宮崎神宮、宮崎県護国神社 (五所稲荷神社、神宮会館、一の鳥居、NHK宮崎放送局、真栄寺(至慶保育園、至慶幼稚園)、県立宮崎東高等学校、県立宮崎大宮高等学校、JR宮崎神宮駅、宮崎神宮東郵便局)  (宮崎県宮崎市)







<標高、位置>  宮崎神宮は
標高 約数 m
 北緯31度56分18秒  東経131度25分24秒

<標高、位置>  宮崎県護国神社は
標高 約数 m
 北緯31度56分15秒  東経131度25分18秒

<標高、位置>  一の鳥居(とりい)は
標高 約数 m
 北緯31度55分41秒  東経131度25分34秒

<標高、位置>  JR宮崎神宮駅は
標高 約数 m
 北緯31度56分19秒  東経131度25分50秒

<標高、位置>  NHK 宮崎放送局は
標高 約数 m
 北緯31度55分49秒  東経131度25分33秒


  「宮崎神宮」は宮崎県宮崎市神宮2丁目4番1号にあり、神武天皇を主祭神とし相殿には御父君と御母君が奉斎されている。 神武天皇は45歳の御時、天下統治に応しい地を求めて日向国を御出発、数々の苦難の末に大和地方を平定され第一代の天皇として即位された。 後に皇子神八井耳命の御子(建磐龍命)により、天皇の御神霊が当地(皇居高千穂宮の霊地)に鎮祭され今日に至っている。
 古来より神武天皇宮域は神武天皇廟(びょう)と称されて歴代領主の尊崇篤く、明治維新に際し神武創業の昔に復えるという事で、特に注目、重視された。 明治18年、官幣大社(かんぺいたいしゃ)に昇格、社名も同11年、宮崎神社から宮崎宮と改称され、大正2年に現在の宮崎神宮となった。 その間の明治31年、神武天皇御降誕大祭会(総裁公爵二条基弘、会長伯爵島津忠亮、幹事長男爵高木兼寛)が発足し、社殿の造営境内地拡張等の大工事が進められた。 特に明治天皇には御内金を下賜あらせられ、これを契機に全国的規模の募金活動が展開された。 同40年に竣工、遷座奉告祭が斎行され、更に同年11月、嘉仁親王殿下(大正天皇)のご参拝を給わった。 以後皇族方のご参拝が続いた。 殊に昭和天皇には皇太子裕仁親王殿下の御時、大正9年を始めとして6度のご参拝を給わった。 又皇太后陛下には大正12年、久宮良子女王殿下として御成婚御奉告を始めとして陛下とともに2度の御参拝を給わっている。
 地元では「神武さま」と親しんで呼ばれる。 社殿は伊勢神宮と同じ神明造。 木材は高原町の狭野神社にある狭野杉が用いられた。 毎年10月下旬には宮崎神宮大祭があり、神宮から瀬頭の「御旅所」まで御神賑行列が練り歩く。
 1197年に地頭の土持太郎信綱が社殿を造営。 その後、伊東が蓮ヶ池、下北方より社領を奉献(1473年)。 伊東が下北方、江平に神地を奉献(1562年)。 有馬(当時、宮崎城は延岡藩の飛び地でした)が造営改築(1644年)。
 4月3日: 神事流鏑馬(やぶさめ)、10月26日: 例祭、10月27日から10月29日: 御神幸祭(宮崎神宮大祭)が行われる。

 「国指定天然記念物 宮崎神宮のオオシラフジ」は指定年月日: 昭和26年6月9日。
 本樹は中国原産のオオシラフジで、同種ではわが国で最も大きい樹木である。
根回り2.95 mで幹が二つに分かれている。 西の枝は径1.6 m、東南の枝は径1.41 mあり長く伸びている。 樹冠は、西南方向に約12.23 mに達し、東方向にはあまり伸びず約6.35 mである。
 4月中旬ごろ、真白で大きな花を咲かせ、皆の目を楽しませてくれている。
 「オオシラフジ」は、正式の学名ではなく、藤(フジ)の一品種で白く大きな花をつけることからその名が呼ばれている。
 明治40年(1907年)に当時の宮崎町長が植えたもので、樹齢300年以上と言われている。

「宮崎県 護国神社」は宮崎県宮崎市神宮2丁目4番3号にあります。 祭神: 国家公共に尽くした人の神霊。
由緒: 護国神社は全国都道府県に52社あって、他県の場合は明治維新の当時に創立され、すでに戦前より慰霊の祭儀が行われていた。
 しかし、宮崎県の場合は諸般の事情により創立が遅れ昭和18年に至り宮崎市下北方の高台に創建することになって建設工事を始めたのであるが、建設の途上に昭和20年8月15日終戦となり、連合軍の占領下にこの建設は取りやめることになった。
 講和条約の発効に伴って、県民から護国神社再建の要望が高まり、昭和28年4月より浄財を募って再建に着手し、昭和30年3月10日竣工し、同日御祭神の鎮座祭を斎行した。


写真A: 宮崎神宮の南側の参道にある「一の鳥居(とりい)」。 バス停もあります。 宮崎神宮は手前側にあります。



写真B: 一の鳥居と宮崎神宮の間にはNHK宮崎放送局があります。 その赤と白に塗られたアンテナが見えています。 昭和30年頃はNHKの付近に盲学校がありました。 この参道には「ナギ」という木の並木があります。



写真C: 宮崎神宮「一の鳥居」の上部。



写真D: 宮崎神宮「一の鳥居」の中部。



写真E: 宮崎神宮「一の鳥居」の下部。



写真F: 宮崎神宮「一の鳥居」の下部。 昭和30年ごろはこの付近に自転車で来た「紙芝居屋」さんが子供を集めて営業していました。 紙芝居屋さんは焼きイカ、ウエハースの帽子が付いた水アメを売っていました。



写真G: 一の鳥居とNHK宮崎放送局のアンテナ。 街路樹はナギという木です。



写真H: 宮崎神宮「一の鳥居」。 左の道の奥に宮崎神宮があります。 右の道は国道10号線です。 その先にはJR宮崎神宮駅があります。 昭和30年頃は中央の携帯DOCOMO店の所に交番(こうばん)がありました。 今はその交番はこの写真の左手に引っ越ししています。 少し左に行った所(今のスポーツ練習店)に映画館(江平若草)があり、小学生のとき学校から観(み)に連れて行ってくれてました。 「路傍(ろぼう)の石」、「青い大陸」などは学校から、「忠臣蔵」は友人と観ました。



写真I: 宮崎神宮「一の鳥居」とNHK宮崎放送局のアンテナ。 参道の両側にある街路樹はナギです。



写真J: 参道には一の鳥居、NHK宮崎放送局などがあります。



写真K: この鳥居(大正10年建立)はJR宮崎神宮駅と宮崎神宮を結ぶ道にあります。 



写真L: JR宮崎神宮駅のそばにある宮崎神宮の鳥居(大正10年建立)の中部。



写真M: JR宮崎神宮駅のそばにある宮崎神宮の鳥居(大正10年建立)の下部。



写真N: JR宮崎神宮駅。 国道10号線沿いにあります。 今は無人駅になっていますが、以前は第二次大戦前に出来た駅舎がありました。



写真O: JR宮崎神宮駅から見た宮崎神宮の鳥居。



写真P: この参道の奥の森が宮崎神宮の鎮守(ちんじゅ)の森です。 参道の街路樹はクロガネモチです。 赤い実がたくさん付きます。



写真Q: JR宮崎神宮駅の赤い鳥居。 「宮崎神宮駅」と書かれています。



写真R: JR宮崎神宮駅の赤い鳥居。 「宮崎神宮駅」と書かれています。



写真S: JR宮崎神宮駅の線路とホーム。 無人駅になっています。 ホームに窓のある待合室が見えています。



写真T: JR宮崎神宮駅。



写真U: JR宮崎神宮駅。 無人駅になっています。 ホームに窓のある待合室が見えます。



写真V: JR宮崎神宮駅から見た宮崎神宮の鳥居。



写真W: JR宮崎神宮駅から見た国道10号線の北側。 大興不動産、フォルクスワーゲンの販売店も見えています。



写真X: JR宮崎神宮駅から見た国道10号線の南側。



写真Y: 宮崎神宮の東側の参道。 奥が宮崎神宮。 参道の街路樹はクロガネモチです。 赤い実がたくさん付きます。



写真Z: 宮崎神宮の東参道には「クロガネモチ」の街路樹があります。 ずいぶん昔からのクロガネモチのようです。



写真AA: 宮崎神宮の東参道には「クロガネモチ」の街路樹があります。 ずいぶん昔からのクロガネモチのようです。



写真AB: 東参道には宮崎神宮東郵便局があります。



写真AC: 宮崎神宮の東参道。



写真AD: 宮崎神宮の東参道沿(ぞ)いに「宮崎神宮 鳥居(とりい)建設記念碑」があります。 鳥居は大正10年に建立されました。



写真AE: 宮崎神宮の東参道。 クロガネモチの街路樹があります。



写真AF: 宮崎神宮に着きました。 ここは東入り口です。



写真AG: 宮崎神宮の東入り口。 石造物があります。 平和台と形が似ています。



写真AH: 「官幣(かんぺい)大社 宮崎神宮」と彫(ほ)ってあります。 官幣の文字は消してあるようです。 昭和21年2月神社制度の改革で「社格」が廃止されたためと思われます。



写真AI: 宮崎神宮の東入り口。



写真AJ: そばに鶏(にわとり)がいました。 野生化しています。



写真AK: そばに鶏(にわとり)がいました。 野生化しています。



写真AL: 「鶏を捨てないでください。」という内容のユーモアのある立て札(ふだ)。



写真AM: 宮崎神宮の「東神苑(えん)」。 駐車場になっています。 ちょうど陶器市が開かれていました。 季節によっては植木市も開かれます。



写真AN: 宮崎神宮の「東神苑(えん)」。 駐車場になっています。 ちょうど陶器市が開かれていました。 季節によっては植木市も開かれます。



写真AO: 宮崎神宮の参道。



写真AP: 明治24年建立の石碑(せきひ)があります。



写真AQ: 参道にある石碑(せきひ)。



写真AR: 以前、徴古館(ちょうこかん)があったところ。 今は御神田、水祓場があります。 昭和30年ごろは徴古館の前の階段にラジオを置いて、小学生が大勢集まり、夏休みのラジオ体操会が開かれていました。 出席するとハンコを押してもらえました。



写真AS: 宮崎神宮の2体の「石像」がある広場。



写真AT: 奥に南参道(本参道)が少し見えています。



写真AU: 右奥に旧徴古館(ちょうこかん)が見えています。 この旧徴古館は今でも昔の物などが展示されています。



写真AV: 宮崎神宮の旧徴古館(ちょうこかん)。 この旧徴古館は今でも昔の物などが展示されています。



写真AW: 宮崎神宮の2体の石像(仁王像(におうぞう))。 おそらく1868年(明治初年)の仏教排撃運動である廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)以前に、ここにあった寺のものと思われます。



写真AX: 猿蓑塚の石碑(せきひ)。



写真AY: 宮崎神宮の旧徴古館(ちょうこかん)。 中には展示物があります。



写真AZ: 宮崎神宮の旧徴古館(ちょうこかん)。 中には展示物があります。



写真BA: 「宮崎神宮 宮日新観光地百景」と書かれた石碑。 昭和52年7月建立。



写真BB: 「宮崎神宮 宮日新観光地百景」と書かれた石碑。 昭和52年7月建立。



写真BC: 宮崎神宮の境内(けいだい)。



写真BD: 「宮崎神宮略記」の説明版。
当神宮は神武天皇を主祭神とし相殿には御父君と御母君が奉斎されている。 神武天皇は45歳の御時、天下統治に応しい地を求めて日向国を御出発、数々の苦難の末に大和地方を平定され第一代の天皇として即位された。 後に皇子神八井耳命の御子(建磐龍命)により、天皇の御神霊が当地(皇居高千穂宮の霊地)に鎮祭され今日に至っている。
 古来より神武天皇宮域は神武天皇廟(びょう)と称されて歴代領主の尊崇篤く、明治維新に際し神武創業の昔に復えるという事で、特に注目、重視された。 明治18年、官幣大社(かんぺいたいしゃ)に昇格、社名も同11年、宮崎神社から宮崎宮と改称され、大正2年に現在の宮崎神宮となった。 その間の明治31年、神武天皇御降誕大祭会(総裁公爵二条基弘、会長伯爵島津忠亮、幹事長男爵高木兼寛)が発足し、社殿の造営境内地拡張等の大工事が進められた。 特に明治天皇には御内金を下賜あらせられ、これを契機に全国的規模の募金活動が展開された。 同40年に竣工、遷座奉告祭が斎行され、更に同年11月、嘉仁親王殿下(大正天皇)のご参拝を給わった。 以後皇族方のご参拝が続いた。 殊に昭和天皇には皇太子裕仁親王殿下の御時、大正9年を始めとして6度のご参拝を給わった。 又皇太后陛下には大正12年、久宮良子女王殿下として御成婚御奉告を始めとして陛下とともに2度の御参拝を給わっている。
と書いてあります。



写真BE: 「宮崎神宮略記」の説明版。
当神宮は神武天皇を主祭神とし相殿には御父君と御母君が奉斎されている。 神武天皇は45歳の御時、天下統治に応しい地を求めて日向国を御出発、数々の苦難の末に大和地方を平定され第一代の天皇として即位された。 後に皇子神八井耳命の御子(建磐龍命)により、天皇の御神霊が当地(皇居高千穂宮の霊地)に鎮祭され今日に至っている。
 古来より神武天皇宮域は神武天皇廟(びょう)と称されて歴代領主の尊崇篤く、明治維新に際し神武創業の昔に復えるという事で、特に注目、重視された。 明治18年、官幣大社(かんぺいたいしゃ)に昇格、社名も同11年、宮崎神社から宮崎宮と改称され、大正2年に現在の宮崎神宮となった。 その間の明治31年、神武天皇御降誕大祭会(総裁公爵二条基弘、会長伯爵島津忠亮、幹事長男爵高木兼寛)が発足し、社殿の造営境内地拡張等の大工事が進められた。 特に明治天皇には御内金を下賜あらせられ、これを契機に全国的規模の募金活動が展開された。 同40年に竣工、遷座奉告祭が斎行され、更に同年11月、嘉仁親王殿下(大正天皇)のご参拝を給わった。 以後皇族方のご参拝が続いた。 殊に昭和天皇には皇太子裕仁親王殿下の御時、大正9年を始めとして6度のご参拝を給わった。 又皇太后陛下には大正12年、久宮良子女王殿下として御成婚御奉告を始めとして陛下とともに2度の御参拝を給わっている。
と書いてあります。



写真BF: 宮崎神宮の南参道にある「NHK宮崎放送局」。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。 昔はこの付近に盲学校がありました。



写真BG: NHK宮崎放送局。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真BH: NHK宮崎放送局。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。 昔はこの付近に盲学校がありました。



写真BI: 「日本放送協会 宮崎放送会館」。



写真BJ: 「日本放送協会 宮崎放送会館」。



写真BK: 真栄寺の塔。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真BL: 真栄寺の塔。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真BM: 真栄寺。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真BN: 浄土真宗 本願寺派 「真栄寺」 至慶保育園 至慶幼稚園の門札(もんさつ)。 私はここの至慶保育園(しけいほいくえん)の園児でした。



写真BO: 浄土真宗 本願寺派 「真栄寺」の山門。



写真BP: 「宮崎県立 宮崎東高等学校」。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。 昔はここは大淀川の三日月湖である「弦月湖(げんげつこ)」がありました。



写真BQ: 「宮崎県立 宮崎東高等学校」。



写真BR: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校の同窓会会館。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真BS: 宮崎神宮の南参道。 街路樹はナギの木です。 子供の頃、左手のナギの木の枝が折れて、木から落ち息が詰(つ)まったことがあります。



写真BT: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。 中央奥に昔からある「幽霊松」も見えています。



写真BU: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。 中央奥に昔からある「幽霊松」も見えています。



写真BV: 宮崎神宮の南参道。 金井酒店も見えています。



写真BW: 宮崎神宮の南参道。 金井酒店も見えています。 昭和30年頃は右隣に肉屋さん(鴨(カモ)、兎(ウサギ)も売っていました)もありました。



写真BX: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真BY: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真BZ: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真CA: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真CB: バス停「大宮高校前」。 立ち木はアリゾナ糸杉です。



写真CC: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真CD: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校。 緑の網があるところはテニスコートになっています。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真CE: 宮崎県立 宮崎大宮高等学校。 緑の網があるところはテニスコートになっています。 一の鳥居と宮崎神宮の間にあります。



写真CF: 宮崎神宮の南参道付近の景色。



写真CG: 宮崎神宮の南参道付近の景色。 大学堂薬房も見えます。 昭和30年頃は食堂をやっておられました。 左奥の森は宮崎神宮。



写真CH: 宮崎神宮の南参道付近の景色。 宮崎自転車店(昭和30年ごろ開業)も見えます。 左手の街路樹はナギの木。 右奥の森は宮崎神宮。



写真CI: 宮崎神宮の南参道付近の景色。 「たつみ食堂」も見えます。 昭和30年頃は駄菓子なども売っていました。



写真CJ: 宮崎神宮の南参道付近の景色。 宮崎自転車店も見えます。



写真CK: 宮崎市にある宮崎神宮。



写真CL: 宮崎神宮の南参道付近の景色。 バス停も見えています。



写真CM: 宮崎神宮の南参道付近の景色。 先に進むとJR宮崎神宮駅があります。



写真CN: 宮崎神宮の南参道付近の景色。 先に行くと宮崎県芸術劇場、宮崎県美術館、宮崎県図書館などがあります。



写真CO: 宮崎市にある宮崎神宮。 昭和30年ごろの夏には、中央の森の木陰(こかげ)に、自転車に箱を載せた「アイスキャンデー屋」が来ていました。 アイスキャンデーの旗をなびかせて棒に付けた氷菓子を売っていました。



写真CP: バス停留所「宮崎神宮」。 バスが2台止まっています。 昭和30年頃はこの付近に交番(こうばん)がありました。 当時の市内バスはここで折り返して引き返していました。 宮崎交通のトレーラーバス、バッテリーで走る電気バス、木炭を燃やして走る木炭バスもここに来ていました。



写真CQ: 宮崎神宮のそばにある「神武天皇宮崎宮之碑」。 昭和15年11月建立。 バス停のそばにあります。



写真CR: 宮崎神宮のそばにある「神武天皇宮崎宮之碑」。 昭和15年11月建立。 バス停のそばにあります。



写真CS: 宮崎神宮のそばにある「神武天皇宮崎宮之碑」。 昭和15年11月建立。 バス停のそばにあります。



写真CT: 宮崎神宮のそばにある「神武天皇宮崎宮之碑」。 昭和15年11月建立。



写真CU: バス停留所「宮崎神宮」。



写真CV: バス停留所「宮崎神宮」。



写真CW: 左は宮崎神宮。 中央奥にお菓子屋「蒸気屋」も見えます。



写真CX: 宮崎神宮。 落羽松の木も見えています。 昭和30年ごろの夏には、右の森の木陰(こかげ)に、自転車に箱を載せた「アイスキャンデー屋」が来ていました。 アイスキャンデーの旗をなびかせて棒に付けた氷菓子を売っていました。



写真CY: 宮崎神宮。 鳥居(とりい)と落羽松の木も見えています。 左の店の所に、昭和30年頃は「宮前旅館」もありました。



写真CZ: 「宮崎神宮」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)。



写真DA: 宮崎神宮から南参道方向を見た景色。



写真DB: 宮崎神宮のそばの景色。 お菓子屋「蒸気屋」も見えます。 左端の店の所は、昭和30年頃はアイスキャンデーを作る機械が置いてある店がありました。



写真DC: 宮崎神宮のそばの景色。 バス停も見えます。



写真DD: 宮崎神宮の石碑。



写真DE: 宮崎神宮のそばの景色。 「神宮写真館」も見えます。 昭和30年頃はここに「宮前旅館」がありました。



写真DF: 宮崎神宮の楠(くすのき)。



写真DG: 宮崎神宮の落羽松(らくうしょう)の木、鳥居(とりい)も見えます。



写真DH: 「みやざきの巨樹百選」の説明版。
樹木名: ラクウショウ
樹齢: 100年、幹周: 460 cm、樹高: 24 m、所有者: 神社
平成4年3月指定 宮崎県
と書いてあります。



写真DI: 「郷土の銘木 ラクウショウ」と書かれた案内棒も見えます。 根元に根が空中に向かって出ています。 これを「気根」と言います。 宮崎神宮にあります。



写真DJ: 宮崎神宮にある「郷土の銘木 ラクウショウ」。  樹齢: 100年、幹周: 460 cm、樹高: 24 m、所有者: 神社
平成4年3月指定 宮崎県。



写真DK: 宮崎神宮にある「郷土の銘木 ラクウショウ」。  樹齢: 100年、幹周: 460 cm、樹高: 24 m、所有者: 神社
平成4年3月指定 宮崎県。



写真DL: 宮崎神宮にある「郷土の銘木 ラクウショウ」。  樹齢: 100年、幹周: 460 cm、樹高: 24 m、所有者: 神社
平成4年3月指定 宮崎県。



写真DM: 宮崎神宮の南側の広場。 奥に五所稲荷(ごしょいなり)の赤い鳥居(とりい)が見えています。



写真DN: 宮崎神宮の南側の入り口。 鳥居、石灯籠(いしどうろう)があります。 左の木はラクウショウ。



写真DO: 宮崎神宮の南入り口。 国旗掲揚台もあります。



写真DP: 宮崎神宮の南入り口付近。 中央奥の木は楠(くすのき)。 「神宮写真館」も見えます。



写真DQ: 宮崎神宮の南入り口付近。 お菓子屋の「蒸気屋」も見えます。



写真DR: 宮崎神宮の南入り口にある「定」が書いてある看板(かんばん)。



写真DS: 宮崎神宮の南入り口。 子供の頃、見えている石垣(いしがき)の上から飛び降りて遊んでいました。



写真DT: 宮崎神宮に野生化した鶏(にわとり)がいました。



写真DU: 宮崎神宮の参道。 突き当たりに宮崎神宮本殿があります。



写真DV: 宮崎神宮の参道。 突き当たりに宮崎神宮本殿があります。



写真DW: 宮崎神宮の参道。 突き当たりに宮崎神宮本殿があります。



写真DX: 宮崎神宮の参道。 突き当たりに宮崎神宮本殿があります。 橋も見えています。



写真DY: 宮崎神宮の参道から西神苑(にししんえん)を見たもの。 古代の木造船「おきよ丸」が見えます。 これは神武天皇が日向市から近畿地方に船で出征したとき(神武東遷(神武東征))に使われた船を模(も)したものです。 10月末の宮崎神宮大祭のときに使われます。



写真DZ: 宮崎神宮参道にある御神橋。



写真EA: 宮崎神宮にある池。 昭和30年ごろ、この池で「石亀(いしがめ)」が釣(つ)れたのを見たことがあります。



写真EB: 宮崎神宮にある池。 昭和30年ごろ、この池で「石亀(いしがめ)」が釣(つ)れたのを見たことがあります。



写真EC: 宮崎神宮参道。 左に行くと宮崎県護国神社があります。



写真ED: 「護国神社 宮崎県総合博物館近道」の石の看板(かんばん)。



写真EE: ここを進むと天然記念物の「白藤」や五所稲荷神社、池、御神田、水祓場などがあります。



写真EF: 五所稲荷神社への看板。



写真EG: 宮崎神宮の参道。



写真EH: この先に宮崎神宮の社務所があります。 昭和30年頃はこの付近に陶器(とうき)で出来た「鶴の像」が森にありました。



写真EI: 宮崎神宮の参道。



写真EJ: 宮崎神宮の参道。 宮崎神宮の説明版も見えます。



写真EK: 「宮崎神宮社務所、車祓所」と「宮崎神宮会館(披露宴会場)」の道しるべ。



写真EL: 宮崎神宮の社務所。



写真EM: 宮崎神宮の社務所。



写真EN: 宮崎神宮の社務所。 私たちも昭和40年代に宮崎神宮で結婚式を挙げました。



写真EO: 左は宮崎神宮の社務所。 右はトイレ。



写真EP: 宮崎神宮の社務所。



写真EQ: 宮崎神宮の社務所付近。



写真ER: 宮崎神宮の参道。



写真ES: 宮崎神宮の「手水舎(ちょうずしゃ、御手洗(みたらい))」。



写真ET: 「手水舎(ちょうずしゃ)」と書かれた看板(かんばん)。



写真EU: 宮崎神宮の「手水舎(ちょうずしゃ、御手洗(みたらい))」。



写真EV: 宮崎神宮の「祓所」。



写真EW: 宮崎神宮の神門が見えてきました。



写真EX: 宮崎神宮の「儀式殿」。



写真EY: 宮崎神宮の「儀式殿」。



写真EZ: 宮崎神宮の「儀式殿」。



写真FA: 宮崎神宮の「儀式殿」のそばの建物。



写真FB: 宮崎神宮の「儀式殿」のそばの建物。 左は社務所。



写真FC: 正面は宮崎神宮の神門。



写真FD: 奥の建物は旧徴古館(ちょうこかん)。



写真FE: 宮崎神宮のお札、お守り、破魔矢(はまや)、おみくじなどを売っているところ。



写真FF: 宮崎神宮の「参拝者休憩所(きゅうけいしょ)」。



写真FG: 宮崎神宮の神門。



写真FH: 宮崎神宮の神門。 奥に拝殿、本殿があります。 私たちも昭和40年代に宮崎神宮で結婚式を挙げました。



写真FI: 宮崎神宮の神門。 奥に拝殿、本殿があります。



写真FJ: 宮崎神宮のお札、お守り、破魔矢(はまや)、おみくじなどを売っているところ。



写真FK: 宮崎神宮のお札、お守り、破魔矢(はまや)、おみくじなどを売っているところ。



写真FL: 宮崎神宮のお札、お守り、破魔矢(はまや)、おみくじなどを売っているところ。



写真FM: 古い御札を捨てるところ(古神符納め所)。



写真FN: 「銅板奉納のお願い」。
宮崎神宮の御本殿、拝殿(拝所)は明治40年に竣工して以来、100年以上たちました。 長年の風雨に耐えて参りましたが、今銅屋根の損傷が激しく葺き替え工事を行う予定で、これからも神域の整備と益々御神徳の発揚をはかりたいと存じています。 つきましては、皆様のご誠意あふれるご協賛を賜りたくお願い申し上げます。
宮崎神宮
*ご芳名を銅板にお書きいたたきご神納いたします。
と書かれています。



写真FO: 「銅板奉納のお願い」。
左のように住所、氏名を銅板にご記入ください。 申し込み先: 授与所、銅板一枚2000円。
と書かれています。



写真FP: 宮崎神宮のお札、お守り、破魔矢(はまや)、おみくじなどを売っているところ。 宮崎神宮の巫女(みこ、神子)さん達。



写真FQ: 宮崎神宮のお札、お守り、破魔矢(はまや)、おみくじなどを売っているところ。



写真FR: 宮崎神宮の境内(けいだい)。



写真FS: 「絵馬」が掛けてあります。



写真FT: 「願掛け絵馬」がたくさんあります。



写真FU: お手植えの木。



写真FV: お手植えの木。



写真FW: お手植えの木。



写真FX: 御神門から拝所(拝殿)を見る。



写真FY: 宮崎神宮の御神門。



写真FZ: 宮崎神宮の御神門の下部。



写真GA: 宮崎神宮。



写真GB: 宮崎神宮の御神門。 菊の紋(もん)があります。



写真GC: 宮崎神宮の御神門。 菊の紋(もん)があります。



写真GD: 宮崎神宮の参道。



写真GE: 宮崎神宮の拝所。



写真GF: 宮崎神宮の境内(けいだい)。 正月にはここに、お札、お守り、破魔矢(はまや)、おみくじなどを売っている仮設の建物が出来ます。



写真GG: 宮崎神宮の境内(けいだい)。



写真GH: 宮崎神宮の御神門。 菊の紋(もん)があります。



写真GI: 宮崎神宮の境内(けいだい)。



写真GJ: 宮崎神宮の境内(けいだい)。



写真GK: 宮崎神宮の拝所。



写真GL: 宮崎神宮の拝所。



写真GM: 宮崎神宮の拝所。



写真GN: 宮崎神宮の拝所。



写真GO: 宮崎神宮の拝所には「神武天皇(じんむてんのう)」と書かれた額(がく)があります。



写真GP: 宮崎神宮の本殿。 私たちも昭和40年代に宮崎神宮で結婚式を挙げました。 榊(さかき)の枝を供(そな)え、三々九度の杯を交(か)わしました。



写真GQ: 宮崎神宮のお賽銭箱(さいせんばこ)。



写真GR: 宮崎神宮の拝所から神門を見る。



写真GS: 拝所の中。 大祓台帳。



写真GT: 拝所の中。



写真GU: 「銅板奉納のお願い」。
宮崎神宮の御本殿、拝殿(拝所)は明治40年に竣工して以来、100年以上たちました。 長年の風雨に耐えて参りましたが、今銅屋根の損傷が激しく葺き替え工事を行う予定で、これからも神域の整備と益々御神徳の発揚をはかりたいと存じています。 つきましては、皆様のご誠意あふれるご協賛を賜りたくお願い申し上げます。
宮崎神宮
*ご芳名を銅板にお書きいたたきご神納いたします。

「銅板奉納のお願い」。
左のように住所、氏名を銅板にご記入ください。 申し込み先: 授与所、銅板一枚2000円。
と書かれています。



写真GV: 宮崎神宮の本殿。 私たちも昭和40年代に宮崎神宮で結婚式を挙げました。



写真GW: 宮崎神宮の本殿。 中央に「郷土の銘木 キンモクセイ」が見えます。



写真GX: 宮崎神宮の拝所。



写真GY: 宮崎神宮の本殿。



写真GZ: 宮崎神宮の境内(けいだい)。



写真HA: 宮崎神宮の本殿。 私たちも昭和40年代に宮崎神宮で結婚式を挙げました。



写真HB: 宮崎神宮の本殿。 太鼓(たいこ)も見えます。



写真HC: 「郷土の銘木 キンモクセイ」の木。 本殿のそばにあります。



写真HD: キンモクセイの木。 本殿のそばにあります。



写真HE: 花嫁衣裳の「花嫁さん」が記念撮影をしていました。 私たちの挙式のことを思い出しました。 私たちも昭和40年代に宮崎神宮で結婚式を挙げました。 後ろは旧徴古館。 この旧徴古館は今でも昔の物などが展示されています。



写真HF: 宮崎神宮の藤棚(ふじだな)。



写真HG: 宮崎神宮の藤棚(ふじだな)。 中央奥に以前は徴古館(ちょうこかん)がありました。 今はそこは御神田、水祓所があります。 昭和30年ごろは徴古館の前の階段にラジオを置いて、小学生が大勢集まり、夏休みのラジオ体操会が開かれていました。 出席するとハンコを押してもらえました。



写真HH: 宮崎神宮の藤棚(ふじだな)。 昭和30年ごろは徴古館の前の階段にラジオを置いて、小学生が大勢集まり、夏休みのラジオ体操会が開かれていました。 出席するとハンコを押してもらえました。



写真HI: 宮崎神宮の藤棚(ふじだな)。 昭和30年ごろは徴古館の前の階段にラジオを置いて、小学生が大勢集まり、夏休みのラジオ体操会が開かれていました。 出席するとハンコを押してもらえました。



写真HJ: 宮崎神宮の藤棚(ふじだな)。 昭和30年ごろは徴古館の前の階段にラジオを置いて、小学生が大勢集まり、夏休みのラジオ体操会が開かれていました。 出席するとハンコを押してもらえました。



写真HK: 宮崎神宮の藤棚(ふじだな)。



写真HL: 宮崎神宮の藤棚(ふじだな)。



写真HM: 宮崎神宮の大白藤(おおしらふじ、オオシラフジ)の説明版。
種別: 国指定天然記念物
名称: 宮崎神宮のオオシラフジ
指定年月日: 昭和26年6月9日
 本樹は中国原産のオオシラフジで、同種ではわが国で最も大きい樹木である。
根回り2.95 mで幹が二つに分かれている。 西の枝は径1.6 m、東南の枝は径1.41 mあり長く伸びている。 樹冠は、西南方向に約12.23 mに達し、東方向にはあまり伸びず約6.35 mである。
 4月中旬ごろ、真白で大きな花を咲かせ、皆の目を楽しませてくれている。
 「オオシラフジ」は、正式の学名ではなく、藤(フジ)の一品種で白く大きな花をつけることからその名が呼ばれている。
宮崎市教育委員会
と書いてあります。




写真HN:  種別: 国指定天然記念物
名称: 宮崎神宮のオオシラフジ
指定年月日: 昭和26年6月9日
 本樹は中国原産のオオシラフジで、同種ではわが国で最も大きい樹木である。
根回り2.95 mで幹が二つに分かれている。 西の枝は径1.6 m、東南の枝は径1.41 mあり長く伸びている。 樹冠は、西南方向に約12.23 mに達し、東方向にはあまり伸びず約6.35 mである。
 4月中旬ごろ、真白で大きな花を咲かせ、皆の目を楽しませてくれている。
 「オオシラフジ」は、正式の学名ではなく、藤(フジ)の一品種で白く大きな花をつけることからその名が呼ばれている。
石碑(せきひ)には「天然記念物 宮崎神宮のオオシラフヂ」と彫(ほ)ってあります。



写真HO:  石碑(せきひ)には「天然記念物 宮崎神宮のオオシラフヂ」と彫(ほ)ってあります。
種別: 国指定天然記念物
名称: 宮崎神宮のオオシラフジ
指定年月日: 昭和26年6月9日
 本樹は中国原産のオオシラフジで、同種ではわが国で最も大きい樹木である。
根回り2.95 mで幹が二つに分かれている。 西の枝は径1.6 m、東南の枝は径1.41 mあり長く伸びている。 樹冠は、西南方向に約12.23 mに達し、東方向にはあまり伸びず約6.35 mである。
 4月中旬ごろ、真白で大きな花を咲かせ、皆の目を楽しませてくれている。
 「オオシラフジ」は、正式の学名ではなく、藤(フジ)の一品種で白く大きな花をつけることからその名が呼ばれている。



写真HP:  石碑(せきひ)には「天然記念物 宮崎神宮のオオシラフヂ」と彫(ほ)ってあります。
種別: 国指定天然記念物
名称: 宮崎神宮のオオシラフジ
指定年月日: 昭和26年6月9日
 本樹は中国原産のオオシラフジで、同種ではわが国で最も大きい樹木である。
根回り2.95 mで幹が二つに分かれている。 西の枝は径1.6 m、東南の枝は径1.41 mあり長く伸びている。 樹冠は、西南方向に約12.23 mに達し、東方向にはあまり伸びず約6.35 mである。
 4月中旬ごろ、真白で大きな花を咲かせ、皆の目を楽しませてくれている。
 「オオシラフジ」は、正式の学名ではなく、藤(フジ)の一品種で白く大きな花をつけることからその名が呼ばれている。



写真HQ: 藤棚(ふじだな)の東側ですが、ここは以前は徴古館(ちょうこかん)がありました。 今は御神田、水祓所があります。 昭和30年ごろは徴古館の前の階段にラジオを置いて、小学生が大勢集まり、夏休みのラジオ体操会が開かれていました。 出席するとハンコを押してもらえました。



写真HR: ここは以前は徴古館(ちょうこかん)がありました。 昭和30年ごろは徴古館の前の階段にラジオを置いて、小学生が大勢集まり、夏休みのラジオ体操会が開かれていました。 出席するとハンコを押してもらえました。



写真HS: 藤棚と徴古館跡の間の景色。 大きな楠(くすのき)があります。 昭和30年ごろは徴古館の前の階段にラジオを置いて、小学生が大勢集まり、夏休みのラジオ体操会が開かれていました。 出席するとハンコを押してもらえました。



写真HT: 藤棚と徴古館跡の間の景色。 大きな楠(くすのき)があります。



写真HU: 藤棚と徴古館跡の間の景色。 大きな楠(くすのき)があります。 奥に池が見えます。



写真HV: ここは以前は徴古館(ちょうこかん)がありました。 今は御神田、水祓所があります。



写真HW: 藤棚と徴古館跡の間の景色。 大きな楠(くすのき)、石橋、石灯籠(いしどうろう)があります。



写真HX: 石橋。 奥の建物は「神宮スカウト団ホーム」。



写真HY: 楠と石灯籠もあります。



写真HZ: 「神宮スカウト団ホーム」。 ボーイスカウト日本連盟、ガールスカウト日本連盟、宮崎第10団と書いてあります。



写真IA: ラクウショウの木もあります。



写真IB: 藤棚(ふじだな)とラクウショウの木。



写真IC: 天然記念物オオシラフジの棚(たな)の手前にある池。 昭和30年ごろ、この池で「石亀(いしがめ)」が釣(つ)れたのを見たことがあります。



写真ID: 池の周(まわ)りの道。 奥に小さく五所稲荷神社の赤い鳥居(とりい)が見えています。



写真IE: 五所稲荷神社と藤棚の間にある池。 昭和30年ごろ、この池で「石亀(いしがめ)」が釣(つ)れたのを見たことがあります。



写真IF: 宮崎神宮の境内にある五所稲荷神社の赤い鳥居(とりい)。



写真IG: 宮崎神宮の境内にある五所稲荷神社の赤い鳥居(とりい)。 昭和30年頃はこの広場に大道芸人が来ていました。 紙でつるした竹を刀で切ったりしていました。



写真IH: 宮崎神宮の境内にある五所稲荷神社の赤い鳥居(とりい)と広場。 昭和30年頃はこの広場に大道芸人が来ていました。 紙でつるした竹を刀で切ったりしていました。



写真II: 宮崎神宮の境内にある五所稲荷神社の赤い鳥居(とりい)。 昭和30年頃はこの広場に大道芸人が来ていました。 紙でつるした竹を刀で切ったりしていました。



写真IJ: 五所稲荷神社の近くにある石碑(せきひ)。 昭和50年建立。



写真IK: 五所稲荷と藤棚の間にある石橋。



写真IL: 五所稲荷と藤棚の間にある石橋。



写真IM: 五所稲荷と藤棚の間にある石橋。 欄干(らんかん)にちょうど野鳥の「白腹(しろはら、シロハラ)」が留(と)まっていました。



写真IN: 五所稲荷と藤棚の間にある石橋。



写真IO: 五所稲荷と藤棚の間にある池。



写真IP: 五所稲荷と藤棚の間にある石橋。



写真IQ: 五所稲荷と藤棚の間にある池。 私が子供の頃、小学校からこのあたりに来て紅葉、黄葉をとり、後で画用紙に貼(は)る授業がありました。



写真IR: 五所稲荷と藤棚の間にある池の岸。 この付近は古いツツジの木が多くあります。



写真IS: 宮崎神宮の池。 昭和20年代の冬に父母、母に負(お)われた妹とここの所に来ました。 ちょうど粉雪が降ってきました。 この付近で妹の赤いソックスがぬげてなくなりました。



写真IT: 宮崎神宮の池。 緋鯉(ひごい)も見えています。



写真IU: 宮崎神宮の池。 奥の石橋は本参道の橋です。



写真IV: 宮崎神宮の池。 白い鯉(コイ)も見えています。



写真IW: 藤棚のそばにある「友愛の広場」。 1980年2月23日 宮崎市ロータリークラブ
と書いてあります。



写真IX: 藤棚のそばにある「友愛の広場」。 1980年2月23日 宮崎市ロータリークラブ
と書いてあります。



写真IY: 五所稲荷と藤棚の間にある池。 白いコイも見えます。



写真IZ: 宮崎神宮の境内にある五所稲荷神社の赤い鳥居(とりい)。



写真JA: 宮崎神宮にある「五所稲荷(いなり)」。



写真JB: 宮崎神宮にある「五所稲荷(いなり)」。 狛犬(こまいぬ)、御手洗(みたらい)、赤い鳥居(とりい)も見えています。



写真JC: 宮崎神宮の境内にある五所稲荷神社の赤い鳥居(とりい)。



写真JD: 宮崎神宮の境内にある五所稲荷神社。



写真JE: 天皇参拝の石碑(せきひ)。



写真JF: 五所稲荷神社のそばの石碑(せきひ)。



写真JG: 五所稲荷神社のそばの石碑(せきひ)。 そばにソテツの木があります。



写真JH: 宮崎神宮の西神苑(しんえん)。 奥にトイレが見えます。



写真JI: 宮崎神宮の西神苑(しんえん)。 神武東征の時に使われた「古代船 おきよ丸(木造船)」の置いてある建物が奥に見えます。



写真JJ: 「古代船 おきよ丸(木造船)」の置いてある建物。 神武天皇が近畿地方に船出した(神武東遷)ときの木造船を模(も)したもの。 宮崎神宮大祭のときに活躍します。



写真JK: 「古代船 おきよ丸(木造船)」の置いてある建物。 神武天皇が近畿地方に船出した(神武東征)ときの木造船を模(も)したもの。 宮崎神宮大祭のときに活躍します。



写真JL: 「古代船 おきよ丸(木造船)」の置いてある建物。 神武天皇が近畿地方に船出した(神武東遷)ときの木造船を模(も)したもの。 宮崎神宮大祭のときに活躍します。



写真JM: 「古代船 おきよ丸(木造船)」の置いてある建物。 神武天皇が近畿地方に船出した(神武東征)ときの木造船を模(も)したもの。 宮崎神宮大祭のときに活躍します。



写真JN: 「おきよ丸(木造船)」の置いてある建物。 神武天皇が近畿地方に船出した(神武東遷)ときの木造船を模(も)したもの。 宮崎神宮大祭のときに活躍します。



写真JO: 宮崎神宮の社務所。



写真JP: 宮崎神宮の「車祓所」。



写真JQ: 宮崎神宮の境内にある「神宮会館」。 結婚式の披露宴にも使われます。



写真JR: 宮崎神宮の境内にある「神宮会館」。 結婚式の披露宴にも使われます。



写真JS: 「宮崎県 護国神社」の鳥居(とりい)。 宮崎神宮の境内にあります。



写真JT: 「宮崎県 護国神社」の鳥居(とりい)に掛けてある額(がく)。 宮崎神宮の境内にあります。



写真JU: 宮崎神宮、五所稲荷神社、宮崎県護国神社、宮崎県立博物館などの絵地図。



写真JV: 宮崎神宮の西入り口付近の景色。 右手には県立図書館、県立美術館、県立芸術劇場があります。



写真JW: 宮崎神宮の西入り口。 護国神社の鳥居の隣にあります。



写真JX: 「宮崎県 護国神社」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)。



写真JY: 「宮崎県 護国神社」の説明版。
祭神: 国家公共に尽くした人の神霊。
由緒: 護国神社は全国都道府県に52社あって、他県の場合は明治維新の当時に創立され、すでに戦前より慰霊の祭儀が行われていた。
 しかし、宮崎県の場合は諸般の事情により創立が遅れ昭和18年に至り宮崎市下北方の高台に創建することになって建設工事を始めたのであるが、建設の途上に昭和20年8月15日終戦となり、連合軍の占領下にこの建設は取りやめることになった。
 講和条約の発効に伴って、県民から護国神社再建の要望が高まり、昭和28年4月より浄財を募って再建に着手し、昭和30年3月10日竣工し、同日御祭神の鎮座祭を斎行した。
例大祭: 4月10日、みたま祭: 8月14日 15日、命日祭: 毎日午前11時。
と書かれています。



写真JZ: 護国神社社務所。



写真KA: 宮崎県護国神社の境内(けいだい)。



写真KB: 宮崎県護国神社の「遺品館」。 鉄兜(かぶと)、軍服、大砲の砲弾や写真などが展示してあります。



写真KC: 宮崎県護国神社の御手洗(みたらい)。



写真KD: 宮崎県護国神社の「軍馬の像」、石灯籠(いしどうろう)など。



写真KE: 宮崎県護国神社の境内(けいだい)。 拝殿。



写真KF: 宮崎県護国神社の境内(けいだい)。 昭和20年代、右の森の木登りに友達とよく来ていました。 母が作った弁当が美味しかったのを覚えています。



写真KG: 宮崎県護国神社の境内(けいだい)。 拝殿。 昭和20年代、右の森の木登りに友達とよく来ていました。 母が作った弁当が美味しかったのを覚えています。



写真KH: 宮崎県護国神社の境内(けいだい)。 拝殿。



写真JI: 宮崎県護国神社の境内(けいだい)。 御札焼き所、石碑(せきひ)、石灯籠も見えています。



写真JJ: 宮崎県護国神社の境内(けいだい)。



写真JK: 宮崎県護国神社の拝殿。



写真JL: 宮崎県護国神社の「絵馬」が掛けてあります。



写真JM: 宮崎県護国神社の拝殿。



写真JN: 宮崎県護国神社の本殿(右の方、奥の院)、拝殿(左の方)。



写真JO: 宮崎県護国神社の拝殿にあるお賽銭箱(さいせんばこ)。



写真JP: 宮崎県護国神社の拝殿。



写真JQ: 宮崎県護国神社の拝殿にあるおみくじ売り場、記帳台。



写真JR: 宮崎県護国神社の拝殿のそばの様子。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)