カッパ塚、名貫川河口、徳泉寺 (江戸時代中期の河童塚、カッパの伝説、都南橋、県道302号線、日豊本線の名貫川にかかる鉄橋、JR 都農駅、曹洞宗 徳泉寺、2級河川の名貫川)  (宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 分子村)







<標高、位置>  カッパ塚 (河童塚)は
標高 約10 m
 北緯32度14分11秒  東経131度34分11秒

<標高、位置>  徳泉寺は
標高 約20 m
 北緯32度14分10秒  東経131度34分09秒

<標高、位置>  名貫川にかかる県道302号線の「都南橋」は
標高 約10 m
 北緯32度14分14秒  東経131度34分11秒

<標高、位置>  JR日豊本線の名貫川にかかる「鉄橋」は
標高 約10 m
 北緯32度14分15秒  東経131度34分12秒

<標高、位置>  名貫川の河口は
標高 0 m
 北緯32度14分16秒  東経131度34分23秒

<標高、位置>  JR都農駅(つのえき)は
標高 約16 m
 北緯32度15分04秒  東経131度34分06秒

<標高、位置>  古代駅 「去飛 (こひ)」は
標高 約10 m
 北緯32度14分59秒  東経131度34分12秒

<標高、位置>  県立 都農高等学校は
標高 約30 m
 北緯32度15分07秒  東経131度33分38秒

<標高、位置>  都農役場(つのやくば)は
標高 約25 m
 北緯32度15分24秒  東経131度33分35秒

<標高、位置>  もと本陣だった「赤木家住宅」は
標高 約20 m
 北緯32度15分30秒  東経131度33分30秒

<標高、位置>  都農神社(つのじんじゃ)は
標高 約10 m
 北緯32度15分47秒  東経131度33分31秒


 「徳泉寺」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 分子村 3270 にあります。
報恩山 徳泉寺は曹洞宗のお寺です。 カッパ伝説があります。

 「カッパ塚 (河童塚)」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 分子村 にあります。 徳泉寺のそばにあります。
都農町の名貫川にカッパ (河童)伝説があります。 河童 (かっぱ)は方言で「ひょうすんぼ」と呼 (よ)ばれます。 都農町では20世紀の終わり頃 (ころ)までは「ひょうすんぼ祭り」を開催し、日本1の長さ (153 m )のかっぱ巻きを作ったり、カッパの仮装コンテストやカッパ踊 (おど)りなども行われていました。 これは名貫川のカッパ伝説が1700年代から伝わっているためです。 名貫川の河口近くの右岸 (下流方向を見て右。)にある都農町 分子村 (わけむら)地区に「カッパ塚」があります。 このカッパ塚は1717年 (亨保2年)に建立 (こんりゅう)されました。 県道302号線の西のそばにあります。 近くには徳泉寺の階段があります。 このカッパは人や馬に迷惑をかけていました。 江戸時代中期の徳泉寺の和尚 (おしょう)さんが経文を書いた石がカッパ塚の下に埋 (う)められています。 その後、カッパは改心してよく氾濫 (はんらん)していた名貫川の水難事故などでおぼれかけた子供などを助けました。 筑前国 (福岡県の1部。)の遠賀川のカッパが相撲 (すもう)をとって田畑を荒らしていましたが、これをどうにかしてくださいと頼 (たの)まれました。 名貫川の改心したカッパが筑前国に遠征して筑前国 遠賀川のカッパに相撲で勝ちました。 それ以後、筑前国 遠賀川のカッパは迷惑をかけないようになったそうです。 遠賀川は高鍋藩主 秋月がもと治めていた領地でした。
「カッパ塚」の石碑 (せきひ)から、
合祀 (ごうし)碑
本碑は報恩山 徳泉寺 第12世 報恩山 洞益和尚 (おしょう)が当時 住民の安泰を願うところより、法華経 (ほけきょう)1000部を読誦 (どくしょう)し、いたづら河童 (かっぱ)の悪を封 (ふう)じて人畜の災厄 (さいやく)を除くため祈念されたものであり、伝説には種々あるも経文石は昭和17年道路改修の為 (ため)、現在地の地下3尺 (しゃく)の所に容器に納 (おさ)め埋没 (まいぼつ)してあり尚 (なお) 洞益和尚 (おしょう)は亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)元年4月 遷化せられ依 (よ)って第13世 智周大賢和尚 (おしょう)が亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)2年9月初8日に此 (こ)の業績を後世に遺 (のこ)すべく建立 (こんりゅう)せられしもの也 (なり)。 此 (こ)の碑 (ひ)の建立に当たり都農町藤間松太郎 氏が妻の操香院智勝妙貞大姉菩提 (ぼだい)供養の為 (ため)浄財を (続きは側面に。)・・・昭和41年。

 「名貫川 (なぬきがわ)」は宮崎県の都農町、川南町を流れる2級河川です。 尾鈴山 (尾鈴山系)を源流とし、都農町と川南町の境界にある河口で日向灘 (太平洋)に注 (そそ)いでいます。 上流には日本の滝100選に選ばれた矢研の滝 (やとぎのたき)など大小30以上の滝があります。 水力発電の名貫川発電所があります。

 日豊本線にある「JR九州 都農駅」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。 都農駅は2階建ての地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。 上り方向の隣 (とな)り駅は東都農駅で、下り方向は川南駅です。 簡易委託駅になっています。 現在の建物 (駅舎)は2017年6月17日に完成しました。

 尾鈴山は標高 1405.2 mで、都農町と木城町にまたがっています。 近くの山々は尾鈴山地あるいは尾鈴連山と呼ばれています。
尾鈴山は、東へのなだらかな稜線(りょうせん)が特徴です。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。


写真A: JR 日豊本線の都農駅です。 駅前にロータリーがあります。 新しい駅舎です。 東を見たものです。
日豊本線にある「JR九州 都農駅」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。



写真B: 南西を見たものです。 アイショップがあります。 駅の近くです。 左奥 (南)に県道302号線を約2 km 進むと名貫川の都南橋があります。 そのすぐ南に「カッパ塚 (づか)」があります。 カッパ塚のそばに徳泉寺があります。 カッパ塚は名貫川の河口近くの右岸 (下流方向を見て右。)、県道302号線の西沿 (ぞ)いにあります。



写真C: 南を見たものです。 県道302号線です。 この都南橋を渡ってすぐ右に「カッパ塚」があります。 左に「名貫川」の標識があります。



写真D: 「二級河川 名貫川 宮崎県」の標識があります。 その後ろにJR日豊本線の名貫川にかかる鉄橋が見えます。 南東を見たものです。
「名貫川 (なぬきがわ)」は宮崎県の都農町、川南町を流れる2級河川です。 尾鈴山 (尾鈴山系)を源流とし、都農町と川南町の境界にある河口で日向灘 (太平洋)に注 (そそ)いでいます。 上流には日本の滝100選に選ばれた矢研の滝 (やとぎのたき)など大小30以上の滝があります。 水力発電の名貫川発電所があります。



写真E: 名貫川にかかる県道302号線の「都南橋」です。 都南橋の照明塔も見えます。 名貫川は右 (西)から左 (東)に流れています。 南を見たものです。



写真F: 来た道を振 (ふ)り返ったものです。 約2 km 先にJR 都農駅があります。 北を見たものです。



写真G: 名貫川の石、尾鈴連山、農業用ビニールハウスなどが見えます。 北西を見たものです。
「名貫川 (なぬきがわ)」は宮崎県の都農町、川南町を流れる2級河川です。 尾鈴山 (尾鈴山系)を源流とし、都農町と川南町の境界にある河口で日向灘 (太平洋)に注 (そそ)いでいます。 上流には日本の滝100選に選ばれた矢研の滝 (やとぎのたき)など大小30以上の滝があります。 水力発電の名貫川発電所があります。



写真H: 名貫川の上流方向 (西)を見たものです。 右寄りに左右対称の尾鈴山 (標高 1405 m )が見えています。 名貫川の左岸 (下流方向を見て左。)に道路が見えます。
「カッパ塚 (河童塚)」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 分子村 にあります。 徳泉寺のそばにあります。
都農町の名貫川にカッパ (河童)伝説があります。 河童 (かっぱ)は方言で「ひょうすんぼ」と呼 (よ)ばれます。 都農町では20世紀の終わり頃 (ころ)までは「ひょうすんぼ祭り」を開催し、日本1の長さ (153 m )のかっぱ巻きを作ったり、カッパの仮装コンテストやカッパ踊 (おど)りなども行われていました。 これは名貫川のカッパ伝説が1700年代から伝わっているためです。 名貫川の河口近くの右岸 (下流方向を見て右。)にある都農町 分子村 (わけむら)地区に「カッパ塚」があります。 このカッパ塚は1717年 (亨保2年)に建立 (こんりゅう)されました。 県道302号線の西のそばにあります。 近くには徳泉寺の階段があります。 このカッパは人や馬に迷惑をかけていました。 江戸時代中期の徳泉寺の和尚 (おしょう)さんが経文を書いた石がカッパ塚の下に埋 (う)められています。 その後、カッパは改心してよく氾濫 (はんらん)していた名貫川の水難事故などでおぼれかけた子供などを助けました。 筑前国 (福岡県の1部。)の遠賀川のカッパが相撲 (すもう)をとって田畑を荒らしていましたが、これをどうにかしてくださいと頼 (たの)まれました。 名貫川の改心したカッパが筑前国に遠征して筑前国 遠賀川のカッパに相撲で勝ちました。 それ以後、筑前国 遠賀川のカッパは迷惑をかけないようになったそうです。 遠賀川は高鍋藩主 秋月がもと治めていた領地でした。



写真I: 南西を見たものです。 名貫川、近くの小山が見えます。



写真J: 南を見たものです。 都南橋の歩道部分が見えます。



写真K: 都南橋のすぐ下流側 (東)に日豊本線の鉄橋があります。 南東を見たものです。



写真L: 奥に名貫川の河口が見えています。 白波も見えます。 名貫川は都農町と川南町の境界で太平洋に注 (そそ)いでいます。 鉄橋、都南橋も見えます。 東を見たものです。



写真M: 北東を見たものです。 右端に名貫川河口があります。 鉄橋の奥に農業用ビニールハウスもあります。 日豊本線の架線 (かせん)と架線の支柱も見えます。



写真N: 北を見たものです。 都南橋です。



写真O: 名貫川の都南橋から東を見たものです。 名貫川の河口、日豊本線の鉄橋が見えます。 名貫川河口に白波が見えています。
「名貫川 (なぬきがわ)」は宮崎県の都農町、川南町を流れる2級河川です。 尾鈴山 (尾鈴山系)を源流とし、都農町と川南町の境界にある河口で日向灘 (太平洋)に注 (そそ)いでいます。 上流には日本の滝100選に選ばれた矢研の滝 (やとぎのたき)など大小30以上の滝があります。 水力発電の名貫川発電所があります。



写真P: 名貫川の河口に2人の人が見えます。 河口の左岸 (下流方向を見て左。)は都農町で右岸は川南町です。 日豊本線の鉄橋も見えます。 東を見たものです。



写真Q: 南東を見たものです。 名貫川の鉄橋と橋 (都南橋)があります。 日豊本線の架線 (かせん)と架線の支柱もあります。 都南橋の照明塔もあります。



写真R: 日豊本線の鉄橋の橋脚の様子 (ようす)がよく分かります。 名貫川の川底には石が多くあります。 右下は都南橋です。



写真S: 東を見たものです。 このあたりは都農町です。



写真T: 北東を見たものです。 農業用ビニールハウスもあります。



写真U: 北を見たものです。 都南橋です。



写真V: 北を見たものです。 県道302号線です。



写真W: 北西を見たものです。 ココス椰子 (やし)があります。 「トーヨー タイヤ」の看板 (かんばん)があります。



写真X: 尾鈴連山、農業用ビニールハウス、民家もあります。



写真Y: 中央の左右対称の山が尾鈴山 (標高 1405 m )です。 その両側は尾鈴連山と呼 (よ)ばれます。



写真Z: 農業用ビニールハウスが多くあります。 尾鈴連山が見えます。



写真AA: 尾鈴連山、農業用ビニールハウス、民家があります。



写真AB: 南西を見たものです。



写真AC: 北を見たものです。 都南橋の南端付近の十字路が見えます。 この十字路を左 (西)にちょっと進んだところに「カッパ塚」や徳泉寺があります。 鉄橋や都南橋も見えています。



写真AD: 北を見たものです。 手前は十字路です。 この少し左に「カッパ塚」があります。 都南橋や鉄橋も見えます。



写真AE: 西を見たものです。 看板 (かんばん)の左に「カッパ塚」があります。



写真AF: 中央はカッパ塚です。 左上に徳泉寺の山門が見えます。 左に徳泉寺の石段もあります。 西を見たものです。
「カッパ塚 (河童塚)」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 分子村 にあります。 徳泉寺のそばにあります。
都農町の名貫川にカッパ (河童)伝説があります。 河童 (かっぱ)は方言で「ひょうすんぼ」と呼 (よ)ばれます。 都農町では20世紀の終わり頃 (ころ)までは「ひょうすんぼ祭り」を開催し、日本1の長さ (153 m )のかっぱ巻きを作ったり、カッパの仮装コンテストやカッパ踊 (おど)りなども行われていました。 これは名貫川のカッパ伝説が1700年代から伝わっているためです。 名貫川の河口近くの右岸 (下流方向を見て右。)にある都農町 分子村 (わけむら)地区に「カッパ塚」があります。 このカッパ塚は1717年 (亨保2年)に建立 (こんりゅう)されました。 県道302号線の西のそばにあります。 近くには徳泉寺の階段があります。 このカッパは人や馬に迷惑をかけていました。 江戸時代中期の徳泉寺の和尚 (おしょう)さんが経文を書いた石がカッパ塚の下に埋 (う)められています。 その後、カッパは改心してよく氾濫 (はんらん)していた名貫川の水難事故などでおぼれかけた子供などを助けました。 筑前国 (福岡県の1部。)の遠賀川のカッパが相撲 (すもう)をとって田畑を荒らしていましたが、これをどうにかしてくださいと頼 (たの)まれました。 名貫川の改心したカッパが筑前国に遠征して筑前国 遠賀川のカッパに相撲で勝ちました。 それ以後、筑前国 遠賀川のカッパは迷惑をかけないようになったそうです。 遠賀川は高鍋藩主 秋月がもと治めていた領地でした。



写真AG: ここは上 (のぼ)り坂になっています。 徳泉寺の石段と山門が見えます。 右端はカッパ塚の石段です。



写真AH: 「津波避難場所 徳泉寺、都農町」と書いてある看板 (かんばん)があります。 カッパ塚のすぐ右にあります。



写真AI: カッパ塚です。 一番奥の高い石塔が「カッパ塚」です。 その両側にカッパ (河童)の像が計2つあります。 花を供 (そな)えてあります。 四角の説明を彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)が右寄りにあります。
「カッパ塚 (河童塚)」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 分子村 にあります。 徳泉寺のそばにあります。



写真AJ: カッパ塚に登る階段です。



写真AK: 階段の近くです。



写真AL: 「カッパ塚」
合祀 (ごうし)碑
本碑は報恩山 徳泉寺 第12世 報恩山 洞益和尚 (おしょう)が当時 住民の安泰を願うところより、法華経 (ほけきょう)1000部を読誦 (どくしょう)し、いたづら河童 (かっぱ)の悪を封 (ふう)じて人畜の災厄 (さいやく)を除くため祈念されたものであり、伝説には種々あるも経文石は昭和17年道路改修の為 (ため)、現在地の地下3尺 (しゃく)の所に容器に納 (おさ)め埋没 (まいぼつ)してあり尚 (なお) 洞益和尚 (おしょう)は亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)元年4月 遷化せられ依 (よ)って第13世 智周大賢和尚 (おしょう)が亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)2年9月初8日に此 (こ)の業績を後世に遺 (のこ)すべく建立 (こんりゅう)せられしもの也 (なり)。 此 (こ)の碑 (ひ)の建立に当たり都農町藤間松太郎 氏が妻の操香院智勝妙貞大姉菩提 (ぼだい)供養の為 (ため)浄財を (続きは側面に。)・・・昭和41年。
と彫 (ほ)ってあります。



写真AM: 下部に「カッパ塚、禅曹洞宗 徳泉寺」と書いてあります。



写真AN: 「カッパ塚」
合祀 (ごうし)碑
本碑は報恩山 徳泉寺 第12世 報恩山 洞益和尚 (おしょう)が当時 住民の安泰を願うところより、法華経 (ほけきょう)1000部を読誦 (どくしょう)し、いたづら河童 (かっぱ)の悪を封 (ふう)じて人畜の災厄 (さいやく)を除くため祈念されたものであり、伝説には種々あるも経文石は昭和17年道路改修の為 (ため)、現在地の地下3尺 (しゃく)の所に容器に納 (おさ)め埋没 (まいぼつ)してあり尚 (なお) 洞益和尚 (おしょう)は亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)元年4月 遷化せられ依 (よ)って第13世 智周大賢和尚 (おしょう)が亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)2年9月初8日に此 (こ)の業績を後世に遺 (のこ)すべく建立 (こんりゅう)せられしもの也 (なり)。 此 (こ)の碑 (ひ)の建立に当たり都農町藤間松太郎 氏が妻の操香院智勝妙貞大姉菩提 (ぼだい)供養の為 (ため)浄財を (続きは側面に。)・・・昭和41年。
と彫 (ほ)ってあります。



写真AO: 「カッパ塚」
合祀 (ごうし)碑
本碑は報恩山 徳泉寺 第12世 報恩山 洞益和尚 (おしょう)が当時 住民の安泰を願うところより、法華経 (ほけきょう)1000部を読誦 (どくしょう)し、いたづら河童 (かっぱ)の悪を封 (ふう)じて人畜の災厄 (さいやく)を除くため祈念されたものであり、伝説には種々あるも経文石は昭和17年道路改修の為 (ため)、現在地の地下3尺 (しゃく)の所に容器に納 (おさ)め埋没 (まいぼつ)してあり尚 (なお) 洞益和尚 (おしょう)は亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)元年4月 遷化せられ依 (よ)って第13世 智周大賢和尚 (おしょう)が亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)2年9月初8日に此 (こ)の業績を後世に遺 (のこ)すべく建立 (こんりゅう)せられしもの也 (なり)。 此 (こ)の碑 (ひ)の建立に当たり都農町藤間松太郎 氏が妻の操香院智勝妙貞大姉菩提 (ぼだい)供養の為 (ため)浄財を (続きは側面に。)・・・昭和41年。
と彫 (ほ)ってあります。



写真AP: 「カッパ塚」
合祀 (ごうし)碑
本碑は報恩山 徳泉寺 第12世 報恩山 洞益和尚 (おしょう)が当時 住民の安泰を願うところより、法華経 (ほけきょう)1000部を読誦 (どくしょう)し、いたづら河童 (かっぱ)の悪を封 (ふう)じて人畜の災厄 (さいやく)を除くため祈念されたものであり、伝説には種々あるも経文石は昭和17年道路改修の為 (ため)、現在地の地下3尺 (しゃく)の所に容器に納 (おさ)め埋没 (まいぼつ)してあり尚 (なお) 洞益和尚 (おしょう)は亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)元年4月 遷化せられ依 (よ)って第13世 智周大賢和尚 (おしょう)が亨保 (きょうほ、江戸時代中期 1716年〜1736年)2年9月初8日に此 (こ)の業績を後世に遺 (のこ)すべく建立 (こんりゅう)せられしもの也 (なり)。 此 (こ)の碑 (ひ)の建立に当たり都農町藤間松太郎 氏が妻の操香院智勝妙貞大姉菩提 (ぼだい)供養の為 (ため)浄財を (続きは側面に。)・・・昭和41年。
と彫 (ほ)ってあります。



写真AQ: 江戸時代中期のカッパ塚の両側にカッパ (河童)の像が2つあります。 花を供 (そな)えてあります。 その手前に石があります。



写真AR: 河童塚 (かっぱづか)の手前に2つの石があります。 そこにも花を供 (そな)えてあります。



写真AS: カッパ塚の石と右端の説明板の石碑 (せきひ)です。 石碑の側面にも文を彫 (ほ)ってあります。



写真AT: カッパ塚に文字を彫 (ほ)ってあります。 カッパ塚の上部です。



写真AU: カッパ塚の中部です。 文字を彫 (ほ)ってあります。 後ろに支 (ささ)えるためと思われる石があります。



写真AV: カッパ塚の下部です。 花を供 (そな)えてあります。 両側のカッパの像もあります。



写真AW: 右のカッパの像です。



写真AX: 左の河童像 (かっぱぞう)です。



写真AY: カッパ塚のそばです。



写真AZ: カッパ塚に3つの石があります。



写真BA: カッパ塚の説明板の石碑 (せきひ)の裏と石、供花 (きょうか)があります。



写真BB: カッパ塚です。 東を見たものです。



写真BC: カッパ塚から東を見たものです。 遠くに日向灘 (太平洋)が見えています。 日豊本線の架線 (かせん)とその支柱、手前に県道302号線があります。 ここは十字路になっています。



写真BD: 県道302号線との十字路です。 そのそばにカッパ塚があります。



写真BE: 南西を見たものです。 徳泉寺の石段と山門が見えます。 高い所に徳泉寺はあります。



写真BF: 徳泉寺の石段の登り口があります。 この車道を進んでいくと徳泉寺に行きます。 右端の上は山門です。



写真BG: 徳泉寺の階段と車道です。 南を見たものです。



写真BH: 奥には県道302号線があります。



写真BI: 奥に県道302号線が見えます。 東を見たものです。



写真BJ: 県道302号線の東側に自動車を止められるスペースが見えます。 東を見たものです。



写真BK: 北東を見たものです。 日豊本線の鉄橋と県道302号線が見えます。



写真BL: 北を見たものです。 左端はカッパ塚です。



写真BM: 都農町の名貫川の右岸 (下流方向を見て右。)にある河童塚 (かっぱづか)です。



写真BN: カッパ塚に上がる階段です。



写真BO: 徳泉寺の石段の所に来ました。 階段の上に徳泉寺の山門が見えます。



写真BP: 徳泉寺の石段の上部です。 手すりもあります。 西を見たものです。



写真BQ: 石段の中部です。



写真BR: 徳泉寺の石段の登り口です。 手すりがあります。



写真BS: 石段の上部から東を見たものです。 奥に日向灘 (太平洋)があります。



写真BT: 最上部に海 (日向灘)が見えています。 石段を見下 (みお)ろしたものです。 東を見たものです。



写真BU: シュロの木があります。



写真BV: 北を見たものです。 左下は大きな石の手水鉢 (ちょうずばち)です。



写真BW: 都農町にある徳泉寺の大きな石の手水鉢 (ちょうずばち)です。 柄杓 (ひしゃく)も3つ見えます。



写真BX: 石の手水鉢 (ちょうずばち)と左端の山門です。



写真BY: 徳泉寺の山門と奥に本堂が見えます。 西を見たものです。
「徳泉寺」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 分子村 3270 にあります。



写真BZ: 徳泉寺の山門の下部と奥の本堂です。 山門の横木の両端に象の彫り物 (ほりもの)があります。 上にも彫り物が見えます。 左端は掲示版 (けいじばん)です。



写真CA: 徳泉寺の掲示版 (けいじばん)、山門、奥に本堂があります。




写真CB: 掲示版 (けいじばん)に「曹洞宗 (2つの寺紋) 徳泉寺」と書いてあります。 丸い時計もあります。 「彼岸 (ひがん)会法要 9月23日 11時30分より 開経 (経文をひもとくこと。) どうぞお参 (まい)り下さい 合掌 (がっしょう)」と書いてあります。



写真CC: 南西を見たものです。 左の建物には井戸 (いど)があります。 右端は掲示版 (けいじばん)です。



写真CD: 南を見たものです。 右奥に駐車場があります。 下に降りる車道のガードレールも見えます。 右の建物は井戸です。



写真CE: 赤い彼岸花 (ひがんばな)が咲いていました。



写真CF: 階段の降り口近くです。 北東を見たものです。



写真CG: 野草の「彼岸花 (ひがんばな)」が咲いていました。



写真CH: 山門の上部です。 いろいろな彫刻 (ちょうこく)があります。



写真CI: 横木の端 (はし)に象の彫り物 (ほりもの)があります。 徳泉寺の山門です。



写真CJ: 「ミカンの実」がありました。



写真CK: 内側から山門を見たものです。 奥に下 (くだ)る石段があります。 東を見たものです。



写真CL: 北東を見たものです。



写真CM: 左奥に石の仏像があります。 徳泉寺の境内 (けいだい)です。



写真CN: 左端は本堂です。 右寄 (よ)りに石仏があります。 北西を見たものです。



写真CO: 曹洞宗 (そうとうしゅう)の徳泉寺の本堂です。 西を見たものです。
「徳泉寺」は宮崎県 児湯郡 都農町 大字川北 分子村 3270 にあります。



写真CP: 南西を見たものです。 右端は本堂です。



写真CQ: 左奥に井戸の建物が見えます。 南を見たものです。



写真CR: 徳泉寺の境内です。



写真CS: 本堂を見上 (あ)げたものです。 横木の端 (はし)に象の彫り物 (ほりもの)があります。 横木にもいろいろな彫り物が見えます。 戸のガラスに寺紋が2種類書いてあります。



写真CT: 横木のこちらの端 (はし)にも象の彫り物 (ほりもの)があります。 雨水を通す管も見えます。



写真CU: 本堂の階段です。



写真CV: 「ここでお履 (は)きものを お脱 (ぬ)ぎ下さい。」と書いてあります。



写真CW: これは元 (もと)は手水鉢 (ちょうずばち)だったようです。 「奉納」と彫 (ほ)ってあります。 右奥に石の仏像があります。



写真CX: 立派な石仏があります。 花を供 (そな)えてあります。 北を見たものです。 徳泉寺です。



写真CY: 石仏のそばに「報恩山」、「徳泉寺」と書いてあります。



写真CZ: 石仏のまわりです。



写真DA: 本堂の屋根の角 (かど)です。



写真DB: 本堂の北側面も見えます。



写真DC: 本堂の北の方です。



写真DD: 本堂の近くです。



写真DE: 左端は本堂です。



写真DF: 西を見たものです。



写真DG: サトイモの葉かもしれません。



写真DH: 南西を見たものです。



写真DI: 南西を見たものです。 畑、農業用ビニールハウス、民家があります。



写真DJ: 南を見たものです。



写真DK: 近くです。



写真DL: 南東を見たものです。



写真DM: 北を見たものです。



写真DN: 北西を見たものです。 竹林もあります。



写真DO: 西を見たものです。 畑、農業用ビニールハウス、住宅が見えます。



写真DP: 南西を見たものです。



写真DQ: 南東を見たものです。



写真DR: 近くです。



写真DS: 畑のそばです。



写真DT: 南東を見たものです。 駐車場があります。 左端に墓地があります。



写真DU: 東南東を見たものです。 墓場があります。 竹林も見えます。



写真DV: 北を見たものです。



写真DW: 北東を見たものです。



写真DX: 「柿 (かき)の実」がありました。



写真DY: 「マツバボタンの花」が咲いていました。



写真DZ: 下に降りる車道が見えます。 南を見たものです。



写真EA: 北を見たものです。 井戸の建物が見えます。



写真EB: 北西を見たものです。 本堂や井戸の建物も見えます。



写真EC: 柿 (かき)の木があります。



写真ED: 井戸 (いど)があります。 北西を見たものです。



写真EE: 本堂が見えます。 左端は井戸の建物です。



写真EF: 徳泉寺の山門です。 右に石仏が見えます。



写真EG: 石段の上部から東を見たものです。 海 (日向灘)が見えています。 県道302号線もあります。



写真EH: 葉が美しい植物がありました。



写真EI: 県道302号線です。 南を見たものです。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)