるまはらいしょ)です。



写真CD: 側面から見た二の鳥居 (とりい)と石碑 (せきひ)、石段です。 南を見たものです。



写真CE: 二の鳥居 (とりい)です。



写真CF: 狛犬 (こまいぬ)があります。 西を見たものです。



写真CG: 狛犬 (こまいぬ)と石灯籠 (いしどうろう)、赤い灯明 (とうみょう)、左奥の赤い楼門 (ろうもん)です。



写真CH: 石灯籠 (いしどうろう)と赤い楼門 (ろうもん)です。



写真CI: もう一つの狛犬 (こまいぬ)が見えます。 南西を見たものです。



写真CJ: 左の狛犬 (こまいぬ)です。 西を見たものです。



写真CK: 見上 (あ)げた県指定有形文化財の榎原神社楼門 (ろうもん)と手前の赤い灯明 (とうみょう)です。 北西を見たものです。



写真CL: 狛犬 (こまいぬ)、赤い灯明 (とうみょう)、奥の楼門 (ろうもん)の下部です。



写真CM: 「榎原神社楼門、県指定有形文化財 指定日 平成14年3月29日、平成15年3月31日 建立 (こんりゅう) 南郷町教育委員会」と書いてある標柱があります。



写真CN: 「榎原神社楼門 (よわらじんじゃろうもん) 県指定有形文化財 平成14年3月29日指定」の説明板があります。
 この楼門は1816年 (文化13年)に神社境内 (けいだい)と門前町を結ぶ位置に建立 (こんりゅう)された。
 構造は、楼門づくりという木造2階建で、高さ約11 m 、横幅約7 m 、奥行約4 m で、1階の上に高欄の回廊を巡 (めぐ)らせている。 正面が3間 (ま)からなり、中央が参詣者用の通用門 (1戸)、両側2間にそれぞれ仁王像 (におうぞう)を、その上に随神像を安置して、8本の柱脚で建っていることから3間1戸8脚門という。
 楼門の特徴としては、柱上にだけ2手先出組を置き、2階の軒 (のき)に隅木を配して垂木 (たるき)を並べ、その本数で柱間を決める和様式と、礎石と柱の間に礎盤を置き、柱上に台輪を置いてその上に組み物を置くことや、垂木を扇形に配するなどの禅宗様式と、流派的な折衷 (せっちゅう)様式が用いられていることである。
 このような建築様式は、古く神仏習合を物語る歴史上の貴重な文化財として、極 (きわ)めて価値の高いものである。
 さらに、地場産の飫肥杉 (おびすぎ)を柱等の材料とし、礎石や礎盤に榎原石 (よわらいし)と呼 (よ)ばれる凝灰岩を加工して造る等、地方的特色が顕著 (けんちょ)であることからも、県下に類例のない古楼門である。
宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真CO: 「榎原神社楼門 (よわらじんじゃろうもん) 県指定有形文化財 平成14年3月29日指定」の説明板です。
 この楼門は1816年 (文化13年)に神社境内 (けいだい)と門前町を結ぶ位置に建立 (こんりゅう)された。
 構造は、楼門づくりという木造2階建で、高さ約11 m 、横幅約7 m 、奥行約4 m で、1階の上に高欄の回廊を巡 (めぐ)らせている。 正面が3間 (ま)からなり、中央が参詣者用の通用門 (1戸)、両側2間にそれぞれ仁王像 (におうぞう)を、その上に随神像を安置して、8本の柱脚で建っていることから3間1戸8脚門という。
 楼門の特徴としては、柱上にだけ2手先出組を置き、2階の軒 (のき)に隅木を配して垂木 (たるき)を並べ、その本数で柱間を決める和様式と、礎石と柱の間に礎盤を置き、柱上に台輪を置いてその上に組み物を置くことや、垂木を扇形に配するなどの禅宗様式と、流派的な折衷 (せっちゅう)様式が用いられていることである。
 このような建築様式は、古く神仏習合を物語る歴史上の貴重な文化財として、極 (きわ)めて価値の高いものである。
 さらに、地場産の飫肥杉 (おびすぎ)を柱等の材料とし、礎石や礎盤に榎原石 (よわらいし)と呼 (よ)ばれる凝灰岩を加工して造る等、地方的特色が顕著 (けんちょ)であることからも、県下に類例のない古楼門である。
宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真CP: 「榎原神社楼門 (よわらじんじゃろうもん) 県指定有形文化財 平成14年3月29日指定」の説明板。
 この楼門は1816年 (文化13年)に神社境内 (けいだい)と門前町を結ぶ位置に建立 (こんりゅう)された。
 構造は、楼門づくりという木造2階建で、高さ約11 m 、横幅約7 m 、奥行約4 m で、1階の上に高欄の回廊を巡 (めぐ)らせている。 正面が3間 (ま)からなり、中央が参詣者用の通用門 (1戸)、両側2間にそれぞれ仁王像 (におうぞう)を、その上に随神像を安置して、8本の柱脚で建っていることから3間1戸8脚門という。
 楼門の特徴としては、柱上にだけ2手先出組を置き、2階の軒 (のき)に隅木を配して垂木 (たるき)を並べ、その本数で柱間を決める和様式と、礎石と柱の間に礎盤を置き、柱上に台輪を置いてその上に組み物を置くことや、垂木を扇形に配するなどの禅宗様式と、流派的な折衷 (せっちゅう)様式が用いられていることである。
 このような建築様式は、古く神仏習合を物語る歴史上の貴重な文化財として、極 (きわ)めて価値の高いものである。
 さらに、地場産の飫肥杉 (おびすぎ)を柱等の材料とし、礎石や礎盤に榎原石 (よわらいし)と呼 (よ)ばれる凝灰岩を加工して造る等、地方的特色が顕著 (けんちょ)であることからも、県下に類例のない古楼門である。
宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真CQ: 「榎原神社楼門、県指定有形文化財 指定日 平成14年3月29日、平成15年3月31日 建立 (こんりゅう) 南郷町教育委員会」と書いてある標柱です。



写真CR: 「榎原神社楼門、県指定有形文化財 指定日 平成14年3月29日、平成15年3月31日 建立 (こんりゅう) 南郷町教育委員会」と書いてある標柱があります。



写真CS: 「榎原神社楼門、県指定有形文化財 指定日 平成14年3月29日、平成15年3月31日 建立 (こんりゅう) 南郷町教育委員会」と書いてある標柱。



写真CT: 楼門 (ろうもん)にある仁王像 (におうぞう)です。 仁王像は1対 (つい)になっています。 こちらは口を開 (あ)けた阿形 (あぎょう)です。 仁王像は伽藍(がらん)守護の神です。 寺門の両脇に安置してあることが多く、1対 (つい)の半裸形の金剛力士です。



写真CU: こちらは口を閉 (と)じた吽形 (うんぎょう)です。 1対 (つい)の仁王像 (におうぞう)の一つです。



写真CV: 横木に象の彫り物 (ほりもの)があります。 楼門です。



写真CW: 横木に象の彫り物 (ほりもの)があります。



写真CX: 内側から見た参道です。 手前は二の鳥居 (とりい)です。 東を見たもの。



写真CY: 見上 (あ)げた楼門 (ろうもん)です。



写真CZ: 楼門の1階の左右に仁王像 (におうぞう)があります。



写真DA: 楼門の下部です。



写真DB: 石段があります。



写真DC: 東を見たものです。 内側から見た榎原神社の楼門 (ろうもん)です。 柱の下の石の様子 (ようす)も分かります。 左は手水舎 (ちょうずや)です。



写真DD: 楼門 (ろうもん)の近くです。 東を見たものです。



写真DE: 手水舎 (ちょうずや)です。 北を見たものです。 横木に彫刻 (ちょうこく)があります。



写真DF: 手水鉢 (ちょうずばち)です。 柄杓 (ひしゃく)が7本見えます。



写真DG: 「奉納」と彫 (ほ)ってあります。



写真DH: 「奉納」と書いてある手ぬぐいがあります。



写真DI: 手水舎 (ちょうずや)にしめ縄 (なわ)があります。



写真DJ: 西を見たものです。 右端は鐘楼 (しょうろう)です。 石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真DK: 「県指定有形文化財 (県指定第1号建造物)、榎原神社鐘楼 (天保13年)1842年建立、平成19年8月15日」と書いてある石の標柱があります。 左は説明板です。



写真DL: 「県指定有形文化財 (県指定第1号建造物)、榎原神社鐘楼 (天保13年)1842年建立、平成19年8月15日」と書いてある石の標柱です。



写真DM: 榎原神社の鐘楼 (しょうろう)です。 北を見たものです。



写真DN: 鐘楼 (しょうろう)の下部です。 説明板、標柱、石灯籠 (いしどうろう)があります。 右端は手水舎 (ちょうずや)です。



写真DO: 鐘楼に「置県101年記念 鐘楼 県指定有形文化財」と書いてある額 (がく)があります。



写真DP: 北を見たものです。 右端は鐘楼です。



写真DQ: 「榎原神社鐘楼 (しょうろう) 昭和54年5月11日 宮崎県指定有形文化財」の説明板があります。
 榎原神社は江戸時代初期 万治元年 (1658年) 第3代飫肥藩主 伊東祐久 公が、鵜戸神宮 (うどじんぐう)の神霊を勧請し藩内の鎮守 (ちんじゅ)として創建したもので、榎原山大権現と称 (しょう)され、歴代藩主の崇敬も厚く社禄神領の寄進 (きしん)を受けていた。 当社は神殿を中心に鐘楼 (しょうろう)・楼門 (ろうもん)などが残されているが、鐘楼は造形的にもこの神社の建造物の中では最も勝れており、県内でも数少ない貴重な遺構である。
 鐘楼は高さ11.41 m で、細部 (組物・蟇股・木鼻)の造りも入念な仕上げがされており、上部の鐘楼部の躍動感 (やくどうかん)と、下部の黒板張 (は)りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。
平成19年8月15日 宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真DR: 「榎原神社鐘楼 (しょうろう) 昭和54年5月11日 宮崎県指定有形文化財」の説明板です。
 榎原神社は江戸時代初期 万治元年 (1658年) 第3代飫肥藩主 伊東祐久 公が、鵜戸神宮 (うどじんぐう)の神霊を勧請し藩内の鎮守 (ちんじゅ)として創建したもので、榎原山大権現と称 (しょう)され、歴代藩主の崇敬も厚く社禄神領の寄進 (きしん)を受けていた。 当社は神殿を中心に鐘楼 (しょうろう)・楼門 (ろうもん)などが残されているが、鐘楼は造形的にもこの神社の建造物の中では最も勝れており、県内でも数少ない貴重な遺構である。
 鐘楼は高さ11.41 m で、細部 (組物・蟇股・木鼻)の造りも入念な仕上げがされており、上部の鐘楼部の躍動感 (やくどうかん)と、下部の黒板張 (は)りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。
平成19年8月15日 宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真DS: 「榎原神社鐘楼 (しょうろう) 昭和54年5月11日 宮崎県指定有形文化財」の説明板。
 榎原神社は江戸時代初期 万治元年 (1658年) 第3代飫肥藩主 伊東祐久 公が、鵜戸神宮 (うどじんぐう)の神霊を勧請し藩内の鎮守 (ちんじゅ)として創建したもので、榎原山大権現と称 (しょう)され、歴代藩主の崇敬も厚く社禄神領の寄進 (きしん)を受けていた。 当社は神殿を中心に鐘楼 (しょうろう)・楼門 (ろうもん)などが残されているが、鐘楼は造形的にもこの神社の建造物の中では最も勝れており、県内でも数少ない貴重な遺構である。
 鐘楼は高さ11.41 m で、細部 (組物・蟇股・木鼻)の造りも入念な仕上げがされており、上部の鐘楼部の躍動感 (やくどうかん)と、下部の黒板張 (は)りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。
平成19年8月15日 宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真DT: 「榎原神社鐘楼 (しょうろう) 昭和54年5月11日 宮崎県指定有形文化財」の説明板です。
 榎原神社は江戸時代初期 万治元年 (1658年) 第3代飫肥藩主 伊東祐久 公が、鵜戸神宮 (うどじんぐう)の神霊を勧請し藩内の鎮守 (ちんじゅ)として創建したもので、榎原山大権現と称 (しょう)され、歴代藩主の崇敬も厚く社禄神領の寄進 (きしん)を受けていた。 当社は神殿を中心に鐘楼 (しょうろう)・楼門 (ろうもん)などが残されているが、鐘楼は造形的にもこの神社の建造物の中では最も勝れており、県内でも数少ない貴重な遺構である。
 鐘楼は高さ11.41 m で、細部 (組物・蟇股・木鼻)の造りも入念な仕上げがされており、上部の鐘楼部の躍動感 (やくどうかん)と、下部の黒板張 (は)りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。
平成19年8月15日 宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真DU: 日章旗 (日の丸の旗)があります。 社殿の左上に夫婦楠 (くすのき)が見えます。 左に御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付けてあります。 西を見たものです。



写真DV: 南南東を見たものです。 石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真DW: 鐘楼 (しょうろう)です。



写真DX: 北を見たものです。



写真DY: 石灯籠 (いしどうろう)、灯明 (とうみょう)、説明板などもあります。



写真DZ: 3段の石段があります。 左に御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付けてあります。 赤い社殿があります。 西を見たものです。



写真EA: 「榎原神社御本殿 宮崎県指定有形文化財 昭和58年1月21日指定」の説明板があります。
 本社は、当時神女として崇 (あが)められていた内田万寿 (ます) 姫の進言によって、飫肥3代藩主 伊東祐久 公が、万治元年 (1658年)12月23日、鵜戸神宮より勧請されたものである。 (摂社 (せっしゃ)桜井神社は内田万寿 (ます) 姫を祀 (まつ)っている。)
 現在の社殿は、宝永4年 (1707年)に建てられ、当初は八幡造りであったものが寛政10年 (1798年)当時流行していた権現造りに改造されたものと思われる。 拝殿を入母屋屋根とし正面に千鳥破風 (はふ)、その前面の向拝に、唐破風を設 (もう)けた。 拝殿・相 (あい)の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は権現造りである。 しかし従来から関係者は、屋根の複雑さから、八ッ棟 (やつむね)造りと呼 (よ)びならわしている。 県下には、唯一の貴重な有形文化財である。
平成19年8月15日 宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真EB: 「榎原神社御本殿 宮崎県指定有形文化財 昭和58年1月21日指定」の説明板です。
 本社は、当時神女として崇 (あが)められていた内田万寿 (ます) 姫の進言によって、飫肥3代藩主 伊東祐久 公が、万治元年 (1658年)12月23日、鵜戸神宮より勧請されたものである。 (摂社 (せっしゃ)桜井神社は内田万寿 (ます) 姫を祀 (まつ)っている。)
 現在の社殿は、宝永4年 (1707年)に建てられ、当初は八幡造りであったものが寛政10年 (1798年)当時流行していた権現造りに改造されたものと思われる。 拝殿を入母屋屋根とし正面に千鳥破風 (はふ)、その前面の向拝に、唐破風を設 (もう)けた。 拝殿・相 (あい)の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は権現造りである。 しかし従来から関係者は、屋根の複雑さから、八ッ棟 (やつむね)造りと呼 (よ)びならわしている。 県下には、唯一の貴重な有形文化財である。
平成19年8月15日 宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真EC: 「榎原神社御本殿 宮崎県指定有形文化財 昭和58年1月21日指定」の説明板。
 本社は、当時神女として崇 (あが)められていた内田万寿 (ます) 姫の進言によって、飫肥3代藩主 伊東祐久 公が、万治元年 (1658年)12月23日、鵜戸神宮より勧請されたものである。 (摂社 (せっしゃ)桜井神社は内田万寿 (ます) 姫を祀 (まつ)っている。)
 現在の社殿は、宝永4年 (1707年)に建てられ、当初は八幡造りであったものが寛政10年 (1798年)当時流行していた権現造りに改造されたものと思われる。 拝殿を入母屋屋根とし正面に千鳥破風 (はふ)、その前面の向拝に、唐破風を設 (もう)けた。 拝殿・相 (あい)の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は権現造りである。 しかし従来から関係者は、屋根の複雑さから、八ッ棟 (やつむね)造りと呼 (よ)びならわしている。 県下には、唯一の貴重な有形文化財である。
平成19年8月15日 宮崎県教育委員会 南郷町教育委員会
と書かれています。



写真ED: 東を見たものです。 楼門 (ろうもん)とその左の鐘楼 (しょうろう)です。 ソテツの木、説明板、石灯籠 (いしどうろう)、高い木などもあります。



写真EE: 東を見たものです。



写真EF: 北東を見たものです。 左端は社務所です。



写真EG: 中央は社務所です。 北を見たものです。



写真EH: 北西を見たものです。 社殿です。 灯明 (とうみょう)、石灯籠 (いしどうろう)もあります。



写真EI: 西を見たものです。 右の拝殿と左の摂社 (せっしゃ) 桜井神社です。 桜井神社は内田万寿 (ます) 姫を祀 (まつ)っています。 桜井神社の横木には伊勢海老 (いせえび)の像があります。 幟 (のぼり)もあります。 桜井神社の左の大きな木は夫婦楠 (くすのき)です。



写真EJ: 南西を見たものです。 絵馬 (えま)や御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付ける所があります。



写真EK: 南西を見たものです。



写真EL: 南を見たものです。



写真EM: 南東を見たものです。 大きな石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真EN: 東を見たものです。



写真EO: 東南東を見たものです 赤い消火栓 (せん)があります。 その上に赤い楼門 (ろうもん)が見えます。



写真EP: 東を見たものです。 上部が赤い鐘楼 (しょうろう)です。
この鐘楼では12月の大晦日 (おおみそか)に鐘 (かね)が突き鳴らされます。 神仏習合 (しんぶつしゅうごう)の名残り (なごり)と思われます。



写真EQ: 鐘楼 (しょうろう)の下部です。



写真ER: 東を見たものです。 左端は車祓 (はら)い所です。 右端は鐘楼 (しょうろう)です。



写真ES: 高い木があります。 北東を見たものです。



写真ET: 高い木の上部です。



写真EU: 北を見たものです。



写真EV: 左は社務所です。 その右奥に宝物資料館 (宝物館)があります。 ソテツ庭は宝物館の左にあります。 赤い箱は消防ホースを入れてある所と思われます。 北西を見たものです。



写真EW: 西を見たものです。 社務所です。



写真EX: 日章旗 (日の丸の旗)もあります。 南西を見たものです。



写真EY: 右端は社務所、拝殿も少し見えています。 拝殿の前に幟 (のぼり)があります。



写真EZ: 南を見たものです。 御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付けてあります。



写真FA: 南南東を見たものです。



写真FB: 鐘楼 (しょうろう)の下部です。



写真FC: 拝殿の右側面に大きな木を輪切りにしたものがあります。



写真FD: 運気上昇みくじなどのいろいろな御神籤 (おみくじ)を販売しています。 奥は拝殿の右側面です。



写真FE: 「←休憩所 (きゅうけいしょ)、→ソテツ庭、宝物館」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真FF: 絵馬 (えま)を掛 (か)ける所です。



写真FG: 参拝者 御休憩所 (きゅうけいしょ)です。 東を見たものです。



写真FH: 参拝者 御休憩所 (きゅうけいしょ)のそばです。



写真FI: 「参拝者 御休憩所 (きゅうけいしょ)」と書いてあります。 「禁煙」と書いてあります。



写真FJ: 榎原神社 (よわらじんじゃ)の拝殿 (はいでん)です。 北を見たものです。 鈴、しめ縄 (なわ)もあります。 「奉納 榎原神社 平成23年12月吉日」と書いてある幟 (のぼり)があります。



写真FK: 飫肥藩 (おびはん)の伊東藩主の家紋 (もん)(九曜)が社紋になっています。 幕 (まく)に社紋があります。 横木にいろいろな彫刻 (ちょうこく)があります。



写真FL: 北を見たものです。



写真FM: 拝殿の下部です。 3つの鈴と鈴紐 (ひも)があります。



写真FN: 拝殿です。 横木に象の彫り物 (ほりもの)があります。 横木にいろいろな彫刻 (ちょうこく)があります。 「榎原神社」と書いてある額 (がく)もあります。



写真FO: 榎原神社の拝殿です。 立派な彫刻 (ちょうこく)があります。



写真FP: 屋根の裏はこのようになっています。



写真FQ: 屋根の裏です。



写真FR: 飫肥藩 (おびはん)の伊東藩主の家紋 (もん)(九曜)が社紋になっています。 幕 (まく)に社紋があります。



写真FS: こちらにも社紋 (しゃもん)があります。 横木に象の彫り物 (ほりもの)があります。



写真FT: 拝殿の下部です。



写真FU: 象の彫り物 (ほりもの)がこちらにもあります。



写真FV: 拝殿に「榎原神社」と書いてある額 (がく)があります。



写真FW: お賽銭箱 (さいせんばこ)にも社紋 (九曜)があります。



写真FX: 西を見たものです。 摂社 (せっしゃ) 桜井神社です。 横木の前面に左右2つの伊勢海老 (いせえび)の像があります。 摂社 (せっしゃ)桜井神社は内田万寿 (ます) 姫を祀 (まつ)っています。



写真FY: 桜井神社の下部です。 2つの鈴と鈴紐 (ひも)があります。 しめ縄 (なわ)もあります。 石灯籠 (いしどうろう)、灯明 (とうみょう)があります。



写真FZ: 桜井神社の左奥 (南西)に夫婦楠 (くすのき)があります。 これは男楠 (くすのき)の方です。 その右の方に女楠 (くすのき)もあります。



写真GA: お賽銭箱 (さいせんばこ)に「社紋 (しゃもん)、奉納」と書いてあります。 「摂社 (せっしゃ) 桜井神社 祭神 神女 内田万寿 姫」と書いてあります。



写真GB: 桜井神社の中です。 「御神燈」と書いてある提灯 (ちょうちん)が多くあります。 下にお賽銭箱 (さいせんばこ)があります。



写真GC: 西を見たものです。 中央に夫婦楠 (くすのき)の男楠が見えます。 右は桜井神社です。



写真GD: 南を見たものです。 祠 (ほこら)があります。



写真GE: 桜井神社の屋根の裏です。 左上は夫婦楠の男楠です。



写真GF: 「名木[夫婦楠 (くすのき)」 樹齢約600年、男楠 (左木) 廻 (まわ)り 8 m 、高さ 40 m 、女楠 (右木) 廻り 7.5 m 、高さ 38 m 」と書いてあります。



写真GG: 名木「夫婦楠 (くすのき)」の男楠の方です。 しめ縄 (なわ)とお賽銭箱 (さいせんばこ)があります。 西を見たものです。



写真GH: 夫婦楠の男楠の幹 (みき)です。 榎原神社の摂社 (せっしゃ)桜井神社の左奥にあります。



写真GI: 夫婦楠の男楠の中部です。



写真GJ: 夫婦楠の男楠の枝ぶりが分かります。



写真GK: 夫婦楠の男楠の上部です。 右上は桜井神社です。



写真GL: 夫婦楠の男楠の先端です。



写真GM: 夫婦楠 (くすのき)の女楠が見えます。 男楠の北の方にあります。 やはり桜井神社のそばです。



写真GN: 夫婦楠 (くすのき)の女楠です。 しめ縄 (なわ)の上方の2枝の分かれめの割れ目 (われめ)は女性の両足と陰部を連想させます。 それで女楠 (くすのき)と呼 (よ)ばれているのでしょう。 北西を見たものです。



写真GO: 夫婦楠 (くすのき)の女楠の中部です。



写真GP: 夫婦楠 (くすのき)の女楠の上部です。



写真GQ: 夫婦楠 (くすのき)の女楠の先端。



写真GR: 奥は女楠 (くすのき)です。



写真GS: 桜井神社の西側面です。



写真GT: 中央は末社の霊社です。 右端は社殿です。 北を見たものです。



写真GU: 「末社 霊社」と書いてあります。 お賽銭箱 (さいせんばこ)があります。



写真GV: これも末社と思われます。 北を見たものです。



写真GW: 石灯籠 (いしどうろう)もあります。



写真GX: 末社の天満神社です。 しめ縄 (なわ)もあります。



写真GY: 「末社 天満神社」と書いてあります。



写真GZ: 西から見た社殿です。 右が拝殿をです。 左は本殿と思われます。 右端は桜井神社。 東を見たものです。



写真HA: 社殿と末社2つです。 東を見たものです。



写真HB: 中央は拝殿です。 東を見たものです。



写真HC: 桜井神社です。



写真HD: 桜井神社。



写真HE: 桜井神社の横木の立派な伊勢海老 (いせえび)の像がよく分かります。



写真HF: 桜井神社の右の伊勢海老の像です。



写真HG: 左の伊勢海老 (いせえび)の像もあります。 隣 (とな)りに象の像もあります。



写真HH: 桜井神社の下部です。



写真HI: 北西を見たものです。 左奥に宝物館 (宝物資料館)があります。



写真HJ: 左は宝物資料館です。



写真HK: 北西を見たものです。 宝物資料館の南側にソテツ庭があります。



写真HL: 榎原神社のソテツ庭です。 西を見たものです。 本殿と宝物館 (宝物資料館)の間にあります。



写真HM: 南西を見たものです。 右はソテツ庭、左は本殿です。



写真HN:  左は社務所、右は本殿です。 南西を見たものです。



写真HO:  南東を見たものです。 左は鐘楼 (しょうろう)、右は社務所です。



写真HP:  東を見たものです。 右端は鐘楼 (しょうろう)です。



写真HQ: 北東を見たものです。



写真HR: 北を見たものです。



写真HS: 宝物資料館 (宝物館)です。 西を見たものです。 榎原神社。
宝物資料館には冠 (かんむり)、古文など約90点が保管、展示されています。



写真HT: 宝物資料館 (宝物館)のそばです。



写真HU: 入り口に「宝物資料館」と書いてあります。



写真HV: 南西を見たものです。 榎原神社のソテツ庭です。 多くのソテツの木があります。 看板 (かんばん)があります。



写真HW: 右はソテツ庭です。 左は本殿です。



写真HX: 「長寿のソテツ、このソテツは、地を這 (は)うように曲がりくねり、その昔、出雲 (いずも)に降ったスサノオノミコトが退治したヤマタノオロチを連想させます。 この庭裏に遊歩道があります。 榎原神社」と書いてあります。



写真HY: 地を這 (は)うヤマタノオロチに似たソテツの木が2つ見えます。 その間の葉の大きな植物はシマオオタニワタリと思われます。



写真HZ: 地を這 (は)う2つのソテツの木とシマオオタニワタリという植物です。 右奥は宝物館 (宝物資料館)です。



写真IA: ソテツ庭の間に遊歩道があります。



写真IB: 南西を見たものです。 墓地があります。 円筒形の墓石は僧職の人の墓です。



写真IC: 南を見たものです。 中央奥は桜井神社です。



写真ID: ソテツの奥は本殿です。



写真IE: 榎原神社のソテツ庭です。 南東を見たものです。



写真IF: 東を見たものです。 多くのソテツがあります。



写真IG: 左端は宝物館 (宝物資料館)です。 ソテツ庭です。 北東を見たものです。



写真IH: 北を見たものです。 境内 (けいだい)です。



写真II: 西を見たものです。



写真IJ: 南西を見たものです。 墓地があります。



写真IK: 南を見たものです。 4本の飫肥杉 (おびすぎ)があります。 御神籤 (おみくじ)を縛 (しば)り付けてあります。



写真IL: 4本の飫肥杉 (おびすぎ)の木、御神籤 (おみくじ)を縛り付けてあります。



写真IM: 4本の飫肥杉 (おびすぎ)の中部です。 南を見たものです。



写真IN: 4本の飫肥杉 (おびすぎ)の上部です。



写真IO: 飫肥杉 (おびすぎ)の先端です。



写真IP: 柵 (さく)で囲 (かこ)ってあります。
「榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)、平成18年4月21日創建の飫肥杉は病弱化等により伐採 (ばっさい)されたが、宮崎林業技術センターにおいて後継樹苗の育成を行い里帰りが実現した。 宮崎県林業技術センター、平成20年3月」と書いてある標柱があります。



写真IQ: 「榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)、平成18年4月21日創建の飫肥杉は病弱化等により伐採 (ばっさい)されたが、宮崎林業技術センターにおいて後継樹苗の育成を行い里帰りが実現した。 宮崎県林業技術センター、平成20年3月」と書いてある標柱です。



写真IR: 「榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)、平成18年4月21日創建の飫肥杉は病弱化等により伐採 (ばっさい)されたが、宮崎林業技術センターにおいて後継樹苗の育成を行い里帰りが実現した。 宮崎県林業技術センター、平成20年3月」と書いてある標柱。



写真IS: 「榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)、平成18年4月21日創建の飫肥杉は病弱化等により伐採 (ばっさい)されたが、宮崎林業技術センターにおいて後継樹苗の育成を行い里帰りが実現した。 宮崎県林業技術センター、平成20年3月」と書いてある標柱です。



写真IT: 「榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)、平成18年4月21日創建の飫肥杉は病弱化等により伐採 (ばっさい)されたが、宮崎林業技術センターにおいて後継樹苗の育成を行い里帰りが実現した。 宮崎県林業技術センター、平成20年3月」と書いてある標柱。



写真IU: 「榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)、平成18年4月21日創建の飫肥杉は病弱化等により伐採 (ばっさい)されたが、宮崎林業技術センターにおいて後継樹苗の育成を行い里帰りが実現した。 宮崎県林業技術センター、平成20年3月」と書いてある標柱があります。



写真IV: 2代目の榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)です。 北を見たものです。 奥は拝殿です。



写真IW: 2代目の榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)。



写真IX: 2代目の榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)です。



写真IY: 2代目の榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)。



写真IZ: 右に古い切り株 (かぶ)があります。 これが1代目の榎原神社創建の飫肥杉 (おびすぎ)かもしれません。



写真JA: 東を見たものです。 赤い楼門 (ろうもん)が見えます。



写真JB: 鐘楼 (しょうろう)と右の楼門 (ろうもん)です。



写真JC: 北を見たものです。 左端は二の鳥居 (とりい)です。 その右の小さめの赤い鳥居の奥は車祓い所 (くるまはらいしょ)です。 奥に進むと駐車場があります。



写真JD: 北東を見たものです。 上講集会所が見えます。 右端に公衆電話があります。



写真JE: 「奉献 ヒマラヤ桜、ネパールでは秋に咲く、古事記編纂 (さん)1300年記念」と書いてある標柱があります。



写真JF: 「奉献 ヒマラヤ桜、ネパールでは秋に咲く、古事記編纂 (さん)1300年記念」と書いてある標柱です。



写真JG: 「奉献 ヒマラヤ桜、ネパールでは秋に咲く、古事記編纂 (さん)1300年記念」と書いてある標柱。



写真JH: 手前がヒマラヤ桜です。 北を見たものです。



写真JI: 西を見たものです。



写真JJ: コカ・コーラを飲みました。



写真JK: 飲料水の自動販売機があります。 上講集会所の敷地です。



写真JL: 南西を見たものです。 遠くの山が見えます。



写真JM: 山が見えます。



写真JN: 南を見たものです。



写真JO: 「八重 (やえ)のスイセンの花」が咲いていました。



写真JP: 飫肥杉 (おびすぎ)があります。



写真JQ: 杉の木に竹を渡 (わた)してあります。



写真JR: 飫肥杉 (おびすぎ)です。



写真JS: 北西を見たものです。 広い駐車場です。 遠くの山も見えます。



写真JT: 西を見たものです。 右は駐車場です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)